シルエットやロゴには“歯科医師”としての気持ちが反映されている

シルエットやロゴには“歯科医師”としての気持ちが反映されている

 東日本大震災で被災した人々を勇気づけようと、被災地には多くの歌手やタレントら著名人が訪れ、ライブやイベント、炊き出しなどをおこなっている。人それぞれの向き合い方はある。歯科医師免許を持つGReeeeNのHIDEは、震災発生後の翌月に、グループの活動拠点である福島県で、被災した身元不明者の検死作業に従事した。11日に発売された、彼らの軌跡を追った新刊『それってキセキ ~GReeeeNの物語~』では当時の様子が詳細に綴られている。

 顔の露出がない、謎多きボーカルグループとして2006年にデビューした。当時は、全員が大学の歯学部に通いながら音楽活動を両立させていることが注目され、2007年リリースの「愛唄」では自身初のオリコン2位となった。

 彼らの名前を日本全国に広めたのは、2008年に放送されたTBS系ドラマ『ROOKIES』。テーマソングに起用された「キセキ」は、ドラマの高視聴率とも重なってCDの売り上げは400万枚を超え、ダウンロード配信でも軒並み1位になるなど、大ヒットを記録した。その後も「扉」や「刹那」などのヒット曲を生み出していった。

学業に支障きたさないことが理由

初の単行本「それってキセキ~GReeeeNの物語~」表紙

初の単行本「それってキセキ~GReeeeNの物語~」表紙

 父親が医療従事者だったHIDEは、医師になることが前提にあった。そのなかで母の影響もあり、歯科医師を選択、大学では歯学部に通った。

 歯科医師免許取得のための国家試験を前に、グループの活動停止あるいは解散も考えていた。しかし、彼らの音楽に惚れ込んだ音楽芸能事務所、そしてレコード会社が猛アタック。最終的にメジャーデビューを決めたが、学業に支障をきたさないように「顔は出さない」「本名はなのらない」という異例の条件を付けた。

 2010年までにメンバー4人全員が歯科医師免許を取得。その後は福島県内の大学病院で医師として従事。歯科医を続けながら音楽活動をおこなっている。

 いつもと変わらずに患者の治療をおこなっていたところに震災は起きた。患者を椅子からおろすの精一杯だった。余震が続くなか、患者を避難させ、マイナスの寒下で暖を取らせようと自身の車も使った。

身元確認作業

 検死作業は、津波で亡くなった被災者の遺体を検死する医師が不足していると県警からの要請があり、その貼り紙を見て手を挙げた。ボランティアで歯科治療はおこなっていたが、要請がないと動けないもどかしさと、郡山にいる歯医者としてせめて出来ることを、という思いだった。検死は、福島・相馬の遺体検安所で実施した。無数に並べてある棺桶。家族のすすり泣く声が響く。

 HIDEは検死のため、遺体の口を開ける際には「お口の中拝見しますね」という言葉をかけた。多い日には20~30の遺体が運び込まれる。遺体の口を開け、カルテを作り、レントゲンを撮り、口を丁寧に閉じる。その日、最後に検死したのは女子高生の遺体だった。「娘かもしれない」という家族が待っていた。検死データと既存のカルテを丁寧に突き合わせた結果、当人と合致した。

 遺族からは「うちは家内と長女が津波にやられました。家内はまだ見つかっていません。でも、この子を今日、見つけてやれました。先生のお陰です。有難うございます」「家族と一緒にいられます」(本書引用)という言葉を受けた。

 遺体安置所を出たあと、耳にはひとつも音楽は聞こえてこなかった。音楽が消えた。3日放送のTBS系放送番組『NEWS23』の取材ではこうも振り返っていた。「すごい衝撃を受けた。しばらく音楽のメロディが思い浮かばなかった。音楽に意味を見いだせなかった」。しかし、それは少女によって改めさせられるのである。同書によれば、避難所で2人の少女が「キセキ」を口ずさんでいた。HIDEの正体を知ってか知らずか、少女たちは気にすることなく自身の前で唄った。その「キセキ」の歌声に、逆に励まされた。

なぜ“二足のわらじ”なのか

 HIDEは同書のエピローグとしてこうつづっている。「GReeeeNはGReeeeNの曲を求めてくれる人が一人でもいる限り絶対に存在するってこと。だから「ありがとう」の気持ちをこもった曲しか作れない」。

 また、前記の『NEWS23』の取材でこうも語っている。「人生、震災だけじゃなくいろんなことが起こる。悩んだこととか楽しいことがあって、それが歌になって、聞いてくれた人が何かを思ってくれればいいかな、と。僕らはきっかけでしかない。それで充分」。

 HIDE、GReeeeNにとって医療も音楽も同じ、人に愛を届けるものであり、同等に大切で、同等に思いや力を込めている。震災後の経験はそれをより一層強くしている。528ページにわたる同書にはそうした思いが鮮明に記録されている。(文・木村陽仁)

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