STU48の1期生・石田みなみが、4月6日に神戸ファッション美術館 オルビスホールで行われる卒業公演をもって約7年間のアイドル活動に終止符を打つ。公の場でもいつもにこやかな表情で周囲を和ませ、自身は努力家でメンバーからも慕われるいわばお姉さん的な存在だ。そんな彼女も仲の良い瀧野由美子を追うように卒業を発表した。なぜこのタイミングだったのか。そして彼女にとってこの7年はどういうものだったのか。【取材=木村武雄】
卒業までのいきさつ
――なぜこのタイミングでの卒業になったのですか?
卒業は2年前ぐらいから考えていました。年度の始まりにスタッフさんとの面談があるんですけど、2022年の時に「あと1、2年で辞めます」と伝えました。私のなかでは「2023年上半期には卒業を」と考えていたんですけど、瀧野由美子の卒業コンサートでSTU48として2度目のグリーンアリーナに立つこともあって、今のメンバーでグリーンアリーナに立って見送りたいという思いがありました。それで2023年の終わりに、ずっと言い続けてきたので今かなと思い、このタイミングになりました。
――卒業を考え始めたその年にロングヒットとなる「花は誰のもの?」がリリースされて、この年をどう見ていたんですか?
「STU48と言えばこの曲」というぐらい象徴になる曲ができたのはすごく大きなことだと思っていました。卒業する理由が、グループが嫌とかではなくて「自分の今後のため」でもあったので、グループの強みが出来た瞬間に立ち会えた、参加できたことは純粋に嬉しかったです。でも私の考えにブレはなかったです。
――卒業の一番の理由は「自分の今後」だったんですね。
表舞台に立つことは続けたいと思っていて、もし芸能活動を続けないという選択肢を持っていたら、もう少しSTU48にいたかもしれない。それくらいSTU48は居心地もよくて楽しい場所なんです。これから挑戦しようと思ったからからこそ、早めの方がいいのかなと思いました。
――それを思わせたのはお芝居の経験ですか?
映像作品でのお芝居が出来たメンバーはそんなに多くもないですし、舞台や朗読劇、ナレーションとかも経験させていただいたなかで、もちろんアイドルとしてステージに立ってパフォーマスをする瞬間もすごく楽しくて大好きなんですけど、それとは違う芝居という部分での表現もすごく楽しくて突き詰めていきたいという思いがどんどん強くなりました。でもグループのなかでは、そうした芝居に一人ひとりにチャンスが多く巡ってくるわけでもないですし、芝居の経験値を積み重ねていきたいと思った時に卒業してから学べるものもあるなと思いました。
自身の立ち位置
――選抜に入り続けてきましたが、STU48のなかでの自分の役割とか立ち位置はどう捉えていましたか?
自分で言うのもあれなんですけど「Anniversary Concert Documentary Book」とかの時に言っていたことを引用するなら「縁の下の力持ち」かなって思います。表立って何かを引っ張るタイプでもなくて、キャプテンの今村美月やセンターに立ってきたメンバーの相談というか、支えをしたいって思ってきましたし、新しく入ってくるメンバーに頼ってもらえていたと思います。そういう所に自分の役割があってSTU48を支えてはいけていたのかなって思っていました。
――それは最初からそう思えていたんですか?
やっぱりアイドルになってみんな憧れるのは、どれだけ前に立ちファンの方の前でパフォーマンスできるかで、最初からサポートする側を目指したいと思う人はなかなかいないと思うんです。私も最初はそういう気持ちでした。でも自分の性格的に自然とそうしてあげたいと思っている自分がいて、それは強みだと思いましたし、嫌ではなかったので。前に立つことも大事だけど、そういう所でもSTU48の力になれているんじゃないかと。そう思えたのは2期生が入ってきた時です。
――それまでは自分の中で辛く葛藤することもあったんですか?
ありました。10作連続で選抜に選んでいただけることは本当にありがたくて嬉しいことですが、「出航」のカップリングで2列目になった以外はずっと3列目。どの位置もありがたいんですけど、やっぱりファンの方からは、ステージを見た時にちょっと誰かと被ってるとか、そういう声も聞こえたので歯がゆさもありました。でも選抜に入れていただける喜びとありがたみも分かっているからこそ、そういう思いはこれまで隠していました。そういう事を誰にも言えなかったことは少し辛かったかもしれないです。
――それは仲のいいメンバーにも言ってない?
言ってないです。こういう気持ちはその位置にいる自分にしか分からないだろうなって。もし相談して良かれと思って言ってくれたとしても、色んな思いを抱えていた当時の私には受け止めきれないなって思っていました。
――2期生が入ってきて頼りにされていく中で、自分に合ったものを見つけられた?
そうですね。
――お芝居もスポットライトを浴びた時に「私の居場所はここにもある」と感じた?
ボイスドラマとかは特に一人での勝負で、声優さんと一緒に演技して歌を歌うことに怖さも正直あったんですけど、やってみたらすごく楽しくて。それにSTU48を知らない観客にも知ってもらえる機会にもなって。そこに心地よい責任を感じました。一人でやるのも大変だったけどそれを経験したからこそ少し自信になりました。でも声優さんと比べたら大きな差はありますしそれを少しでも縮めたいと思いました。
――活動のなかで一番印象に残ってる期間はありますか?
2020年の、初めて冠ラジオを一人でやらせていただいた時期です。あまり自信がないタイプなんですけど、ファンの方はその私でも好きって言ってくださるから、そういう所は出しちゃいけないと思っていました。そういうタイミングで自分の冠ラジオを任せていただいて、できると見込んだからお話をいただけたこと、そしてもともと3カ月の期間限定だったのが、どんどん延長され最終的には10カ月。それが自信につながり、声のお仕事をやりたいという確信に変わったというか、なのでその時期が印象に残っています。
偶然が呼んだ奇跡
――仲のいい瀧野さんの卒業はどう受け止めていたんですか?
瀧野も2022年から伝えていたって聞いて、2人でご飯に行ってお互いの卒業時期が決まる前からそういう話をしていました。なので、受け止め方としては、もちろん悲しいとか寂しいとかありますけど「よく頑張ったね」というか、色んなことを先陣を切ってやってくれてたので、私は見送るから楽しく美しく卒業してねという思いが強かったです。
――卒業コンサートの時に確かアンコールだと思うんですけど、せせり出たステージからメインステージに戻る花道で全員が戻ったなかで、たまたま瀧野さんと石田さんがいて、ドレスの裾を持って歩かれて。その後に福田さんも加わってすごいタイミングだなって思ったんですけど、あの舞台裏は?
狙ったものではないんですよ。曲の間に戻らないといけないのでみんな早めに戻っていって。リハーサルでそういう所を見て、自分は色んな所に手を振って少し余裕を持って帰ろうと思っていたんです。もともと演出家さんにその場面ではないんですけど、階段とか上がるのが大変そうだったら手伝ってあげてね、みたいなことは全体的に言われていたんですけど、ゆっくり歩いていたら前に由美子がいて、歩きづらそうだなってちらって見たら由美子と目があったから行こうかなって。自然な形でああなって、あかりんどこだって探してたら後ろにいて。みんな近くにいたんだなって(笑)。ちょうどカメラOKタイムで、みなさんすごく綺麗に写真を撮って下さって、3人で「この写真めっちゃいいね」と見合ってました(笑)
――卒業コンサート終わった後の楽屋はどういう感じでしたか?
由美子はずっと楽屋にいなくて、私もプレゼントを持ってきていたんですけど直接は渡せないまま、机に置いて「もう帰るよ」って。終わった後も話せてないかもしれないです。
――福田さんとはどうどうですか?
きょうがあかりんの誕生日なんです。昨日はその誕生日の配信で私も見ていたんですけど、ファンの方に「まだまだいるよ」って。みんなに推してもらってるから責任を持ってアイドルとして頑張るみたいなこと言ってました(笑)。頑張ってほしいなって思います。
――福田さんに伝えた時はどういう反応だったんですか?
あかりんってすごく人の意見を尊重して、自分の意見をあまり言わないというか。もちろん寂しいとか言うけど「やめてほしい」とかは一切なく「いつ発表なの?」とか「どの時期に卒業公演するの?」とか聞いてくれて、「最後まで楽しもうね」と明るく受け止めてくれて。でも引き留めるようなことをしないのは、あかりんの優しさっていうのは分かっているんです。悲しい寂しいという思いが「尊重」に繋がっていると感じていました。
笑顔の秘密
――いろんな曲が出てますけど、特に印象に残っている曲はありますか?
「思い出せてよかった」です。ミュージックビデオを撮影する前に、デビュー曲の選抜発表はされていて、初めてのMVが「暗闇」かなと思ってたら、ありがたいことに「思い出せてよかった」でMVを撮る機会がありました。私は「瀬戸内の声」に選んでいただけてなかったので、初めてのMV撮影で、カメラを向けられるのも初めて。瀬戸内の小豆島に行ったのも初めて。初めてづくしの中で、誕生日にMV撮影でした。その時、周りに人がいなくなって、みんなどこ行ったんだろう?って思ったらケーキを持ったメンバーが出てきて、レコード会社の方だとか、携わってるみなさんに「お誕生日おめでとう」って言っていただけて。まだこの世界で頑張ると思いつつも、その温かみは分かってないっていうか、結果を残さないといけない競う場所みたいに気負っていたので、その瞬間のメンバーとスタッフさんの笑顔を見てすごく温かい場所なんだなって、いい意味で肩の力が抜けてその後活動できた気がするので「「思い出せてよかった」かなって。
――これまで多く取材させていただきましたけど、ライブやイベントでステージを見るといつも笑顔でした。こうして話してみると、笑顔にも特別な思いがあったのかなと。
辛いことを隠しがちで、ファンの方はどんな私も好きって言ってくださる優しい方ばかりですが、そのなかでやっぱり笑顔の私が好きって言ってくださる方が多かったので、ステージに立つ時とか、番組とか、色んなイベント仕事では笑顔をお見せしたいという思いがありました。それと、もともとアイドルに憧れて入ってきてるので、ステージに立つ瞬間もめちゃめちゃ楽しいんですよ。アドレナリンが出まくってそれこそ前日にすごく悲しいことがあったとしても全てを忘れるぐらい。ファンの方とのコールの掛け合いとか、その全てが自分にとって幸せだなって思う瞬間でした。正直、いろんなことを内側に抱え込んでいた在籍中ではあったんですけど、そういうステージに立っている笑顔はもうみなさんのおかげで本物の笑顔でした。自分でも素直な笑顔だと思います。本当に感謝しています。
(おわり)