INTERVIEW

沖侑果

卒業直前インタビュー コンプラ担当「最後までスキャンダルは出さずに」


記者:木村武雄

写真:提供写真

掲載:24年04月18日

読了時間:約10分

 STU48のドラフト3期生・沖侑果が、20日に広島JMSアステールプラザ 大ホールで開催される『STU48 ドラフト3期生コンサート〜菜の花が咲いた日〜沖侑果卒業セレモニー』をもって約6年半のアイドル活動に終止符を打つ。グループのムードメーカー的な存在でリリースイベントでは電子楽器「オタマトーン」演奏などユニークな企画にも挑戦。またグループのコンプライアンス担当でもある。明るい振る舞いが印象的だが実は口下手な一面も。だがその分、文章を得意とし連載を持つほどだった。“沖舞”の愛称で知られる同期の中村舞とはしょっちゅうケンカするほど仲が良く、信濃宙花も含めた“ドラ3”が今後、グループの飛躍を押し上げるものと思っていただけに卒業発表は驚きでもあった。なぜこのタイミングで卒業を決めたのか。【取材=木村武雄】

卒業理由

――卒業を決めた理由を教えてください。

 卒業年齢ではなく、新しいことを始めるのは25歳かなと自分のなかで思っていたなかで、今年25歳になるので、いいタイミングかなと考えました。

――「25歳」というのがきっかけになったと思いますが、ある出来事によって背中を押されたというのはありますか?

 3期研究生公演を観に行ったんです。それがめちゃくちゃよくて。研究生の子たちがもっと中心となるグループを見たいなって思ったのもきっかけになっています。

――後輩やグループの未来を考えたというのはもちろんあると思いますが、写真集などグループ以外の活動でいろんな景色が見えたのかなと。

 確かにそれもあるんですけど、どっちかって言ったらグループにもう少しいたいぐらいの気持ちです。でもそれは自分しか得をしないって言うか、あまりグループのためにならないんじゃないかなって思って。すごく迷ったんですけど、自分を甘やかさないためにも決めた感じです。

――STU48は壁が出て来ては乗り越えて成長するというグループだと思いますが、この2年は特に大きかったんではないかと思います。どう見ていましたか?

 STU48が色んな所で注目されたり、自分も中心の方で活動させてもらえたかなって思いますし、アイドルとしてやりたかった夢とかをグループで結構叶えられた感じはあります。

――「後輩のためにも」という話もありましたが、それを思わせたのはこの2年での変化も影響しているんじゃないかと。

 それもあります。自分たちが見てきた景色を、3期研究生の子たちはまだ見たことがないんじゃないかと思いましたし、それを私たちがあげていくのもいいかなとは思ったんですけど、自分たちの力で見て欲しいなっていう気持ちもあって。自分も含め卒業するメンバーが多いので、一からではないけど、後輩の子も新しいSTU48を作り上げてくれたらなって思います。それを応援できたら幸せだろうなって思いました。

同期2人の反応

――同期の2人はどういう反応でした?

 2人ともびっくりしていたかもしれないです。もう少し早い時期に卒業しようと思っていたんですけど、10thシングル(瀧野由美子卒業シングル「君は何を後悔するのか?」)に参加してからの発表になったんです。だから「いきなり」という感じではなかったのでまだ許された感じはありました。同期にはしゃべらないようにしようと思っていたんですけど、話の流れで中村舞ちゃんには言っちゃって。宙花にも言ったらすごく泣いてくれて。いろんな人に相談していくうちに「ちょっと終わり方がキレイじゃないな」って思ってきて、それで10thシングルに参加してからにしようと。なので2人は知っていました。

――「25歳で」というのは以前から?

 本当は、昨年の夏ぐらいのシングル発表前に卒業しようと思っていたんです。でもその前のシングルのお話し会とかが全部終わった状態で何もない時期に私が発表してしまったら、ファンの皆さんと話す機会がないまま終わっちゃうなと思って。それなら次のシングルに参加して、それで全部お話し会とかやりきって終わろうって思ったんです。

――中村さんとはどういう話を?

 舞Qは卒業を止めてくれました。ことあるごとに「やめるの?」みたいな感じだったので「いてほしいのかな?」と思いましたけど、自分はあんまり同期に相談事をしない方で、卒業も相談せずに決めた状態だったので、舞Qに「卒業する」と言ったら怒ってましたね(笑)。

――勝手なイメージですけど、沖さんは自分で決めたらもう揺るがない感じがします。

 あまり揺るがないかもしれないです(笑)。

おごらず腐らず

――その中村さんが「花は誰のもの?」でトライアングルセンターに選ばれた時はどう思いましたか?

 私はけっこう負けず嫌いなので「おめでとー」っていう気持ちと、ちょっと一歩先に行ってしまったっていう悔しさもありました。

――その悔しさをどうパワーに変えていきましたか?

 自分のことを考えた時に、あまり自信が持てるものがないんです。だから「どうしよう?」と思っていた時に、ファンの方とかが「沖ちゃんにしかないものはいっぱいあるよ」って言ってくださって。でも私にしかできないものを私なりに言語化することが出来なくて。「花は誰のもの?」ぐらいからの1年は自分の強みを探す感じでした。

――「花は誰のもの?」は、デビューを除いて最も注目された時期と言ってもいいと思いますが、その中で自分の個性や強みとかを考えていたんですね。

 考えていました。

――その曲がどんどん大きくなっていく中で、私も大きくならないといけないっていうような感覚だった?

 そうです。曲だけがどんどん先に行っているっていう感じに自分は思っていました。曲は知ってもらえてるけど、グループのこととかメンバーのこととか、そこまでの認知が無い状態だと思っていました。

――音楽番組にも多く出て、やっぱり嬉しかったですよね?

 嬉しかったです。本当にいろんな偶然が重なったのはあると思うんですけど。出たかった番組とかいろんなイベントとかにも出演することが出来ました。

――この前、今村美月さんにお話しを聞いた時も「曲がどんどん大きくなって、でも自分たちが追いついていない」と同じようなことを話されていたんです。その時のことをもう少し詳しく教えてください。

 それまでのアイドル人生のなかで、一番テレビに出る機会が多く恵まれていました。初めて地元の人たちから連絡が来たりとか、知名度みたいなのは上がっていく感覚はあったんです。でもその一曲しかっていう感じもあって。やっぱりフェスとかたくさん出演させていただいた時に、STU48はフェスに向いてるグループではないので集客とかどうしても他のグループさんよりはちょっと劣ってしまうなとか思ったりして。自分たちが見ているキラキラした世界とそれについて来ていない実力とか現実とか相反するものが見えてて。そのギャップをどうやって埋めていこうかって切磋琢磨してた1年だったかなと思います。

――嬉しさもあるけど、辛さもあったって感じなんですか?

 そうですね。チャンスは与えてもらってたので、そのチャンスを活かせてたのか、活かせてなかったのかも分からないんですけど、もどかしい気持ちみたいなのはありました。

――その1年を通して自分の中で明確になったものもあるかもしれませんが、心の奥底で変化しているなという感覚はありましたか?

 ありました。もっとグループのメンバーにいっぱい伝えたいなって思うこととかもすごくたくさん増えましたし、この時期に新しい公演もやることになったんですけど、全部STU48の曲で構成される公演をやるとなった時のレッスンも、メンバーの意識の差が結構あるなって感じました。それをみんな同じ意識に持って行きたいなって思って、本当は、言うのは得意じゃないんですけど、言ったりとかもしました。

――伝えたいというのは?

 やっぱりみんなが見られてる意識を持ってほしいなって思ったんです。その時は「花は誰のもの?」の選抜がたくさんテレビとかにも出させてもらってたし、公演の初日メンバーもそのメンバーだったんですけど、アンダー って言っても同じグループですし、同じように公演はみんなで混ざるので、選抜も驕らずにアンダーも腐らずにいたいし、本当にみんなで同じ気持ちで同じところ目指したいな思ってました。

――それが根にあって先ほど卒業する理由の後輩もどんどん押し上げてもらいたいっていうのはそこにあるんですね。グループ愛がすごいですね。

 結構好きだと思います(笑)。

第二の原点

――沖さんといえば「オタマトーン」とかいろんな企画をやってましたけど、受け継いで欲しい人いますか?

 「コンプライアンス」を誰かに受け継いでほしいなと思っているんですけど…誰も欲しくなさそうなんでどうしようかなって思っています(笑)

――沖さんの立ち位置に入るのもなかなか難しいと思いますね(笑)。それと活動の中で特に印象に残っていることや、この時の活動期間が自分を劇的に変えたというのはありますか?

 コロナの時期ですかね。セルフプロデュースとかパフォーマンス力とか頑張っていた時期で、無観客の公演とか、外出自粛で家で配信するぐらいしかできなかった時期にどうやってあきさせずにファンの方に見てもらえるかとか、一番頑張ってた時期でした。徐々に緩和されていった時も、その時に思っていたことや考えていたことはずっと継続しようって思っていましたし、パフォーマンスも、踊ることすらできなかったあの時と比べたらたら今は幸せですし、もっと頑張ろうみたいな気持ちになれた、けっこう変わったきっかけはコロナ禍かなと思います。

――コロナ禍はもう過去のモノになりつつあったり、新しい時代に入ったという感覚もありますが、ある種の沖さんにとっての第二の原点にもなる、忘れたくない時期なんですね。

 そうです。それにその時についてきてくれたファンの方のことも考えたら大きいです。

――支えになった、救ってくれたメンバーの言葉はありますか?

 (当時)キャプテンの今村美月さんに相談することが多くて。それこそ「花は誰のもの?」の期間とかの自分の強みや個性が分からなくなっている時期に「沖ちゃんは沖ちゃんのままでいいんじゃない?」みたいな言葉を言ってくださって。それからは、素の状態でも人とは違うところがあるのかな?みたいに思えてちょっとポジティブな考え方になりました。

――今村さんにはずっと相談乗ってもらっていたんですね。

 そうですね。同い歳っていうのもあるんですけど、けっこう話しやすい存在なので、自分があまり同期に仕事の話をできないタイプの人間なので話すとなると先輩とか。後輩とか。他のグループの子でした。

――その今村さんの卒業ってびっくりしました?

 びっくりしたんですけど、やっと普通の今村美月さんに戻れるんだなと思いました。安心っていうか。本当はキャプテンじゃなかった方がもうちょっと本人は楽しくやれてたのかなとか思うところもあって。これからはそういうのを気にせずに自分のことだけを考えて活動できるのかな?って思ったらちょっと安心です。

――特に思い出に残っている曲はありますか?

 MVの思い出って言うと「無謀な夢は覚めることがない」です。もう過酷なスケジュールとロケーションで(笑)。12月の海に早朝から夜まで裸足で布一枚みたいな薄めの衣装で踊って結構しんどくて。限界の時ってたぶんドーパミンみたいのが出るんでしょうね。夜にはすごく楽しくなっちゃって。笑うような曲ではないんですけど、カットかかった瞬間笑うみたいな。すごい思い出に残ってます。素晴らしいMVになってました。

――支えてくれた曲としては何かありますか?

 STU48の曲が本当にすごく大好きで、オフの日でも普通に聴いているぐらい好きなのでいっぱいあるんですよね。今だと本当に「無謀な夢は覚めることがない」が一番というか、新しい世界に旅立つ時に「ビビるな」みたいな曲だなって思うので卒業決まってからより一層聴いてます。

青春を取り戻した

――卒業後はどういう活動を?

 皆さんに「卒業後は何するの?」って聞かれるんですけど、自分も何するんだろう?って思ってて、肩書きがどうなるのかは分かんないんですけど、とりあえず舞台とかには出演させていただくことが決まっています。でも女優って言われたら変な感じするなと思いますし、でもいろんなことにNGなしで挑戦していきたいなと思います。

――執筆活動もやってきたいっていう気持ちはあるんですか?

 言ってます!(笑)

――文章って特別なものですか?

 そうですね。私は結構言葉で誤解されるタイプっていうか、言いたいことがあまり伝わらないですね。そういう時はブログとか活字の方が伝えやすいというか。自分の思ってることとか、気持ちを伝えたいときに大事なツールです。

――STU48の活動の期間は自分にとってどういうものでしたか?

 自分にとっては青春を感じさせてくれた場所、期間です。私は学生時代はあんまり青春できなかった方なので、初めてSTU48で青春を感じられたなと思っています。人生の中で一番濃い6年半だったと思います。

――同期には相談していないって言ってましたけど、それでも同期は大切な存在。卒業後は相談する?

 相談も愚痴もできるので、これからはなんでも話そうかなと思います(笑)

――最後に卒業までどう過ごしたいですか?

 スキャンダルを出さずに「立つ鳥跡を濁さず」スタイルで最後まで頑張りたいと思います。やらかしそうって言われて、なんだかんだやらかしていないので(笑)。ほら見たことかとドヤ顔で卒業したいなと思います。とか言って出たらごめんなさい(笑)。

(おわり)

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