感じてきた事を一番大事に、阪本奨悟 役者から夢だった歌手へ
INTERVIEW

感じてきた事を一番大事に、阪本奨悟 役者から夢だった歌手へ


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年06月11日

読了時間:約14分

「今まで支えられていたんだ」というのを痛感

阪本奨悟

――初めて作った曲は今でも歌っていますか?

 たまにですが、歌っています。「Something brilliant now」というタイトルで、当時のままの形で残っています。割と周りの方には「凄く良い」と言って頂けて。そうした声も励みになって「自分はもっとたくさん曲が作れる」と思えました。

――2012年末からシンガーソングライターとしての活動が始まって約4年が経ちますが、この間はライブや曲制作という活動を?

 それらの繰り返しでした。ひたすら曲を作ってライブをして、色んな場所に行って歌っていましたし、路上でもライブをしていました。最初は路上しか歌う場所が無くて。路上ライブは友達に見られたくないという思いもあって地元から離れた、大阪駅周辺でした。

――お客さんがいなかった時期もあったのですか。

 ありました。路上ライブでも全然、聴いてくれませんでした。当時は暗い曲ばかりを書いていたんです。自分で選んだ道でしたが、役者を辞めた事を凄く後悔していまして。「あのまま続けていればもっと楽にいけたのかな?」「何で自分を苦しめているんだろう?」とも思ったりして…。

――役者をやりながらシンガーソングライターを目指すという方法もあった中で、あえて役者の方を切り捨てた訳ですものね。

 そうですね。根っからの“カッコ付け”なんですよね。17歳の頃は年齢的にもモヤモヤしていた時期で、自分の事をカッコいいと思えなくて、認める事が出来なかったんです。役者も親の勧めでやったのがもともとの始まりだったので、それで順調にやっている自分がカッコいいとは思えなかった…。

 役者をやりながら音楽に挑戦することも出来たと思うんですけど、「役者を使って音楽をやっている人でしょ?」と言われちゃうのかなと思えまして。でもちゃんと音楽と向き合っていれば、それを理解してくれる人もいる訳で、今では結局は自分次第なんだって思ってるんですけど、あの頃はどんどんマイナスに考えていました。もっと器用に頭を使っていればと、後になって後悔しました。

――路上ライブ時代に学んだ事は?

 全部が勉強になりました。一人で活動するという事が初めてだったので、「今まで支えられていたんだ」というのを痛感しました。役者として横浜アリーナで主役として出演が出来たのも、何一つ自分一人では出来なかった事なんだと理解したんです。一人で音楽をやっても誰も気にかけてくれなかったし、初めて“感謝”という言葉の意味が分かった時でした。

――10代の頃にそういった事への気づきを得たのは大きいと思います。

 華やかな役者の舞台から活動場所が路上になったので、落差はすごくありました。最初から音楽だけをやる為に路上でライブをするのはむしろ自然な事かもしれないですけど、僕は輝いている舞台からの景色を見てしまっていた分、ドン底に思えたところもあるんです。でも気付けた事は“感謝”で、支えてくれていた人がどれだけありがたいかという事を路上で感じした。家族や友人の大切さというのも分かりましたし、今になってですけど、メジャーデビューも見えてきてあの頃の心境は財産なんだと思えるようになったんです。歌詞にしても、あの頃の事を思い出して書く事が多いです。

――それを機に楽曲や歌詞にも変化が出た?

 すごく変わりました。「自分への応援歌」みたいなものをたくさん書いていました。それは本当にあの頃でないと書けなかったと思います。今改めてその頃に書いた曲をライブで歌っても、自然と気持ちが入るんです。その頃のメッセージを今の自分が見ても、自分にとっての背中を押してくれるメッセージになっています。

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