イエモンが存在し続ける理由、4万人に誓ったたまアリの夜
THE YELLOW MONKEYはもう一生解散しません
この4人が紡ぎ出すサウンドは、様々なバンドに影響を与えてきた。バンドとしてのカッコよさ、気持ち良さが生のサウンドで鮮烈に伝わってきた。ゆらゆらと妖艶な動きの吉井のセクシーな姿に目を奪われる。ハイトーンボイスのボーカルが90年代を席巻する中、吉井の中低域の音域をメインに歌っていくスタイルは当時でも異色だった。独自のスタイルがここでも遺憾なく発揮されている。
菊地英昭の艶やかなリードギターに酔いしれ、廣瀬のグルーヴィーなベースラインとコーラスワークに心踊り、菊地英二の存在感のあるドラムサウンドに体が自然と揺れる。そこにサポートキーボードの鶴谷崇の鮮やかな音色が彩りを添える。サウンド、ステージング含めこれぞロックバンド“THE YELLOW MONKEY”という、一体感のあるショウを魅せつけていった。アレンジがほぼ原曲に忠実に再現されていたのもファンには嬉しいポイントだろう。
ライブ終盤に吉井は「THE YELLOW MONKEYの吉井和哉です。これからはこれがフルネームでもいいくらいです。THE YELLOW MONKEYが苗字、“の吉井”がミドルネーム、そして名前が和哉、“の吉井”さんと呼んでください。THE YELLOW MONKEYはもう一生解散しません。どうか皆さんの人生のBGMとして THE YELLOW MONKEYを仲間に入れてくれませんか? THE YELLOW MONKEYで音楽をやることが生まれてきた理由だと思っています。このメンバーでバカなロックンロールをやっていくぜ!」と、この先の未来もバンドを続けていくことを誓うと、オーディエンスの歓喜の声でホールは包まれた。
そして、「この15年の歳月は、言葉では言い表せない感じなんですけど、2001年の1月8日、東京ドームで実質最後のワンマンライブをやらせてもらって活動を休止し、解散したんですけど、その時のライブでまたこうやって会えた時、お互い色々悔いのない人生を送っているようにと言葉を交わし合った記憶があります。メンバーにも15年間いろんなことがありました。勿論みなさんにもいろんなことがあったと思います。そして、この日本もいろんなことがありました」。
「良く聞く嬉しい声で『THE YELLOW MONKEYがある世界を私たちは楽しんで良いんだ』という言葉を見るたびに自分も同じような気持ちになります。その15年も楽しかったし、その15年があって今のTHE YELLOW MONKEY SUPERがあると思っています」と語り熱の入った演奏と歌でオーディエンスの心を揺さぶっていった。
月日を重ねるごとに楽曲は古くなっていくのは常だ。だが演奏されたTHE YELLOW MONKEYの音楽達はエバーグリーンなロックンロールであった。MCで吉井が話していた「いつまでも歌っていけるナンバー」を体現し、今の音楽へと昇華していく。往年のファンにはノスタルジックな気持ちにさせ、若い世代には新鮮に聴こえ目に映ったはずだ。このメンバーの今でしか出せないサウンド。そのステージにはバンドの生き様が刻み込まれていた。ここまで様々な経験をしてきた個々のキャリアの説得力がこのライブにはあった。
ドラムスの菊地英二は終演後の客電(客席の照明)がついたところで「みんなに言われて嬉しい言葉があった。“生きてて良かった”というやつ、俺も生きてて良かった、生まれてきて良かった」と語りその言葉に思いを馳せた。
「THE YELLOW MONKEYはもう一生解散しません」。この言葉にはもう希望しかない。(取材・村上順一)