中森明菜×EDMの共通点

[写真]中森明菜の魅力<2>

約5年半ぶりの新曲となる中森明菜「Rojo -Tierra-」

 「中森明菜」と「EDM」には共通点が2つある。どちらかと言えば、異色の組み合わせなのではないかとも思われがちだが、根深い部分に意外な共通点が存在する。それはあらゆる音楽にとって非常に重要な要素だ。

 中森明菜の歌には、聴き手である自分と対峙しているかの様な「歌唱の構成力」があり、心に響く説得力がある。これには聴かせどころを明確にする事でより深く感情に訴えられるという事に繋がる。

 そして佳境では決して期待を裏切らない「感情表現の配分」。緩急の配分がベストであるが故のサビの気持ち良さ。これは「ここぞ」という場面で確実にオーディエンスを釘付けにする事が出来る決定打的な役割を担う。これらは中森明菜の持つ、類を見ない歌手としての確かな魅力と技術なのではないだろうか。

 そして前記の2点はエレクトロミュージック、ひいてはEDMの持つ特色にも共通している。1つにまとめると抜群の「ダイナミズム」。この、聴き手のツボを押さえた抑揚がもたらす快感は中森明菜とEDMの共通項だ。

EDMの特長「抑揚」

 「抑揚」の明確な気持ち良さはEDMの特色の一つだ。淡々としたビートが続いたと思ったら、佳境ではバキバキのシンセサイザーが轟く。飛び散る電子音と爆発するビートに、「待ってました」とばかりにテンションが上がる。それまでは、ハウスビートなりブレイクビーツなり、これぞエレクトロミュージック、と言わんばかりのリズム上でうねるベースラインに自然と身体は委ねられる。

 聴かせどころまで充分に焦らしてジワジワと感覚をあたためられる。全てのEDMに当てはまるという訳では無いかもしれないが、そういった傾向が要素として見られる。この点を中森明菜の魅力と融合する要素と捉えると、新曲に対する期待感は更に膨らむ。

 低音域のえも言えぬセクシーさ、と表現すると直球すぎるきらいはあるが、中森明菜の歌唱の「サビまでに向かう低音の歌声」は至高の域ではないだろうか。佳境までじっくり焦らして、サビでは真正面からのロングトーンで弾ける熱唱。どうやって歌ったら喜ばれるのか、全て把握しているかの様に思えてしまう。

 EDMサウンドの明確な緩急と中森明菜の感情の緩急。「心に染みる歌」と「EDM」。異色とも言えるこの2つが融合したのは、双方の核心的な魅力である抜群の「ダイナミズム」が絶妙に合致した結果生まれた、中森明菜の魅力の新境地とも言える展開なのではないだろうか。

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