INTERVIEW

武正晴

演技は瞬間芸術。
俳優とミュージシャンの共通点


記者:桂 伸也

写真:桂伸也

掲載:18年12月02日

読了時間:約19分

20歳の村上の姿が活かせたことに感激

――今回の映画で音楽を担当された海田(庄吾)さんは、映画を撮影される前に音楽を既に書かれていたということですが、それはもともとどんな音楽が欲しい、といった何か先にイメージされていたものがあったのでしょうか?

 いや、イメージというとそんなものは。でもできるだけ音楽の劇伴を使わず、どうやって音楽を表現しようかという挑戦ができる作品だと思っていました。今回は主人公の内面的な話で、小説でいうと一人称。で、常にカメラが主人公一人をずっと追っていくだけの話なので、なにか彼に聞こえるものが音楽としてお客さんにも届くというか、彼が見たもの、体験したものをお客さんが同じように追体験していくような、劇場で追体験をしていくような思いになってくれたら、という思いがありました。

 だから客観的に見ていただくよりは、主人公と一致していくような、シンクロしていくような感じを意識しました。たとえば主人公が家に帰ってきてパッとオーディオのスイッチをつけたら音楽が鳴るわけですが、単に劇伴が鳴っているというのではなく、見ている側に主人公が聴いているものとして聴こえる感じというか。そして同じ音楽がだんだん彼の内面の変化のように見えてくるかのような、そんな音楽を作れたらと思っていました。その意味では“実際に音楽として聴ける音楽”、劇伴というよりも、たとえばトオルのような大学生なんかが好んで聴くような曲はないか、と模索するような思いはありました。

 今回聴こえてくる音楽は全部、海田さんが作ったもので、トオルの家の部屋だけでなく劇中に出てくる店の中で聴こえる音楽についても、全部劇伴として作ってもらったんですけど、特にトオルがずっと部屋で聴くメインテーマ的な音楽というのは、その俳優さんの内面的なところも影響するので、事前に作って撮影現場で掛けられればいいなと思って撮影前に作ることにしていました。

――たとえば音楽というものが先に決まったことで、それに引っ張られる感じもあるなのかな、という風にも思いました。音楽の雰囲気が先にできたことで、映画の雰囲気というものをそのまま決定付けてしまうような影響を。

 いや、映画の雰囲気を作るというよりも“この主人公は普段、どんな音楽を聴いているのか”という感じでしたので、特には。いつものことなんですが、映画を作っていくと、作り手が主人公に同一になっていくというか、僕自身になっていってしまう部分もあるので、「僕だったらどんな曲を聴くのかな」というのもあったんですけどね。結局、誰もそれは言ってくれないですが(笑)。映画を作るというのはなにか結局自分の部分であって、自分が作っていくしかないので。

 そういう意味では、自分が好きな曲というか。トランスできる曲とか、一人になって部屋で聴いていて現実を忘れるような曲、音楽の系統でいくとプログレッシブというか、そういう何らかの効果があるような音楽のほうがいいかな、という気持ちはありました。やっぱり主人公が部屋の中でずっと聴いていて狂っていく感じ、狂いたい感じというか。「日常の音楽なんか、聴いていてたまるかよ!?」という感じ。自分の中のそんな感じを思い出しました。僕も若いころには窓を全部閉め切って、ガラスが割れるんじゃないかというくらいの音響で、音楽を部屋の中でずっと聴いたこともあったので、この主人公だったらどんな音楽を聴かせたらいいんだろうな、って。

(C)吉本興業

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――では音楽という部分がこの映画の表現の中で影響している割合というものとしては…。

 やはり大きいですね。トオルには音楽に逃げていったりとか、日常の声を聴きたくないというときに、音楽で遮断するという部分があるので。今の皆さんはそうやって生きていると思うんですよね。周りのものにある、生の音というのを遮断して、みんな耳に栓をして歩いている。僕はなかなかあれが理解できないんですが、人たちには耳というものがあるのに、何故それをわざわざ遮断していつも生活しているのか? って。人間って不思議だなと思うんですよね。

 特に僕は東京に来て30年になるんですけど、本当に音を遮断して生きている人たちが多いなと思います。今は目も遮断していますよね、スマホを見て。これから100年経ったらみんな猫背になって(笑)、耳が聴こえなくなって、視力も悪い人間にだらけになると思うんですけど、僕はそうはなりたくない。その意味で僕はいい時代に生まれてきたなと思っています。

 やっぱりそういうものを使いたくないし、この映画はそんな思いに対するひとつの提示みたいなところもある。だからこの劇で見られるトオルの前に出てくる人間というのは、みんな耳を開放せず音楽を聴いていたりとか、目をふさいでいたりしている人が多いけど、あまりこの主人公にはそうはさせたくなかったんです。

 彼は外にいるときはほとんど偽っているというか、非常に人との関係性をよく見せているんですけど、実はそれがすごく苦痛でかつ意外と色んなものを聴いて、色んなものを見ている。そしてその時にどうしても早く自分の家に帰って、部屋に戻って締め切って、音楽を掛けて、ようやく自分の求めているものに浸透していくという感じ。まあ非常に典型的な現代人だと思うんですけどね。

――そういう意味では、主人公には割と自分に近いものがあると?

 そうですね。僕なんかは全部そうですから。主人公と結構そこは近いなという印象はあって、共感できた部分がありました。ただ僕にとってそういうのは若いときですから、久しぶりな気持ちでもありました。だから30年位前の自分に「ああ、かつてはこんなときもあったな」と思い出しながらやっていたんですけど。

 まあどうしても年をとってくると、そういう部分は生活環境も変わってきますし。原作者の中村さんとお会いしたときに、彼がこの物語について“青春だな”と言われて“そうだな、別にこれはとっつきにくい主人公というより、誰にでもあった瞬間だよな”と思ったし、そう思ったことで映画として描いていくことがすごく楽になったんです。あまり難しく文学だとか、小説が原作とかというところで考え過ぎないほうがいいな、青春映画にしたらいいんじゃないかな、って思って。

――そういう映画を描こうとしたときに、村上さんの起用がそのまま当てはまるかな? と思われたりはしました?

 当てはまるか、というよりまずプロデューサーの奥山(和由)さんが「夏に虹郎が空いているよ」というこの一言で決まったので(笑)。でも「もううってつけの人間がいたじゃん!」と思いました。もう彼しかいないんじゃないかというくらいな。そんなにいないですからね、日本の俳優でピタッとはまるような人は。ただ、ちょうど虹郎が20歳でよかったな、という感じで。タイミングとしてはすごく良いんじゃないかなと。今やっぱり虹郎の20歳というのは、いい題材なんじゃないかなと思って、もうこの一年を逃したら次は無い、と思いましたね。

――先日、村上さんにもインタビューをさせていただいたんですけど、この西川トオルという人物に対して「この人と似ていると言われるのは、非常に複雑な気持ちだ」と言われていまして(笑)。

 (笑)。確かに、別に似てはいないと思うんです、その役にはまったというだけであって。でも彼はやっぱり存在感が素晴らしいので、説得力があるというか。役を演じるというのはもちろん演技力、ということもいわれますけど、むしろやっぱりその人の持っている本質的なものが、役にはまるかどうかというところは大きいと思うんです。まず役に合っているかどうかというところは、どうしても年齢的なものとか、見え方というのもすごく重要なものだと思っていたし、そんな部分に対して、今回虹郎はうってつけだったと思います。

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