手首には、正中神経が通る管なるものがある。トンネルを抜けるとそこは雪だった、ならぬ手だった、というわけだが、この管の中で何らかの圧力がかかり、神経が圧迫された状態になると、手や指にしびれや痛みが生じる。これを手根管症候群(しゅこんかんしょうこうぐん)と呼ぶそうだ。

 小生は珍しいことに、両手がそのようなことになった。「何事も経験」をモットーに生きる身としては前向きに捉えたのだが、なんせ手が思うように動かなくなるのだから、仕事や生活に支障をきたしてしょうがない。字は書けない、ペットボトルの蓋は開けられない、といった具合で不便だった。

 結局、手術しなければいかん、と言うところまでひどく神経が圧迫されていたので、日を分けて受けた。この手術を手根管開放手術と言うそうな。初めての手術室に、初めて手術台。緊張して初めのうちは気付かなかったが、室内には音楽が流れていた。最近のドラマでみられる光景で、患者にリラックスしてもらおうという意図があるようだ。そのドラマの印象から流れているのはクラシックかと思えば、J-POPだった。

 その理由は聞きそびれたが、手術中、何度も私に話しかけ「不安だったら言ってくださいね」「話し相手になりますよ」「話していると気が紛れますからね」と安心感を与えようとする医師の姿をみると、馴染みのある音楽を流したほうがよりリラックス効果が得られるとの配慮なのだろう。ちなみにその医師は術後、こう言っていた。「好きな音楽を聞いておけば良かったですね」。

 一方、MRI検査を受けた時はジャズだった。MRIの撮影中は、ブザーや機械音が鳴り響くために少しでも不快感を和らげようとヘッドフォンをはめさせられた。そこから静かに流れていたのがジャズだった。確かに撮影中は機械がけたたましい音を立てていたが、元来、周囲の声? 音? があまり気にならない小生は、ジャズのリズムに心地良さを覚えうたた寝。波長が合ったのか、幸いにもそのリラックス効果はてき面だった。ちなみに知人の場合はクラシックだったそうだ。

 病院などによって事情は異なると思うが、不安感を取り除くために使われる音楽。音楽療法という言葉を聞くが、こうしたシーンにおいても音楽が役立てられていることをこの病気を通して再認識した。それと同時に、先日、インタビューをおこなった、音楽に従事する米企業家の言葉が思い出された。「何かを食べたり水を飲んだりする事のように音楽は必要不可欠なもの。想像を超えるチカラが音楽にはある」。(文・木村陽仁)

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