まるで官能小説のよう SEAMOとAZUが表現した男女の慕情
INTERVIEW

まるで官能小説のよう SEAMOとAZUが表現した男女の慕情


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年02月18日

読了時間:約22分

韻を踏む“官能小説”

AZU

AZU

――今回の作品は楽曲面のみならず、一つの小説、短編としても名作だと思います

AZU ありがとうございます!

――男女の関係性が描かれていて、描写がリアルでエロティックで

AZU 官能小説みたいな(笑)

SEAMO ちなみにその作品は、僕ではなく彼女から案が出てきたんです。ものによって僕発信、彼女発信とあるのですが、官能小説に関しては彼女が。

AZU 官能小説じゃない! 曲!(笑)

SEAMO もう官能小説のデモが上がってきて「これどう料理しようかな?」って。まあ、「今、彼女はこういうテンションなんだな」と思いましたね。

――聴いていると悶々してくるようにいやらしく

AZU ですよね! それ狙ってるんですよ!

SEAMO 実は洋楽ではこういうのよくあるんですよ。“ネト”っとした営みだったりとか、いわゆる性器の事にクローズアップしたりとか、全然あるんですよ。日本ではそれは隠す文化というか。でもそれも、エロい事を言って許される人と許されない人とがいるじゃないですか? 爽やかに、ポップに昇華できるというのはきっと僕らのいいところで、意外と耐えられると言うか、「オシャレだね」というところに落とし込めたんじゃないかなと。

――AZUさんは、今回の相手がSAEMOさんだから、こうした部分が出せたというのもあったのでしょうか?

AZU そうですね。たぶん私よりぶっ飛んでるリリックを出してくるだろうと思って。

SEAMO きっとそういうのが引出しに無いタイプの方もいらっしゃると思うんですね。いわゆる三枚目の方とか、二枚目でも自分ではユニークな事とかエッチな事とか歌わない人もいるだろうし、女性でもそうだし。だから僕ならやってくれるだろうなと思ってそういうのを投げてくれたんだと思うし、僕も逆に「大丈夫だろうな」と思ってこういうのを打ち返したりとか。

情景描写にHIP HOPの魅力も

SEAMOとAZU

SEAMOとAZU

――HIP HOPのアルバムというのは、あらかじめストーリーが出来ているものなのでしょうか?

SEAMO いろんなパターンがあると思いますね。

AZU 最初にストーリーやテーマ性を決めて作っていく人達もいますし、とにかく自分達がつくりたい音楽を寄せ集めて一つのアルバムにしちゃうというやり方もありますし。

SEAMO 偏見かもしれないですけど、僕が思うにHIP HOPをやる人達ってアウトローで、所詮悪ガキな人達で、学の無い人達の究極の文化というか、本当に普段の事「今日こんなお姉ちゃんと寝てすげえリッチな気分になったな」という事だけで一曲書いちゃう人達なんですよね。それがこの僕たちのミュージックのいい所でもあるんです。それをえぐり取るように情景描写する所に高尚な部分があるので、世の中にある題材とか何でも断片的に拾い上げて歌にしちゃうという。なんか旨い食い物の事だけに対して歌ったりとか、女の子を抱いたとか、で、最終的にどうだったかというか「女の子を抱いて最高に気持ち良かったぜ」とか、それだけなんですよ。そういう風に出来るのが僕たちの音楽のいい所でもあるので。僕は世の中であった事とか、「こういうタイトルの曲にしよう」というものを普段書き留めておくんです。例えば「Anywhere Door」という曲も「『どこでもドア』っていう曲にしよう」という事で、発進はもうそれだけなんですよ。「どこでもドアがあれば大切な人に会いに行けるよね」と後で広がっていったりとか。僕はそういうパターンが多いです。

――文藝春秋を創刊した文豪の菊池寛はトピック主義とも言われていました。編集長時代はいくつか題目を挙げてそれをもとに記者に取材させていったとようで、それが見ごとにはまって部数を伸ばしたとか。これとも通じると思いますが、最初にタイトルを打ち出して、後から歌を作り挙げていく感覚でしょうか

SEAMO 僕はそうです。昔は逆だったんです。一生懸命恋愛の歌を書こうとか、人生頑張れとか、そういう事に対して書いて、最終的に書き上げたものに対して「これ何の曲なんだ?」ってタイトルをつけるのに凄く困ったりとか、スタッフとそのタイトルをディスカッションしたりとか。それである時、タイトルから作るようにしたんです。そうしたら作品作りが凄くスムーズになって、しかも押し出しが強いし、タイトルの時点で世の中に出ているものと被らないし、内容も一味違うものになるし。だから今はトピック主義というか、そこから掘り下げていくというか。

――その分岐点となった作品は?

SEAMO 分岐点というより、一回りしてからという感じですかね。デビューしてから、世の中のたくさんの先輩方や参考になるアーティストがいて、みんなラブソング書いて、人生頑張れよみたいな曲書いて、友達の曲書いてとか、家族の曲書いてと、ひと回りしたくらいからですよね。それからそういう形になっていったと言いますか。

 でも、『君に1日1回「好き」と言う』(編注=2012年6月6日発売の16枚目シングル)という曲があって、それはラブソングなんですけど、「毎日“好き”って言うのはマンネリ化すると言わなくなるけど、毎日伝えるのって大切だよな」と思いまして。何でかというと、例えば不慮の事故で好きな人を亡くしてしまった時、「こんな事になるんだったら昨日までもっとこうしていれば良かった…」と、後悔の念を伝えるニュースを見た時に、そうすると毎日毎日、今日が最後だというくらいの気持ちで「好きだよ」と言っておく必要があるなと、そういうの大事だよな、という事だけで一曲書くと、結果誰とも被らないしオリジナルのものが出来るなと思いまして。その辺かもしれないですね。そうすると僕にとってみたら4〜5年前くらいですかね。

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