総監督してAKB48を支えてきた高橋みなみ。その役目は横山由依らに引き継ぎ、今月8日に同グループを卒業した。その高橋が今の自分を支える決意をもったのは、2006年にラジオ番組で共演したw-inds.と「同じ目線で会話してみたいと思った」ことだったようだ。

 7日放送された、NHK Eテレの『ミュージック・ポートレイト』に高橋とT.M.Revolutionの西川貴教が出演し、人生を変えた楽曲とそのエピソードについて語った。高橋は「親が昔から私を芸能界に入れたい願望が強かった」と芸能界入りは家族の夢だったことを告白。

 家族の意向で受け続けた芸能界のオーディションはやがて自身の意志で受けるようになり、そうしたなかで2005年にAKB48のオーデションに出会った。高橋は当時14歳だった。「そのオーデションのチラシを配ってる人が、キャバクラのキャッチみたいな風貌でとても怪しかったので近づかなかった」ようだが、母親がすでにチラシを貰っていて、そこには作詞家でプロデューサーの秋元康の名前が記載していたことから、母親に「秋元康さんは凄い人だから大丈夫よ」と説得されたという。

 その高橋は、応募総数7924人の中から勝ち抜き、AKB48正式メンバーとしてアイドル活動をおこなうことになった。最初は歌手を目指していた本人にとってダンスの振付など、理想とのギャップに戸惑ったという。そんな高橋のくすぶる思いを変えてくれたのは、ファンクラブにも所属し本人も「ガチオタだった」と語るほど大ファンであるという、男性3人組ダンス・ボーカルユニットのw-inds.との対面だったという。

 2006年にAKB48のメンバーが、週替わりで3人出演しアシスタントを務めていたラジオ番組、TOKYO FMの『カウントダウン・ジャパン』にw-inds.が出演。当時大ファンだった高橋は、緊張のあまり全く話せなかった苦い体験を振り返り、その時自分が一般人と変わらないなと気付いたという。同時に彼女にとってそれは屈辱的で「悔しいし、悲しかった。同じフィールド、目線で会話してみたいと思った」とAKB48グループの初代総監督を務めるまで成長した、たかみなの今を支える強い決心がそこで芽生えたことを語った。

 番組視聴者からもツイッターで「とても面白かった。全然芽が出なくて悔しくて嫉妬して腐って、歌をやめる人は沢山いるけど、嫉妬心を活力にして彼らは頑張ってきたと」などのコメントが寄せられた。知られざる歴史に感銘を受けた様子が見られた。

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