INTERVIEW

武正晴

演技は瞬間芸術。
俳優とミュージシャンの共通点


記者:桂 伸也

写真:桂伸也

掲載:18年12月02日

読了時間:約19分

役者に演出を任せて「ああ、なるほど」と思った瞬間

――作品ですが、全般モノクロで構成された映像であることにやはり強い印象があり、私は重苦しい雰囲気を強く感じました。このモノクロの部分というのが主人公の西川トオルにとって、どちらかというと“夢が叶った”というイメージを表したもの、そして最後に彼は現実を突きつけられて全体もパッと視界がカラーに変わる、という展開でした。ただ夢が叶うというイメージであれば、実は色の変化は逆では? という印象もあったのですが…。

 まず今回のイメージとして、彼は、生身のものを全然体験していない甘っちょろい奴なので、現実を突きつけてやろう、と思ったんです。彼が初めて拳銃を撃って血を見たときに「これ、こんなことじゃない」とか言い出すんですが、拳銃を撃った人は大体みんなそう言うんですよね、「殺すつもりはなかった」と。でも“拳銃を撃ったら人間は死ぬことくらい、分かるだろう?”って。

 だからそれを初めて知ったときに、生の、今のカラーのついた世界へ、“はいどうぞ、現実世界へ。これからあなたは厳しい、もっと苦しいことを経験するんですよ”という世界へ入れたという感じになる。それまではずっと現実を知らずに生きてきている、白黒の世界で生きている甘っちょろい奴という感じ。だからそんな気分が出たらいいかな、という風に考えたんです。

――“血を見る”というところに、そのイメージにつながるものが感じられますね。

 僕らもそうだけど、血を見ていない奴の甘いところというか、たとえば戦場や戦争を知らない、“甘い人”というか…そんな人が戦争や戦場の議論をしたところで、ヌルいじゃないか? という気持ちが自分の中にあったんです。その意味ではトオルという人間は、なにかすごく自分で分かりきっているところがあるけど、やっぱりまだまだ甘っちょろい奴で、拳銃で撃ったら人は血が出て、そして死ぬということが分からない人間。人を撃って初めてそれを知るわけなんです。

 逆にそれが分かっているリリー(・フランキー)さんの刑事が出てきたときに、あの人間の言葉が魅力的でもあるけど、非常になんか知ったかぶりの腹立たしい大人が出てくるという、そこに全然ついていけない感じが、彼の苛立ちになっていく。そしてやっぱり原作で中村さんが書いているように、銃を撃ったときに“世界は変わった”と展開して、同時に自分の周りから色んなものが遠ざかっていく感じがしたと。

 それで“こうじゃなかったのにな”と、思っていたことと現実は違っていたと実感する。あんな瞬間、たとえば血を見ていくという瞬間、人間が生きたり死んだりするというものに対して、僕らは余りにも目を背けているなと思うこともありまして。

(C)吉本興業

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――いろいろなことを考えさせられるストーリーですね。エンディング部分は、なにか原作で表現されたトオルのイメージとはちょっと違う印象を受けました。刑事が登場するという展開もありますが、リリーさんの微妙な表情が重なり、印象的な雰囲気になっていました。ここには何らかの意図があったのでしょうか?

 いや、あそこは意図というか、役者さん自身がそう演じたんです。

――そうなんですか? ではそこでの演出は放っておいて、役者さんがどのような演技を見せられるかをそのまま観察していたと?

 彼らが自分たちでそんな芝居をしたので「へえ~、面白いことをするなぁ」と思っていました。あれは原作にはない部分なんですが、僕としては「あの刑事が来たら、トオルはどんな顔をするんだろう?」というのが見たかったんです。僕が最初の観客なので、それを見て「ああ、なるほど、そういうことか」と思って。その意味ではその狙いがちゃんと出ていたな、と思いました。

 だからカラーにした瞬間、甘ったれていた少年の部分がフッと出たというか。たとえば父親を求めている、叱られた子供のように“なにをやっているんだよ、おまえは!”と言われたときに、言ってくれる人がいてくれた喜びとか。トオルはもともと父親とは一緒に生活していないし、母親に捨てられた人間なので、親というものを知らないんです。その状態で「ダメでしょ?こんなところで拳銃を撃っちゃ!」と(笑)、言ってくれる人を求めていたんだと思う。

――そういったことを、撮影前に考えられていたのでしょうか?

 いや、それはシナリオにも書いていなかったですし。それに近いような、サブテキスト的なことは書いてはあったけど、むしろここまで役として生きてきた演者が、それを感じて「ああ、それをちゃんと観客に届けたいんだな」と思えるようなことをやってもらった方がいいかと。だから刑事が来たということに対して、トオルがあんな顔をするんだ、と感じられるのはとても良いことだと思ったんです。子供が叱られるって、あんな感じじゃないですか? なんかすごく人間味があるし、かつ救いだなとも思えたし。

――ある意味、奇跡的なシーンですね。原作からここまで印象が変わっちゃうというのもすごいな、と。

 でも俳優はそれをやるのが仕事ですし、僕らはそれを見て撮るだけの仕事ですから。確かにあのシーンは素晴らしいし、だからこそやっぱり役者というのはすごい。ずっと頭から演じてきたから、あの瞬間にああいった印象的な表情がフッと出るわけですよね。「ああしてくれ」「こうしてくれ」と指示して、そのとおりにやってもらうのは簡単だけど、演技って瞬間芸術、一回しかできないもので、多分“もう一回やって”と言ってもできないわけですから。だからこのときも「わあ、すげえのが出てきたな!」って。それを確実に捉らえて、お客さんに届けるために、今度はどういうことをするか、というのが僕らの仕事なんです。

――「銃」というものは、常に社会に向けて様々な問題を投げかけるようなところがありますが、そういう意味ではこの映画は問題定義をしているとも考えられます。武監督がこの西川トオルのように、一人で銃を見つけるような場面に出くわしたときには、どのような反応をされるでしょうか?

 まず僕は拾わないですけど、多分撃ちますね。だから絶対に拾わない、拾っちゃダメですよ。危ないです、あんなもの。道端でちょっと肩がぶつかった、ってバーン! って撃っちゃったり。だから持たないようにしたいと思いますけど。

 拾わないのは車を運転しない、免許を持たないのと一緒(笑)。車は人をはねる可能性があるし、人を殺す可能性があるものは近寄りたくない、できることなら。自分の生涯が終わるまでに、人を殺めたくない。でも不幸なことって起こるわけだから、そのためにもそれに近寄らない、というのが僕の小さいときからの身上。だから僕はできるだけ道具を持ちたくないし、人を殺める可能性があるものには、近づきたくないんです。そんな思いでも今回の映画は作りましたから。

 でもね、そりゃ持ったら撃つでしょうね!(笑)。原作で中村さんが印象的なことを書いているな、と思ったことがあったんですが、それは「拳銃というのは、人を殺すための道具だろう? なんで撃っちゃいけないんだ?」って。ただ、今は「人を殺せる道具なのに、なんで撃っちゃいけないんだ?」という派と「銃なんか持っちゃいけませんよ」という派が今ぶつかり合っているけど。

 よくこんなものをアメリカの人たちは、家庭に持っていたり、携帯電話と同じ数を持っていますよね。アメリカでポケットに手を突っ込んだら構えますからね、みんな。日本ではポケットから出すのはスマホでしょう。そういうものを選択したというのはいいことだし、今後もそのままでいてほしいなと。

(C)吉本興業

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