indigo la Endは川谷絵音、長田カーティス、後鳥亮介、佐藤栄太郎によるロックバンドである。ファンからの絶大な支持を得ながらも、昨年10月より活動自粛していた。そんな彼らが今年6月、EX THEATER ROPPONGIでおこなわれた『Play Back End Roll』で活動再開。7月にはメジャー3rdフルアルバム『Crying End Roll』をリリースした。そして、今月15日からは全国ツアー『始藍』を控えている。MusicVoiceでは今回、ボーカル・川谷絵音とともに、indigo la End結成当時からのメンバーであるギタリスト・長田カーティスに単独インタビュー。彼に結成秘話から、新譜について、現在のプレイスタイルについて、音楽について思う事などを聞いた。
ネットの募集から始まったindigo la End
――indigo la Endへの加入の経緯を教えてください。
indigo la Endに加入したのは、インターネットがきっかけです。当時のメンバーとベースやドラムは変わってしまいましたけど。初期メンバーは現在、川谷と僕の2人だけです。ミクシィが流行っていて『バンドメンバー募集』みたいなコミュニティで書き込みを見つけて、どんな内容だったかはもう忘れてしまいましたけど、何となく反応したような感じで知り合いました。それからこれまで、長く続いています。
――始めて集まった時の思い出は?
顔合わせは吉祥寺のマクドナルドでした。当初はスタジオに入る予定だったんですけど、結局マックでダラダラして帰りました(笑)。機材も持っていたのに。「レディオヘッド良いよね」みたいな話をしたのは覚えています。川谷君は昔も今も、音楽に対して常に真面目。プライベートについてはお互いにあまり知らないんですよ。仲が悪いわけではないのですが、ほどよく距離を取っています。
――初期の活動について改めて教えてください。
最初に録ったデモテープは「enon」という曲でした。結成してすぐ作った曲だった筈です。当時は良い感触がありましたが、今聴くと聴けた物じゃないですね、下手すぎて(笑)。その曲で『RO69JACK 2010』(ロッキング・オンが主催するアマチュア・アーティスト・コンテスト)に入賞した時は「意外といけるものなんだな」と驚きつつ、とても嬉しかったです。
それからメジャーデビューが決まりました。それから、最初の3枚(『さようなら、素晴らしい世界』、『渚にて』、『夜に魔法をかけられて』)はtoe(ロックバンド)の美濃隆章さんに音を録って貰ったんです。大学の時に学園祭で出演しているのを観ていたので、そういう方に録って貰えたのがとても嬉しかったですね。美濃さんとは今も関わりがあります。
考えてみると、初期の曲は意外と今もやっている曲が多いです。ミュージックビデオも撮った「緑の少女」とかは若々しすぎて、今はちょっとやりたくないですが(笑)。録った時、好きだったのは「夜の公園」(『さようなら、素晴らしい世界』収録)です。最近はやっていないですが、歌が入る前の状態の音を聴いて「歌は入ってないけど、凄い良い曲が出来ているな」と思った覚えがあります。
――元々音楽を仕事にしたかったんですか?
就職活動はしましたよ。バンドはやりたかったので、仕事が早く終わって、夜が空きやすい職種を選んで受けていました。でも、無理でした。とある信用金庫の説明会に行った時、隣の席の人がガチンコの就職活動だったんです。もちろん僕も茶髪ではありながら、ガチンコではありましたけど。その彼が「今日は貴重なお話、ありがとうございました。○○大学の○○と申します」と挨拶しているのを見て「自分には無理だな」と就職活動をやめました。多分自分は甘い考えで就活をしていたし、隣だった彼の様にもなれないから、好きな事をやるしかないと決心しました。
実際音楽を生業にするようになって感じる事は、絶対的に趣味でやっている方が楽しいという事です。そればかりになってしまうから。僕も音楽が趣味だったのに仕事になってしまったから、今趣味が無くて困っているんですよ。無趣味で、やる事がないからギターを弾いているというところもあります。それはそれで、楽しい事なんですけど。趣味のままだったら他に仕事があって、プライベート/仕事という切り替えが出来ると思うんです。だから趣味のままの方が楽しいんじゃないかなと。
川谷をリスペクトしている
――初期メンバーの長田さんと川谷さんはなぜ長くやってこれたんでしょうか?
作品を出す毎に音楽的な変化もあったので、メンバーチェンジを繰り返してきたんだと思います。初期に比べたら、今は純粋に楽器も上手くなっていますし、作曲する上でのお互いの好きなポイントを(川谷と)共有する事も出来ています。ポイントの合わさり方もより精密になっている気がしますね。川谷とは音楽的に気が合うんだと思います。合わなかったらとっくに辞めてるんじゃないですか。僕はプレイヤーとしても、作詞・作曲者としても、彼をリスペクトしています。
メロディラインは間違いなく綺麗だし、あとはとっつきやすいんだか、悪いんだかわからない声質もありますね(笑)。言葉に関して、僕は正直そこまで歌詞を見ないタイプなのですが、独特だと思います。あと彼は、理論を敢えて知ろうとしないし、したところで意味がないという考えの人。サポートのキーボーディストからは、コード進行について「ピアノを弾く人ではありえない」と言われたりもします。そういうところも彼の魅力じゃないですかね。ただ、色々な事を要求されるので大変です。僕も理論を無視してきましたけど、それに限界を感じ始めたので、最近は色々勉強しています。知識が無いと出来ない事もあるし、あるに越した事はないと思うので。
今の4人になってからは2枚のアルバムをつくりましたけど、まだまだこれからじゃないですかね。新作の『Crying End Roll』は前作の『藍色ミュージック』に入れようとしていた曲もあるので、新作と言っても1年半前に録った曲もあったりします。
――今の長田さんのプレイスタイルについて教えてください。
『藍色ミュージック』の時は頭でっかちだったと思うんです。理論を勉強し始めていた頃だったので、結構こねくり回してしまって。「心雨」という曲では、特に頭を使いすぎてしまった感もありました。
indigo la Endは昔から「歌とギターが主役」と言われてきたんです。なので、それを崩そうとして『藍色ミュージック』はちょっと引っ込んだギターのフレーズを作りました。そうしたら、あんまり面白くなくて(笑)。なので『Crying End Roll』は「とりあえず弾きまくろう」という意識でやっています。疲れちゃうんですけどね。でも、大分雰囲気違うんじゃないかなと。
ギタリストとしては、プレイを聴いて長田だと思われすぎたくないと思っています。常に色々な事が出来た方が良いと思っているので。結局「長田っぽい」と言われてしまいますが(笑)。DADARAYでもサポートとしてギターを弾いていますが、DADARAYとindigo la Endではスタイルを全く変えているつもりです。DADARAYはベース(休日課長)がガツガツ弾くんですよ。それの隙間を狙っていっています。
indigo la Endではメロディライン的なアプローチが多いんですけど、DADARAYではパッと瞬間的に入ってくる感じを目指したり、あえてベースとユニゾン(同じフレーズを弾く)したりとかもしています。両バンドのドラムは同じ佐藤栄太郎なんですけど、ベースが変わると(indigo la Endのベースは後鳥亮介)グルーヴが全然変わるので、そこが面白いですね。当然自分のギターもそれによって引っ張られたりもします。2つのバンドに関わる事によって、自分が上達していくのもわかるし、逆に自分に足りない点もわかるので楽しいですね。
――活動休止中は何をされていたんですか?
筋トレです。本当にギターを弾いていませんでした。本当にギターを弾いていませんでした。ハードケースを開ける気にもなりませんでしたから。去年の10月に活動を休止したんですけど、多分2カ月くらいはエレキギターを触りませんでした。家ではアコギとかクラシックギターとかを適当に弾いていましたけど。面倒くさくなってしまったんです。「DADARAYをやる」となって、ようやく再開しました。
アルバムも出せなくて、ライブもない。本当にしばらく何もなかったし「ちょっとダラダラしよう」となったのかもしれません。とにかく弾く気にならなかったんです。完全に“無”な感じでしたね。音楽も聴かなかったです。ミュージシャンじゃない人になった感覚。「そのうち活動再開するからいいや」という気持ちではいましたけど、今になって考えても無駄な時間だったなと。もっと練習しとけばよかったです(笑)。
ギターケースを久しぶりに開けてからは、結構リハビリしました。思った以上に指が動かなくて、指先も痛くなりましたし。今は結構感覚が戻りましたね。ワンマンライブ(6月23日にEX THEATER ROPPONGIで)もやりましたし。もちろん、もうちょっと練習しないといけないと感じてはいます。
ギター再開後の休止期間はDADARAYのレコーディングをしていたので、川谷と佐藤には会ってました。後鳥には全然会ってなかったです。再開が決まったという事で大きな変化はありませんでした。だから個人的に休んでいたのは最初の2カ月くらい。でも今は、休止していた分、聴かなくなってしまった人もいると思うので、戻って来てもらう為にも良いライブをしたいです。
もっと音楽を自由に楽しんでほしい
――今音楽的に興味がある事はありますか?
他の楽器を始めてみたいですね。キーボードは無理だったんですよ。どこがどの音なのか覚えられないので(笑)。弦楽器が一番早いんでしょうね、マンドリンとかバンジョーとか。バンドでは使えなそうですけど。趣味にもなりそうですし。
最近はペトロールズの長岡亮介さんにとても影響を受けていて、意識する事が多いです。僕に出来ない事をやる人なので、聴いてて凄い面白いです。カントリー(音楽ジャンル)とかも演奏していますし。
――カントリーやブルーグラスは今世界的に再注目をされている様に見えます。
全然古いとは思いません。今の音楽にそういう要素がないじゃないですか。ブルーグラスとかカントリー的な物。少し前ならあったかもしれませんが、日本はあまり無いんじゃないですかね。長岡さんは、星野源さんの「恋」とかでも弾いています。そういう要素をJポップに入れたりしているので、凄く面白い。ああいう物は上手く入れないといけないんですよ。そうじゃないと、ただダサくなってしまうので。
あとはROLLYさんの音源を聴いたり、映像を観たりもしています。あまりにも自分とかけ離れているので、凄いなと。完全にロックンロールですよね。見せ方も上手い。それに、時代が違うとはいえ、あそこまで「ミュージシャン・ROLLYだよ」というスタンスでしっかりお客さんに届けているし、やり続けているところも凄いです。ギターのフレーズも天才だなと思います。ROLLYさんは「コードもスケール(編注:ドレミファソラシドなど、音の並び方)もわからない」と話しているんですけど、ちゃんとそれ以上の物を弾いています。そういう事が僕にはできないなと。僕は自分に出来ない事をしている人が好きなんですよ。ただ早く弾けるだけだと印象に残らないじゃないですか。「早かったな」というだけで。
――最近注目している音楽はありますか?
最近の音楽はあまり聴いていないですね。ランニングする時とかに、2013年位に買った音楽を聴いてる位です。フレーズを考える時とかも、外を普通に歩いていたりします。弾きながら作るタイプじゃないんですよ。外をフラフラしながら、思いついたフレーズをボイスメモで録って、それを弾いたりだとか。そうやって作った曲の方が多いです。
ギターを持って「このスケールが」と考えるのが、あまり面白いと思わないので、鼻歌で作るんです。良いのが思いついたら良いし、思いつかなかったら「まあ良いや」という感じ。だからフレーズの運指とかは滅茶苦茶だと思います。
――対海外について、思う事はありますか?
indigo la Endの音楽を東南アジアで聴いてくれている人が多いみたいです。前にインドネシア語のホームページが勝手に作られていたりもありました。名前がちょっと変な感じになっていましたけど(笑)。聴いてくれている方がいるので、行ってみたい気持ちはありますね。洋楽/邦楽もあまり関係ないと思います。音は音ですから。確かに言葉が変わると入ってくる物は大分変わると思いますけど、僕は元々そこまで歌詞の内容まで聴かないので、音として楽しめれば良いなと感じます。壁を感じる人の方が多いんじゃないかなと思いますが、僕は感じません。
ただ音楽の聴き方の違いは感じます。日本人は皆と同じ行動をしてしまいがちですよね。『周りがそうするからそうする』というのは違うんじゃないかなと思うんです。もっと自由に楽しめば良いんじゃないでしょうか。例えば<ロックバンドのライブにディッキーズのパンツを履いていく>という傾向があるんですが、僕は疑問に思います。周りがどうこうではなく、好きならそうすれば良いと思うので。僕はindigo la Endのライブに、自分なりのお洒落をしてきて欲しいです。
――では最後に読者にメッセージをお願いします。
聴き方は自由だと思いますので、是非それぞれの観点で僕たちの音楽を楽しんで頂きたいです。よろしくお願いします。
【取材・撮影=小池直也】
◆長田カーティス 1988年3月30日生まれ。indigo la Endのギタリスト。最近はDADARAYのサポートギターとしても活動。indigo la Endとしては9月15日に、大阪 なんばHatchで全国ツアー『始藍』が幕をあける。