ソロ活動10年となる歌手の遊助が、30日発売の8枚目フルアルバム『あの・・こっからが山場なんですケド。』で、歌手活動のきっかけを作った「羞恥心」をカバーした。当時からソロでいつかは…と胸に秘めていたといい、そのタイミングが「今」だったという。そんな遊助はこの10年で自身と世間のズレが無くなってきているとし「自分の思っていることが聴く人の求めているものになってきたような気がする」と手ごたえを感じている。更に高みを目指すことを目指し「山」を裏テーマに掲げた今作。曲に込めた思いを聞くなかで遊助の今に迫った。【取材=桂泉晴名/撮影=片山 拓】
メロディがあるからこそ出てくる言葉
――多彩な楽曲が並ぶ今回のアルバムについて、まず前半は人と人とのつながりや愛情にスポットを当てている曲が集まっているという印象を受けました。最初の「C.H.O」はまさにオープニングにふさわしい「はじまり」を予感させる曲ですね。
この曲はゆっくり始まって展開があって。幻想的なところから扉が開いて、ワーッと華やかな世界が見える感じのものを作りたいということを作曲・編曲を担当してくれたCHI-MEYくんに話しました。会場の扉を開ける人なのか、お腹の中にいる赤ちゃんなのか…。何かが生まれる瞬間みたいなイメージですね。「なんだろう?」とぼんやりしているところにフラフラ歩いて行ったら、鼓笛の音がする。そのうち光が見えてきた。山の樹海のところみたいな…、そういう絵が浮かんできたので。僕がそっちに行くのを待ってる声がする、みたいな曲を作ってみようと思いました。
――神聖な形ではじまり途中でダンサブルになって、きわめつけは<C.H.O.E.B.I.G.A.S.U.K.I>という歌詞が突然入っていて。そういう遊び心が遊助さんらしいと思いました(笑)。こういうユニークな箇所を入れようの思ったのはなぜですか?
最初はなかったんですけれど、何かを真ん中に入れたいなと思って。それは掛け声やコーラス、レスポンスか迷ったんですけど。チームから「ちょっとふざけたものを入れましょう」と言われて。「じゃあふざけるわ。エビが好きだから、これはどう?」と詞を見てもらって、「よくわからないですけど、遊助さんしか書けないから、これをやりましょう」と。
――では、タイトルはここからついたんですか?
これからです。これが入らなかったら、タイトルは違いますね。この詞を最後に入れて、「タイトル何にしようか?」「いや、C.H.Oでしょう」と。
――そんなストレートについたんですね(笑)。2曲目はMOOMINさんとのコラボ「ハレワタリ 遊turing MOOMIN」です。MOOMINさんとやることになったきっかけは?
MOOMINくん、僕はむーちゃんと呼んでいるんですが、彼は好きなアーティストでしたすし、ジャパニーズレゲエのレジェンドで、特に20歳前後の時によく聴いていました。それでなにかの取材でむーちゃんのことを言ったらしく、彼がそれを覚えてくれていて。あとむーちゃんは沖縄に住んでいるんですけど、もともと茅ケ崎で地元も近いんですよ。だから共通の友人というか先輩がいっぱいいて。それまで会って面と向かって話す機会はなかったんですけど、お互い共通の知り合いがいたので。地元感ですぐ仲良くなって。
――バックグラウンドが一緒だったんですね。でも二人でやろうとなった時に、どういう形で「ハレワタリ」にいたったのでしょうか?
むーちゃんが僕の曲を聴いてくれていて、「すごく音ハメが上手いね」とか「言葉選びが上手だね」とか、声質のこととかいろいろ言ってくれたんです。「遊助だったら晴れという感じだから、そういう曲がいいね」と言われ、そこから仮に沖縄で作ってくれた音源を送ってくれて。僕のところも歌ってくれたんですけれど、「遊助が変えても全然いいよ。とりあえず、こんな曲はどうだろう?」と。
――MOOMINさんはスイートボイスで遊助さんは骨太な声。対照的なところもいいですね。
むーちゃんはすごく不思議な甘くて、表現をどういったらいいのかわからないですけれど、素敵な声の持ち主なので。そんな人と一緒に曲ができて、やっていても楽しかったし。感覚でしゃべることができて、僕にとっては先輩ですけど、馬が合うというか変に気を遣わなくていいと言うか。すごく器がデカくてゆったりとしていて、「怒ったことある?」といった感じの人ですね。
――歌詞も優しくて、本当にキャラクターにぴったりの世界が描かれています。
それこそ本当にピースフルな。むーちゃんだからこそ成立する曲のような気がする。これがまた違う声質の人だったら、全然違うだろなと思います。
――ミュージックビデオは沖縄での撮影だったそうですが、遊助さんは晴れ男ですか?
結構そう言われますね。撮影日は最初雨の予報だったんですけど、晴れてよかったです。「ハレワタリ」で「アメワタリ」だったらどうしようと思っていたんですよ(笑)。
――3曲目の「ばーちゃんの背中と僕の足」は、おばあちゃんとの孫との交流を描いた歌です。
「おばあちゃんの匂いを感じるような歌詞を書いてみたいな」と思って。僕も本当おばあちゃん子だったし。おばあちゃんに思うこともたくさんあったので。ほとんどみんな他界しているんですけど、僕が大人になるまでずっとみんな生きていたし。ひいおばあちゃんも元気だったから。だからそんなことを思い出しながら書きました。
――タイトルにある「僕の足」にはどんな思いが入っていますか?
後ろから見たときに、おばあちゃんを背中でおんぶしてる。そして僕がそのおばあちゃんの足になるよ、と。そういう絵が思い浮かんだので。
――そしてこの曲は結構音色が複雑に絡んでいて、最初入るところからサビにいたるまでの展開が意外な気がしました。
確かこの曲は前回のアルバムくらいのときからありました。こういった機械音が多い音にあえて畳の匂いがするというか、お尻の匂いがするような歌詞を乗せたら、多分ぐっとくるんじゃないかなとか思って。アコギとかだとのせやすいんですけれど、あえて化学反応を起こす方にして。思いきりノー英語でいこうというのも決めました。
――曲のクライマックス、<あなたはどちら様?>のところの後には、一瞬の空白が入っていますね。
あそこの間が、余計に想像力をかき立てると思います。
――そして遊助さん自身の人生を歌う
男兄弟は何を話していいかわからなくなっちゃうときがあるんですよ。男は親父に対してもそうですけど、すごく仲が良くても、ライバルでもないけど、こうなりたいなっていうのもあるし。ここは真似しちゃいけない、なりたくないなとか、気をつけようとかもあるし。それはたぶん兄弟でもあって。ライバルだったり後輩だったり先輩だったりする、不思議な上下関係があるんです。
――<俺は後輩だと思い お前はライバルだと思い>と詞にもありますけれど、これは男性の兄弟ならではの感覚なのかと。
男同士によくありますよね。女の子同士の兄弟だと「ちょっと離れて歩きなさいよ」というのはあまり聞かないけれど、男だと絶対言いますもん。たとえば同窓会などあったときに、たまたま弟がいて横に座ったら「兄弟で並んでいるんじゃん」となる。でも女の子はそれを嫌がらないじゃないですか。男の場合、別に嫌でもなんでもないんですけれど、なんかソワソワするというか(笑)。
――そういうものなのですね。
たまたま僕はこういう仕事をやっているから、ライブに来てくれたりだとか、テレビを見たりとか、離れても何をやっているか見えるじゃないですか。「あれ見たよ」とか話すネタもあるから、それはまだ僕らをつなぎ止めた一つかもしれない。でも俺の周りでもあまり一緒に飲みにいく兄弟とか見たことないんです。うちの親父もそうだし、母親の男兄弟のおじさんたちもそうだし。おじいちゃんもそうだし。別に仲が悪いわけではない、でも仲良いとはいえない(笑)。だから冠婚葬祭とか、葬式で横に座ってくすぐったそうにしている、みたいな感じです。
俺はたまたま踏み入れた世界がこの場所だったから、弟はこういったインタビューを聞くチャンスもあるかもしれないし、「こんなことを言ってたよ」と違う人から聞くこともある。でも逆にこの仕事を始めたからこそ、弟に面倒くさい思いをさせてしまった部分もきっとあると思う。名前も似てるし、どこに行ってもいろいろ言われるだろうし。逆に僕が変なことをいったら、学校でいじられたかもしれない。そういったことはゼロじゃないと思うので。でも、多分僕の弟はそういうのを全く見せない。逆に俺に気を遣わせないように気を遣ってくれていたし。そういった意味で、感謝の気持ちもたくさんあるので。また本当にラッキーなことに、俺は歌で表現できるから。手紙とか会話じゃ言えないけど、メロディがあると出てくる言葉というのは絶対あるんですよね。