写真=BOφWY“謎”のポスター掲出の背景聞く(2)

“謎”のポスターが掲出された高崎駅構内の様子。画像は一部加工(提供写真)

 ロックバンド、BOφWYの“謎”のポスターが出身地・群馬のJR高崎駅に掲出され「復活するのではないか」と話題になった。後に、1987年に神戸と横浜でおこなわれたライブ『“GIGS” CASE OF BOφWY』の全演奏曲を収録したCD発売を意味していたことが分かったが、改めてBOφWY人気の高さを示す形となった。今回、同CDの発売元であるユニバーサルミュージックの担当者にポスター掲出の背景を聞いた。

真意をファンに直接伝えたい

ポストカード(提供写真)

 BOφWYは、群馬県出身の氷室京介(Vo)、布袋寅泰(Gt&Cho)、松井常松(Ba)と福島県出身の高橋まこと(Dr)で構成されたバンド。1982年にアルバム『MORAL』でデビュー。「MARIONETTE」等数々の名曲を生み出し、1987年に解散宣言。「BOφWY」としての活動期間はたった6年だが、今もなお人気だ。

 今回、BOφWYの謎のポスターが高崎駅に掲出されたのは、6月2日から11日の間で、5枚。もともと、ファンの間で伝説のライブの一つに数えられる『“GIGS” CASE OF BOφWY』の全演奏曲収録のCD発売を告知するものだったが、情報量は出来る限り抑え、メンバーシルエットと「20170807」という数字のみを表記した。※発売元のユニバーサルミュージックの表記はされていたという。

 3日には同県渋川市の伊香保グリーン牧場で、BOφWYのヒット曲を大所帯バンドで演奏するイベント『1000人ROCK FES.GUNMA』が開かれたこともあり、高崎駅を利用する同イベントの来場者の目に留まり、それら情報をSNSで投稿。瞬く間に広がり、ツイッターではトレンド1位に。新聞でも報道されることになった。そもそもなぜこのような展開をしたのか。レコード会社の担当者はこう語る。

 「ファンの方々になるべく多くの音源を届けたい。更に、それを通じて彼らの魅力を、当時を知らない若年層にも伝えたい、そして改めて再認識する機会を設けたいという思いがありました。BOφWY作品はこれまでも何度か再発盤をリリースしています。その真意をファンの方に直接お伝えするには、メディア等の広告によるものでなく、彼らの出身地である高崎にポイントを絞り、情報に接したファンの方がファンの方へ伝えて頂く形が良いと考えました」

復活説が出回った背景

高崎駅構内に掲出されたポスター(提供写真)

 その反響は大きく、「復活もあるのでは」という情報も出回り、更にあるテレビ番組で、BOφWYファンとするタレントが「復活も期待…」と発言したことで更に火が広がった。

 そうした反響も受けて周辺各所には問い合わせが殺到。広告代理店を通じて「もう少し詳細を入れて欲しい」との要望が入ったことから急きょ、特設サイトのアドレスが表記されたステッカーをポスターに貼り付けたという。

 また、その反響は更に波及する。勘の良いファンは、数字の意味する「20170807」、8月7日は『CASE OF BOφWY』横浜公演がおこなわれた日だと察知。更に、その日の東京ドームの日程を調べ、月曜日であることからプロ野球はオフ日、空いていることからもしかすれば再結成ライブがおこなわれるのでは、という深読みをし、その情報は拡散された。また、CDショップからも反響の声が挙がったという。

 「横浜公演が開催された8月7日の発売日は何があってもずらせません。内情ですが、作品の発売予定日は、当社では2カ月前の10日くらいに、CDショップなどに伝えることになっています。6月は、10日が土曜日であったため、その前日の9日金曜日に情報を流したわけですが、それがたまたま6月9日、ロックの日でした。ショップ関係者からは“粋なことをしますね”と言われましたが、たまたまで」

発売タイミングの意図

「“GIGS”CASE OF BOφWY-THE ORIGINAL-」ジャケット

 氷室京介は現在、耳の不調などによりライブ活動を無期限休止中。イギリスに拠点を置く布袋寅泰は10月から日本ツアーを開催。英国と日本をまたにかけライブを展開。松井常松は今年2月にアルバム『Heart Rate』をリリース、高橋まことはJETSETBOYSなどそれぞれ活動を続けている。今年、BOφWYはデビュー35周年。そもそも、なぜこのタイミングで発売を決めたのか。

 「今回、キャッチーコピーに『全ての真実』という言葉を使っていますが、それは当時あの場で演奏した全曲が解禁になるという意味です。ファンの心理は、全てを知りたい、ということだと思います。素材としてあるわけですから出したらどうかと。出るべくして出る、という意味が強く、今だからこそ出せたと思います。まさに機が熟してのリリースです」

 『“GIGS” CASE OF BOφWY』は、BOφWYが解散を宣言した1987年におこなわれたライブだ。彼らのレパートリーを全て演奏するある意味、集大成という位置づけだった。このライブをおこなった後、後に最後だとわかるアルバム『PSYCHOPATH』をリリース。それを携えておこなった全国ツアーの最終日、12月24日の渋谷公会堂で解散を宣言。『CASE OF BOφWY』は重要な意味を持つライブだった。

 「『CASE OF BOφWY』で、自分達は『ライブバンドだ』という確固たるものを示したかったと思います。BOφWY人気の転機になったのはアルバム『BOφWY』。その後、初のホールツアーも成功させましたが、それまでにリリースした楽曲は以降、大きな会場になってからは一部を除いてはやっていません。『CASE OF BOφWY』は、そういう初期の頃も含め、自分達が作った楽曲全てにもう一度、命を吹き込むといいますか、大勢のファンに曲を聴いてもらいたかったという気持ちがありました」

 更にこう続ける。

 「大規模会場のライブでほとんど演奏されてこなかった初期の曲を4人で演奏しています。その時の4人の思いたるや。どんなことを考えながらステージに立っていたんだろうと思うと…。メンバーはそれぞれ群馬や福島から出てきて、何年も売れなくて、そんな歴史があればこそ、いろんなことを思いながらステージに立っていたと思います」

 ポスターに端を発し、ファンによって広がりを見せた今回の騒動。復活とはなりそうもないが、彼らの音楽は35年を経った今、この作品をもって再び命が吹き込まれることだろう。

【取材=木村陽仁】

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