世間のズレが無くなってきている、遊助 活動10年で手にしたもの
INTERVIEW

遊助


記者:桂泉晴名

撮影:

掲載:18年05月31日

読了時間:約8分

羞恥心、音楽はずっと生き続けている

――そのなかでやはり今回もっとも驚いたのは、通常版盤の最後に収録されている「羞恥心の心」です。遊助さんが所属したユニット、羞恥心のデビューシングル「羞恥心」のカバーであり、長年待っていた方も多いと思いますが、今、このタイミングでこの曲を入れようと思ったのはなぜでしょうか?

遊助(撮影=片山 拓)

遊助(撮影=片山 拓)

 「10周年になったら、やれたらいいな」と心の片隅でデビューくらいの時から思っていたんです。まさに今がこのタイミングだと感じて。今まで封印していたわけじゃないけれど、誰もやってないし。もちろん他の2人も、それぞれの道があってやりたいこともあって、事務所もレコード会社も違うし。番組もない。何の跡形もなく、みんなの心とか耳とかにしかないんです。でも音楽はずっと生き続けていると思うので。だから10年経った時に、羞恥心に対する思いといったものを、自分の言葉として入れたかった。あれがいなかったら今のソロ活動もなかったし、音楽とこんなに向き合うこともなかったので。そういった意味では羞恥心は自分にとっては大きな分岐点というか、一つのきっかけであるので。一緒に共演した人たち、その時から応援してくれてる人、メンバー。そういった人たちに対する感謝の気持ちや、当時の自分、または羞恥心自体への思いといったものを、せっかくだからもともとある歌詞の中でアレンジして表現できないかなと思いました。

――歌詞は一部変えられていますね。

 ベースは残していて、なかでもサビは絶対に残そうと思いました。今回、カバーは改めて難しいなと思ったんですけれど、自分たちの曲だから、余計に自分流にやりたくなることがいっぱい出てきてしまうんです。10年間培ってきた思いだったり、たいしたことないですけれど、テクニックなのか変な知恵みたいなものが10年分たまってしまったから。「こうやってメロディラインを変えたいな」とか「この2番は<ドンマイ ドンマイ ドンマイ ドンマイ>の3つ目を変えてみようかな」とか。そういうのがいっぱい出てきてしまうんです。けれどやっぱり耳に残っていて、そのまま歌ってほしいというのは、間違いなくあるので。そこはみんなで気持ちよく歌ってもらおう、聴いてもらおうと考えて。「あ、そのツボを10年ぶりに押さえた!」みたいな。そのツボ外してしまうと、別物になってしまうから。

――絶妙な加減ですよ。

 難しいんですよ。勝手な自分の解釈ですけど。「ツボだけは外さないで、新しいテクニックの揉み方をやってみよう」みたいな(笑)。

――この曲が収録されているのは、ファンの皆さんにとってさらにうれしいですよね。そしてアルバムを作り終えて、今はどんな心境ですか?

 今まで別に皮をかぶっていたわけではないし、殻に閉じこもっていたわけじゃないけど。年々というか毎作品ですけど、どんどん殻を破っているというか。普通の俺の言葉として、みんなに伝えることに迷いがなくなってきたというか。だから本当に何かありのままのものができていっている気がします。

――ズレがなくなってきた?

 もちろんいつも聴く人を考えて作っているんですけど、聴く人に寄せなくなったというか。自分が思っていることが、聴く人の求めているものになってきたような気がします。もちろんその人に聞いてみないと実際はわからないんですけど。昔は「この歌詞にすると7割の人はすごく喜んでくれるけど、下手したら2割くらいの人は引くだろうな」とか。それも考えるのがソロアーティストだし、自己プロデュースは絶対大事なことなのですけど。やっぱり10年近くやってきて、そういったものが、僕がみんなに近づいてきたのか、みんなが僕を作り上げてきてくれたからなのかはわからないけど。心地いい感じになってきたというか。ライブでクルーの人たち、ずっと応援してくれる人の表情を見ていて、本当にダイレクトにすごく素敵なキャッチボールできてると思います。でも、今はありのままやれているから余計に言い訳はできない。改めておもしろくなる気がします。そういう意味で、ここからが山場なんです。

(おわり)

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遊助(撮影=片山 拓)
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