あれから2年、氷室はいま

 あれから2年。これまでを氷室はどのように過ごしていたのか。怪我をした体を治し、また耳の治療を行い、耳を休める事で、聴覚に改善の兆しがあるという。しかし、完全に治るわけではない。そのなかでアルバムのための新録など創作活動をアメリカで行なっていた。4月13日に発売される自身初となるオールキャリア・ベストアルバム「L’ÉPILOGUE」にはBOØWY時代の楽曲7曲を再レコーディングし、収録している。

2つの「LAST GIGS」

 そして、ファイナルツアーの「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」というタイトルに込められた思い。BOφWYを知るファンであれば、あの当時を思い出すのではないだろうか。そう、BOφWYのファイナルコンサート「LAST GIGS」だ。

 BOφWYは1981年に、氷室京介、布袋寅泰、松井恒松、高橋まことらが中心となって結成。その後4人体制となる。当時、ロックバンドでは異例ともいえる5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』でミリオンセラーを達成。シングルでも1987年に「MARIONETTE」が初登場1位を記録した。

 その人気絶頂期のなか、1987年12月24日に渋谷公会堂で行われた公演で解散を宣言。突然の出来事に大きな衝撃を与えた。このときのエピソードは都市伝説にもなっているが、バンドはこの公演をもって解散したというスタンスであり、その後の公演は当初は予定されていなかったという説がある。しかし、翌年1988年4月4日・5日に東京ドームで「LAST GIGS」を開催。ただ、位置づけは解散コンサートではなく「少し早い同窓会」だとメンバーは語っていたそうだ。

 ちなみに、この「LAST GIGS」では9万枚以上用意されていたチケットは僅か10分で完売。予約の電話が殺到した結果、文京区の電話回線がパンクするという事態が起こった。これにより文京エリアの通信回線(交換機)は増強されたという話も聞いたことがある。まさに社会現象となった。

 この「LAST GIGS」。BOØWYとつながるのは、既に氷室京介としてのライブ活動は、一昨年の7月19日・20日の横浜スタジアム公演で終えたということ。そして、氷室京介の「LAST GIGS」はファンのために設けるというものだ。くしくもBOØWY時代の「LAST GIGS」と同じ月にスタートする。

ファンとの同窓会

 そして、もう1つ込められている思いがあるのではないかと考える。

 前記の通り、氷室はBOØWYの「LAST GIGS」開催3カ月後の7月にはシングル「ANGEL」でソロデビューしている。氷室京介の「LAST GIGS」はこれまでの“氷室京介“を一度終えるにほかならない。そして、新たな氷室京介がその後、何か月か先、あるいは何年か先に待っている。現段階では創作活動は続けると報じられている。

 氷室は横浜スタジアム公演の最後にこうも語った。「こんな情けない人間を支えてくれる連中が集まってくれたら嬉しい」。BOØWYの「LAST GIGS」が「少し早い同窓会」と語られていたように、氷室京介の「LAST GIGS」も長年ともに歩んできたファンとの同窓会。そして、今後の未来を見つめる良い機会であろう。

 ファンとの絆が生んだのが今回のファイナルツアー。それが「LAST GIGS」だ。(文・木村陽仁)

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氷室京介「LAST GIGS」の意味とは

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