STU48の1期生・岩田陽菜が、20日に広島JMSアステールプラザ 大ホールで開催される『STU48 岩田陽菜卒業コンサート~皆のことが好きなそ〜』、そして5月1日の地元山口県の周南RISING HALLで開催される『STU48「花は誰のもの?」公演〜岩田陽菜卒業公演〜』をもって約7年間のアイドル活動に終止符を打つ。小嶋陽菜に憧れアイドルになりたくてオーディションを受け続け、5回目で射止めたのは新しく誕生したSTU48だった。身なりや振る舞い、パフォーマンスはまさに「ザ・アイドル」。それだけに卒業発表は意外だった。なぜ卒業を決めたのか。【取材=木村武雄】
卒業理由
――卒業発表は驚きました。
STU48の中でもいっぱい経験できた方だと思うので、達成感みたいなものはありますし、他に自分のやりたいことをやりたいなって思うようになりました。
――ここ数カ月でだいぶ大人っぽくなりましたね。
20歳になってから大人っぽくなったねって言われる回数がすごく増えました!
――何か自分のなかで殻を破たったなという感覚は?
特にはないんですけど、しっかりしないといけない、これから一人で生きていかないといけないという気持ちにはなっています。
――卒業発表してから変わった部分もある?
それもあると思います。一人暮らしをするのも初めてだし、グループを離れて一人で活動をするのも初めて。一人でやらないと、という気持ちで最近は頑張ってます。それまでは一人では何もできなかったので。
――正直、卒業と一番遠いと思っていました。
それもよく言われるんです。「陽菜ちゃんはずっとアイドルだね」って言われるんですけど、もちろん私もアイドルは好きだし、アイドルをやっている時もめちゃくちゃ好きなんですけど、それ以上に自分のやれることをやってみたい、というチャレンジ心が大きくなりました。
――そう思うようになったのはどれぐらいの時ですか?
20歳になってから「これから先どうしようかな」と考えるようになって。初期から7年間やっていて、選抜メンバーにも1枚目から10枚目までずっと選んでいただいたり、AKB48さんのカップリング選抜にも選んでいただいて。アンダー17の選抜でコンサートをやったり、ずっと出たかった音楽番組にも出られたり、写真集も発売できて、自分の中でこれ以上ない経験をさせていただき、そこで考えるようになりました。
――やっぱり写真集は大きいですか?
大きいです。一つの夢だったので。STU48を引っ張っているメンバーが出している印象だったので、自分も出せたら…と憧れがありました。なので、結構大きな経験でした。
――写真集で今まで見せてこなかった大胆な肌見せにも挑戦して。
あそこで大人になった感じがあります。STU48の1期生のなかで年少メンバーで、ずっと可愛がってもらったので、ようやく大人になれたという感じはありました。
――20歳を起点に写真集などの経験で徐々に自分の気持ちが変わっていったことなんですね。
正直、起点を探すのは難しいんですけど、卒業はいろんなことがあって決めたことなので。ただ大人としての考え方とか、大人になるという点では写真集が一番大きかったと思います。
――いろんな経験や思いが積み重なっての決断なんですね。
そうです。夢を積み重ね、その先に卒業があったという感じです。
――小嶋陽菜さんに憧れて、もう少し年齢を重ねてから卒業とはならなかったんですか?
25、6歳までやってもいいんじゃない?って言われて考えたりもしたんですけど、やっぱり自分のなかで今だなって思ったので。でも卒業はすごく寂しいです。卒業発表した時も大号泣だったんですけど、それ以上に自分一人でやってみたい好奇心があって。
グループカラー
――同郷の山口といえば、瀧野由美子さんですが、瀧野さんの卒業も大きかった?
やっぱりゆみりんはSTU48の初期からずっと引っ張ってきてたメンバーだったので、ゆみりんがいないSTU48は想像できなくて。ゆみりんの存在はすごく大きかったんだなってすごく感じました。
――活動の中で、同期あるいは後輩でもいいんですけど印象に残ってる言葉はありますか?
最近なんですけど、私の生誕祭の時に甲斐心愛ちゃんが、私に手紙を書いてくれたんです。その時の言葉に「陽菜はずっと、アイドルやめてもアイドルじゃけ」って。その言葉が嬉しかったです。アイドルになることはやっぱり自分の中ですごい夢だったから、それが終わるのは寂しいんですけど、心愛ちゃんがそう思ってくれていることがすごく嬉しかったです。
――卒業後は何をやるか決まっているんですか?
明確には決まってなくて。やりたいことはあるんですけど内緒です(笑)
――活動の中で特に印象に残っている期間はありますか?
コロナ禍の最初の時期は、アイドルとしてファンの皆さんに何ができるんだろうと考えた時期でした。ライブや握手会などができなくなり、ファンの方と直接会うことができないというのはすごくツラかったです。
――岩田さんは初期からずっと最前線でやってきているけど、気持ちの部分でちょっと控えている感じがしたんですよね。周りがお姉さんばかりだからかもしれないですが、この7年、どういう気持ちでいたんですか?
センターになりたいという気持ちはずっとありました。でもSTU48のイメージとして私はセンターじゃないのかな?という思いもずっとありました。周りには「陽菜ちゃんはもっと夢を語っていいんだよ」って言われるんですけど、私の夢はSTU48のイメージに合っているのかなってずっと思っていて。だから裏から支えるというか、STU48の中のアイドル要素でいられたらいいなという思いで活動してきました。
――でもセンターに一番近いと言われていたこともあって。
そうですね。やっぱり「瀬戸内の声」の時とかは兼任されていた岡田奈々さんとか、指原莉乃さんを除いたら2番手で、「暗闇」の時も「風を待つ」もそうでした。でもその時はまだ14歳でどうしたらいいか分からなかったんです。そうしたポジションもいただけるのはすごく嬉しいですし、ありがたいことなんですけど…。
――そういう夢を持ちながらもどうしたらいいか分からない若さからの戸惑いやグループのカラーなども考えるようになって、そういうのが自分の中にずっとあったんですね。
そうなんです。
――そういう葛藤というか、落ち着かない状況が続いていたけど、経験も積んで、20歳にもなって整理ができてきた、という感じですか?
そうですね。自分の中の気持ちも落ち着いてきました。
――アイドルの要素になれれば、というお話もありましたが、ここ最近の自分の立ち位置や心構えはどう持とうと考えていたんですか?
自分が楽しいことを皆に届けることが一番大事だなって思うようになったのは、この2年の中で一番大きいです。
感謝しかない
――STU48の中で、印象に残っている曲はなんですか?
自分にとって大切で、卒業した後に聴いたら泣くんじゃないかなって思うのは「暗闇」です。メジャーデビュー曲でもあるので「メジャーデビューした」っていう嬉しかった気持ちとか店舗ではSTU48のポップとかも作って飾ってくれて、そのうれしさや感動は、1期生で当時選抜入りしてるメンバーしか感じられなかったことだと思うので、思い入れはすごくあります。日本レコード大賞で歌わせていただいたり新人賞を獲らせていただいて、それもすごい嬉しかったです。あとやっぱり「暗闇」の歌詞が瀬戸内から都会に出た時の自分の葛藤とかを歌詞にしているので、私も卒業後は東京に上京しようと思っているので、この曲を聴いたらSTU48 にいた頃も思い出し、たぶんのその時の自分に合っていて泣けてくるんだろうなって思います。
――卒業公演で歌ったら泣いちゃいますね。
泣いちゃいます…。
――私が岩田さんに最初にインタビューしたのは「風を待つ」で、当時、その年1年間の公演出演数が一番だったという話をされていて、一生懸命しゃべろうという姿が印象に残っています。当時と比べたら大人になりましたし、落ち着いている感じもしますね。
懐かしいですね!ちゃんと大人になれて良かったです(笑)。全力でがむしゃらに頑張ったら成長してそれが安定してくると思っているので(笑)。
――改めてSTU48として過ごしたこの期間をどう思いますか?
やめたいなと思うことが何度もあったんですけど、でもやめなくて本当に良かったです。だから本当に応援してくださってるファンの皆さんや、いつも一緒に頑張ってくれているメンバーとか、支えてくださったスタッフさんとか、本当に感謝しかないなって思っています。ここまでいろんなことができたのも本当に支えてくださった皆さんのおかけだなってすごく思うので、改めてSTU48のメンバーになれて良かったなって思います。
――残るメンバーに伝えたい事はありますか?
ツラいからやめるのではなくて、自分の中で一人でもっと挑戦していきたいなって思ったタイミングでやめるのがいいなって思います。本当に先が見えなくなるぐらいツラいと思う時はあったんです。でも1年後にはこんなことが出来たという事だったり、やりたいっていっぱい言ってたら叶う事もあるので。
――すごくツラかったのはいつ頃ですか?
STU48号が最初にできた時の公演の初日メンバーに選ばれなかった時です。当時のSTU48の方向性と、自分のやりたいアイドルは違うんだって考えていました。すごくツラかったです。
――先ほど話されていたグループカラーに繋がる話ですね。最終活動日までどう過ごしていきたいんですか?
STU48に残せるものは残していきたいなってすごく思います。STU48の中のザ・アイドルみたいな位置づけだったので、卒業コンサートもプロデュースさせていただくんですけど、みんなの可愛い部分をたくさんお見せしたいなって思いますし、こういうタイプの人がいてもいいんだよというのを残していきたいなと思っています。
(おわり)