デビュー45周年・香坂みゆき「好きという気持ちが一番大切」音楽への想い
INTERVIEW

香坂みゆき

「好きという気持ちが一番大切」音楽への想い


記者:村上順一

撮影:村上順一

掲載:22年10月04日

読了時間:約10分

 香坂みゆきが、デビュー45周年を記念して、1991年にリリースしたJ-POP名曲カバー集『CANTOS』を10月12日に配信リリース。それに先駆けて9月14日に新録した「かもめはかもめ」(研ナオコ)と「虹のひと部屋」(石川セリ)の2曲を先行配信した。

 香坂みゆきは、アイドルとして1977年にデビュー。第一線のアイドルとして「愛の芽生え」でデビューし、「初恋宣言」「ニュアンスしましょ」などのヒット曲を持つ。現在は女優、コメンテーターとして活躍。デビュー45周年を迎えた今年、フォーライフより1991年に立て続けにリリースしたJ-POP名曲カバー集『CANTOS』の1〜3を初デジタル配信する。

 インタビューでは、歌手デビューからの45年を振り返ってもらいながら、『CANTOS』を制作した当時の思い出、今回新録された「かもめはかもめ」と「虹のひと部屋」のレコーディングエピソードなど、多岐に亘り話を聞いた。【取材・撮影=村上順一】

当時の歌をいま聴くと可愛くないなあと思っちゃいます(笑)

――この45年を振り返るとどんな想いがありますか。

 14歳でデビューしているんですけど、その時は今のような状況は全く想像できていませんでした。その頃の私の中で60歳というのはおばあちゃん。そう考えるとすごい年月なんだなと思います。

――歌手デビューは45年ですが、3歳からモデルとしても活動されていましたよね。当時のことは覚えていらっしゃいますか。

 ほとんど記憶にはないんですけど、覚えていることと言えば、千葉の行川アイランドというところでロケをして、帰りのフェリーで石坂浩二さんにお会いしたことは、覚えています。

――香坂さんが音楽に興味を持ち始めたのは、いつ頃から?

 小さい頃から歌が好きでした。父が車で通勤していたので、帰りは父の会社に寄って一緒に帰宅していたんですよ。その車の中で私はずっと歌っていて、両親から「うるさいよ」と言われることもあるくらい。父がラジオで野球の実況を聞いていたんですけど、私は興味がなかったのでずっと歌っていたんです。母が座っているヘッドレストにしがみついて耳元で歌ったりもしていましたね(笑)。

――どんな曲を歌っていたのでしょうか。

 当時のCMソングだったり、流行歌、山本リンダさんの曲を歌っていました。

――歌手になった経緯は?

 2年間ほど、萩本欽一さんの番組に出演させていただいてました。なんとなく、その番組の出演が終わったら「普通の生活に戻るのかな」と思っていたんですけど、サンミュージックの方に声をかけていただいたのがきっかけでした。確か、桜田淳子さんの妹役か何かで声をかけてもらったと記憶しています。最初はお芝居、役者としてだったんですけど、それは結局なくなって、歌が好きだったので、「歌ってみる?」という流れになったような気がしています。

――準備期間とかあったのでしょうか。

 ボイトレとかした記憶はないですね。事務所のピアノがある部屋でちょっと歌ったくらいだったかな? レコーディングもスタジオに入って初めて曲をいただいて、そこで覚えて歌うという感じでしたから。当時、私だけではなく皆さんスケジュールがすごかったんですよね。だから、キャンペーンで回るときにラジオ局とかで曲のお話しをするんですけど、楽曲を自分の気持ちで説明できないまま、キャンペーンに行くこともありました。

――でも、完成した音源はそんなことを感じさせないクオリティですよね。

 しっかり歌うということは心掛けていました。でも、当時の歌をいま聴くと可愛くないなあと思っちゃいます(笑)。しっかり歌ってはいるけど、これで良いのかなみたいな。

――そういえば、一度、お名前を漢字に変えていたこともあったと思うのですが、どのような経緯があったのですか。

 名前を変えたいと思う時期があって、ちょっと漢字にしてみようと、姓名判断の方にお願いして変えたんです。定着しなかったのでそっと元に戻しました(笑)。

そこにいるだけですごく嬉しくて

――10月12日に配信される『CANTOS』はどう感じていますか。

 すごく気に入っています。この作品が現役時代の最後のアルバムだったのですが、20歳を超えた頃から作り方はだいぶ変わりました。自分も選曲から参加して作ったアルバムなので、思い入れは強いです。

――このアルバム、3枚リリースされていますが、どんな経緯があったのでしょうか。

 それが明確には覚えていないんですけど、何となく覚えているのは、新しいものを作るのではなくて、昔の曲にも良い曲は沢山あるのだから、今の感覚で作ってみたいというものでした。今のカバーアルバムの概念と同じですよね。アレンジやサウンドで違ったものとして聴いてもらえるならば面白いよね、という話をスタッフとしたのを覚えています。制作が始まったら、1枚にやりたい曲が入りきらなくて3枚になったんだと思います。だったらジャズバージョンやボサノババージョンなど、色々作ってみようとなって。今改めて参加ミュージシャンを見るとすごいメンバーだなと思いました。何年経っても古臭い感じがしないですしオシャレですよね。

――今回、配信リリースされることになったのは?

 CDは何年か経つと廃盤になっていくものもあるんですけど、いま改めて皆さんに聴いてほしいなと思い、配信でリリースさせていただいくことになりました。とにかくもったいないなと思ってしまったんです。

――井上陽水さんのカバー「いっそセレナーデ」が3回入っているのは?

 なんでそうなったのか、覚えていないんですよ。色んなバージョンを作ってみて、それこそもったいないから全部入れようみたいな感じだったのかもしれない(笑)。たぶん1曲くらい色んなバージョンで聴けるのも面白いんじゃないか、とそんな感じだったと思います。その中で最初4拍子で途中から3拍子に変わるバージョンがあって、どうやって歌おうか悩んだ思い出があります。

――特に思い入れのある曲は?

 私とスタッフ、それぞれにあるんですけど、私は尾崎亜美さんの「偶然」スターダスト☆レビューさんの「季節を越えて」を、私は入れたいと思っていました。(根本)要さんから言わせると、シングル曲ではなく、アルバムの曲を入れるのは珍しい~みたいなことを仰っていたみたいです(笑)。あとはスタッフがこの曲良いから歌ってほしい、とリクエストを受けて歌った曲もあって、その時に初めて知った曲もありました。知られざる名曲集みたいな側面も、このアルバムにはあるかもしれません。

――若い世代の方にも聴いてもらえたら嬉しいですね。

 そうですね。カバーなんですけど、一つの曲として聴いてもらえればいいなと思います。例えばブレッド&バターの曲は、その世代の人が聴いたら懐かしい曲だけど、聴いたことがない世代は、何かまた感じるものが違うのかなと思います。

 あと、このアルバムはレコーディングメンバーでライブもやったんですけど、CDと同じ演奏がステージからも出ているというのは、すごく豪華だなと思いました。ピアニストの島健さんとか、ジャズの有名ミュージシャンがステージにいるというのは、すごいことです。

 こうやって動き出すと縁というものがあって、番組で一緒になったタレントさんが、「島健さんって覚えてますか? 島さんが宜しくと言ってました」と教えてくれたんです。私が島さんのこと覚えていないと思っていたみたいで、私は一緒にアルバム作ったから「覚えてますよ!」って。そうしたら島健さんの奥さん、島田佳穂さんのライブを観に行く機会を頂いてそこで島健さんがピアノを弾いているのを観て、ああ、素敵だなって。

――島健さんにはお会いできたのでしょうか。

 コロナ禍なので、ご挨拶はできなかったんですけど連絡は取れて、「今度食事に行こうね」と言っていただけて楽しみなんです。30年ぶりにこのアルバムを配信しようと思っていた自分がいて、そこに知り合い経由で連絡が入るというのはすごいなと思いました。

――さて、9月14日に「かもめはかもめ」と「虹のひと部屋」が配信リリースされましたが、この2曲を選ばれた経緯は?

 『CANTOS』+2というイメージで、歌ってみたい曲、私が歌って合いそうな曲をたくさん候補として出させていただきました。プロデューサーの田村(充義)さんとお話しして、すべて聴いて下さって、この2曲に決まりました。

 研ナオコさんの「かもめはかもめ」は、昔から好きでしたし、昨年NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の中で、坂井真紀さんがこの曲をアカペラで歌われて、当時皆さんの耳に止まったみたいなんです。昭和の曲なので、今の世代の方達は「この曲なんだろう?」と思った人もいると思うんですけど、田村さんが「名曲だし、改めて注目されている中で、香坂みゆきがどう歌うのか」と、いうところで決まった曲でした。

 石川セリさんの「虹のひと部屋」は、私が大好きな曲です。「かもめはかもめ」もそうですけど、あまりにも歌い手のイメージが強いんです。この曲をセリさん以外の人が歌っても良いものなのか、すごく悩みましたが、挑戦してみようと思いました。

――今回、惜しくも漏れた曲にはどんなのがありました?

 多く歌われている「黄昏のビギン」、南沙織さんやフォークソング系も候補にありました。楽曲を選ぶにあたって田村さんが勧めてくれたカラオケアプリがあって、曲を探しては家で1人歌ってました。仮歌も家のクローゼットに入って自分で録ったんです。アプリの使い方がわからなくて苦戦しましたね。田村さんに送るのに、間違えるとネット上に公開されてしまうので、そこに気をつけながらの仮歌録りでした(笑)。

――レコーディングを終えてみて、気づきはありましたか。

 昔のレコーディングスタジオは、アナログのマルチテープで大きなミキサー台があるのが普通だったんですけど、今はパソコンが一台あるだけなのは驚きました。あと、ボーカルブースはみんながいる部屋と繋がっていて、窓から私が見えるんですけど、今回はそもそも部屋が違って。ボーカル1人のレコーディングの場合は、今はこの部屋でやることが多いと聞きました。モニターでみんなの様子が見えるんですけど、それが最初は寂しいと思ってしまって(笑)。昔とはシステムが全然違いましたね。

――今回、ミックスダウンにまで立ち会われたそうですね。

 やることないから帰っても大丈夫ですよ、と言われたんですけど、なんかそこにいるだけですごく嬉しくて、ずっといました。プロの方が関わって作るというのは、ここをこうするとこうなるのか、みたいな発見は色々ありました。

――表現の仕方も昔と比べると変化があると思いました。

 昔は若さと力で出来るところもあったけど、それができなくなったので、今回のような歌い方になったというのもあると思います。でも、それがマイナスにはいかなかったと感じています。

――「虹のひと部屋」は大好きな曲だと仰っていましたが、どんなところに共感を得たのでしょうか。

 セリさんの声が好きだったというのも一つの理由なんですけど、曲の中にすごくドラマが見えているところです。小説を読むと、読んだ人それぞれが色んなことを想像するじゃないですか? こういうソファーに座って、こういう男女が住んでいて、こんなベランダに座って外を見ているんじゃないか、などイメージがありました。そういう絵が浮かぶ曲って素敵だなと思って。それが人によってイメージが変わるから面白いんですけど、今回自分が思い描いたものを歌いたいなと思いました。

 「かもめはかもめ」は、中島みゆきさんと研ナオコさんのゴールデンコンビは改めてすごいなと思いました。私はこの曲を悲しい時に、とことこん悲しくなる曲として聴いていたのですが、私なりの悲しさで歌おうと思いました。聴いて下さった周りの方、船山(基紀)先生は「暗すぎずいい感じ」と言って頂けたので、自分なりに表現できたのかなと思います。

45年間で嬉しかったこと

――ところで、香坂さんはお子さんたちと音楽のお話をされたりしますか。

 子供たちは全然好きな音楽が違うんですよね。長男は洋楽をよく聴いていますし、次男は今シティーポップにハマっていて、私が好きな曲を教えて欲しいと聞かれます。

 次男は濱田金吾さんを聴いていて、私が「この曲、濱田金吾さんだよね?」と尋ねたら、「知ってるの?」と返してきたので、「私、2曲書いてもらってるのよ」と話したら驚いてました(笑)。

 音楽は2人とも好きなんです。それは、小さい時に私が耳元でずっと歌い続けていた影響があると思います。全然寝ないから『おかあさんといっしょ』の歌から都はるみさんの曲まで歌ってましたから。2人は覚えていないと思いますけど、どこかに刷り込まれていると思います。

――香坂さんが子育てで大切にしていたことは?

 行き当たりばったりでしたね。何か問題があったらその時に対処するという感じでしたから。全力で向き合ってきましたけど、それが正解だったかどうかはわからないです。彼らが子供を持った時に、どう思ってくれるかじゃないかなと感じています。

――現在も新しいアーティスト、アイドルがデビューしていますが、香坂さんからアドバイスはありますか。

 アドバイスなんてないですよ。続けていくには、「好きこそものの上手なれ」じゃないですけど、好きという気持ちが一番大切なんだと思います。気持ちが折れそうになっても、好きという気持ちがもう一度戻す力になると思います。私も気持ちが折れたことは何度もありましたから(笑)。

 でも、そこを乗り越えてきました。私の場合辛かったことはすぐ忘れちゃうんですよね(笑)。出産みたいなもので、その時はすごく辛いけど、産んでしまうとその辛さも忘れちゃうみたいなところはあるのかな。

――この45年間で嬉しかったことは?

  SNSというものをこれまで使ってこなかった私なんですけど、最近使い始めて、その中で「みゆきさんの曲好きでした」というコメントを見ると、覚えていてくれているのが本当に嬉しくて。「インスタ始めたんですね。またお会いできて嬉しい」とか見ると、すごいなとしみじみ嬉しいなと思っています。本当にありがたいことです。

(おわり)

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村上順一

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