今、新譜として耳に飛び込んでくるポピュラー音楽からは、クロスオーバーが多くみられる。ジャンルの垣根を越えて、複数の種類の音楽が融合したものを「クロスオーバー」と指すが、その混ざり具合は年々複雑になっている。

 例えば、ロック、アシッドジャズ、ソウル、HIP HOPなどのクロスオーバーで注目を集めているSuchmosやRAMMELLSの音楽性。彼らの音楽からは更なる詳細の音楽性もみられるが、クロスオーバーされたもとの音楽である、ロックやアシッドジャズも、クロスオーバーされて生まれた音楽だ。

 例えば、ザ・ビートルズは生粋なロックというイメージがあるかもしれないが、メロディラインと和音構成はクラシック的であったり、ロカビリーから派生したリズムやコードだったりする楽曲や、インド音楽を混ぜたな実験的アプローチがあるなど、多種多様なカラーがある。

 アシッドジャズにしても、それが生粋の音楽ジャンルというわけではなく、ソウルやファンクのダンスミュージックや、ジャズやフュージョンのコード進行がもとになって構成されていたりするし、近年のアシッドジャズではエレクトロミュージックの人力演奏という背景も見える。

 そういった、もともとの音楽性となるジャンルにもルーツがあり、「生粋の音楽ジャンル」とは何か、ということを考えてしまうことがある。日本の歌謡曲にしても、民謡や雅楽などがルーツにあると思われるし、イギリスのロックにしてもブルースやビバップに源流が全くないとは言い切れない。

 新世代のノイズミュージックやアンビエントにしても、90年代のガレージロックやシューゲーザーの存在、古くはシンセサイザー出現時の電子音楽や現代音楽がもとにあると考えられる。

 そもそも、音楽ジャンルとは、何のためにある概念なのだろう。ロッカーがロックに生きて行くための“ロック”という存在なのか、ミュージシャンが音楽の特徴を分別して解釈しやすくするためのものなのか、ショップで買い手がわかりやすく目的の音楽に辿り着けるようにするためなのか。はたまた、クロスオーバーという音楽的な発展を見据えたものなのだろうか。

 「クロスオーバー」のブレンド比が絶妙に素晴らしいものか、限りなく生粋のジャンルに等しく極まっているいるものなのか、この対比した2点のどちらかが、現在のヒットチューンから表れている気がしてならない。どちらもアーティストとしての良質な感性と表現力を必要とする。

 そうなってくると、「リバイバル」か「クロスオーバー」か、という2択になってしまう。かなり乱暴な捉え方だが、「リバイバルでもクロスオーバーでもない新譜」という音楽には、なかなか出会えない。

 しかし、あまりにも斬新でハイセンスなクロスオーバーというのは、新しい音楽として聴こえる。とことん掘り下げられた音楽力をもとにして出力されたリバイバルというのも、逆に新しく聴こえる。

 「ロックは90年代いっぱいでやりつくされた」という嘆きの声を聞いたことがあるが、現代ではロックやポップスという音楽シーンで、実は新しい音楽性が次々と生まれているという気がする。

 それをアナライズして細分化して、様々な音楽ジャンルの分別で片付けることもできるが、現代では80年代〜2000年代あたりでは考えられなかったような画期的なクロスオーバーがある。メディアミックスすることで成立する音楽作品もある。

 それは、ミュージシャンでもアーティストでもない、新たなクリエーターとして何かしらの呼称が生まれてもおかしくないと思ってしまうほど、現代の音楽シーンの作品からは「凄い」と感じる、ハイセンスなクロスオーバーの音楽ジャンルが様々ある。音楽に各ジャンルが存在するのは、音楽そのものを発展させるため、という気がしてならない。【平吉賢治】

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