感じてきた事を一番大事に、阪本奨悟 役者から夢だった歌手へ
INTERVIEW

感じてきた事を一番大事に、阪本奨悟 役者から夢だった歌手へ


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年06月11日

読了時間:約14分

路上ライブ時代の経験が自身を大きくさせた…、阪本奨悟にとって音楽とは(撮影・冨田味我)

 兵庫県西宮市出身のシンガーソングライター・阪本奨悟(23)が5月31日に、メジャーデビューシングル「鼻声/しょっぱい涙」をリリースした。過去に、ミュージカル『テニスの王子様』やNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』に出演。役者としての将来を期待されながらも、音楽への強い思いからその道を選び、東京を離れ、地元関西で単身音楽活動を始めた。2014年には東京で活動再開、昨年6月にはミニアルバム『Fly』をリリースするなど、自身の夢を着実に叶えている。順風満帆だった役者を辞め、自身の夢を選択したが当時は後悔もあったという。路上ライブでの経験が自身の大きくさせたとも語る彼の道のりや当時抱えていた思いとはどのようなものだったのか。そして、プロデューサーに新たな一面が引き出されたという「鼻声」に寄せた思いとは。

説明書を見ずにプラモデルを作っていた

阪本奨悟

阪本奨悟

――俳優としてデビューをした後にシンガーソングライターとして再スタートを切った経緯は?

 役者の仕事は12歳の頃からです。子役をやり始めて17歳くらいまでやっていました。もともと音楽はずっと好きで、父親がジャズギターをやっていた事もあっていつも身近に音楽が流れていた環境です。小学校高学年の頃に何となくギターを触っていたら父が弾き方を教えてくれて、それがきっかけでギターを弾き始めました。同時に歌も楽しいものだと思っていたので、友達とカラオケに行ったりしていました。

 音楽は父の影響も強かったのですが、「やりたい」と強く思った一番のきっかけは中学2年の時です。ミュージカル『テニスの王子様』に出演して、1万人ものお客さんの前で歌ったときに「歌が楽しい」と思いました。

 それと、もともと物作りにも興味があったことも影響しています。小さい頃、プラモデルを作るのに説明書をあえて見ないで組み立てたりして。考えながらやるのが好きで、最初に持った将来の夢が大工さんでもありました。工事現場で建築物が日に日に出来上がっていく様子を見るのが楽しくて。設計士にも憧れてました。

 それでなのか、自分でも「曲を作ってみよう」と思うようになりました。先ほども触れましたが「何かを作る」という事が好きだったので、自分も曲は作れると漠然と思っていました。それで中学2年の時に初めて作曲をして。それが凄く楽しくて。

 そこで「もっと自分の曲でたくさんの人に歌を聴いてもらいたい」という思いが膨らんできまして。その時に役者を辞める選択をして。スタッフさんとも話を重ね、僕の意見を尊重して頂きました。ただ、その時点で(意識的にも)すぐにアーティスト活動が出来るという状態ではなかったので、一度役者の仕事をストップして、ゼロからスタートを切りました。

――一度決めたらやり通す、頑固なところも?

 けっこうそうですね。「誰が何と言おうと」と思っちゃいます(笑)。

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阪本奨悟

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