SING LIKE TALKING、新曲「Child In Time」に込めた大人たちへのメッセージとは
INTERVIEW

SING LIKE TALKING

新曲「Child In Time」に込めた大人たちへのメッセージとは


記者:村上順一

撮影:

掲載:21年08月26日

読了時間:約8分

 Sing Like Talkingが8月4日、新曲「Child In Time」をリリースした。表題曲は、“今を生きる子供たち(Child In Time)に、大人は何を伝えられるのか”をテーマに制作。コロナ禍という未曾有の時代だからこそより強く響くメッセージ性のある歌詞も印象的で、ゴスペルクワイアをフィーチャーした荘厳なサウンドは、Sing Like Talkingの幅広い音楽性とさらなる可能性を感じさせてくれた。インタビューでは、「Child In Time」に込めた想いを深掘り。同曲の制作背景について佐藤竹善(Vo,Gt&Key)に話を聞いた。【取材=村上順一】

ディープ・パープルの「Child In Time」との関係性

佐藤竹善

――新曲「Child In Time」はどのような流れで制作されたのでしょうか。

 秩父で行う予定だったイベントに合わせて、新曲を作ろうと思いました。その中で「クワイアをフィーチャーした楽曲はどうだろう」とスタッフからの提案もあり、それも面白いなということでクワイアをフィーチャーした楽曲を作ろうと思いました。ちょうどそれが「春雷」を作っている頃で、「春雷」がその楽曲になる予定でしたが、作っているうちにクワイアを入れるという感じにはならなくなって。なぜそうなったのかというと近年、ストレートなゴスペル調の曲というのはタイムリー感がないなと思い、それで「春雷」はロックなアプローチになり、ますます僕の中でクワイアというイメージがなくなっていって。でも、時が経ってクワイアをフィーチャーしつつも、現代的なサウンドアプローチが出来そうだなとイメージが湧いて、新たに作り始めました。

――具体的な構想もその時に生まれて。

 クワイアというところでメッセージ性のある曲にしたいと思いました。しかし、コロナ禍がいまも続く中で手放しのハッピーさを歌い上げる感じではなかった。

――それで今の時代の子どもをテーマにした歌詞になったわけですね。

 大人は不満を口にすることも出来ますし、抗議もできれば自らの力で頑張ることも出来ます。でも、子どもたちは大人が決めた中で従っていくしかなくて。結局一番大変なのは声を上げることも出来ない子どもたちだなと僕は思いました。社会というのは様々な状況で、様々な人なりに乗り越えなければいけなくて、それはしょうがないことではあるのですが、大人は工夫や発散が出来ますけど、子どもたちは修学旅行など想い出になる催し物も軒並み中止になり、楽しみもなくなって。

――その中で核になったことはどんなものだったのでしょうか。

 ポイントになったのは子どもに関わる大人たちが何を思って暮らしていかなければいけないのか、というところに焦点を当てました。子どもたちに信頼されるということはどういうことなのか、そのためには何が変わらなければいけないのか、それらに自分たちで気づいて欲しいという気持ちです。大人が気づけば子どもたちはそれに気付きます。

――今作ではDr. Capitalさんが制作に参加されています。

 僕がメロディを書き上げた段階で、「Child In Time」というタイトルが浮かび、歌詞について(藤田)千章と話しました。その話し合いの中で歌詞の割合を日本語と英語の半分ずつにしたいと思いました。これは「Spirit Of Love」と同じスタイルなんです。英語詞はDr. Capitalにお願いして、千章に日本語詞を先に書くか、英語詞を先にするか話したところ、英語を先に書いてから日本語を書くという流れになって。そこから僕がDr. Capitalとリモートで4〜5時間ぐらい話し合い、まずはサビの部分で何を英語で伝えるのか、ということを考えていきました。

――なぜ日本語と英語、半分ずつという構成にしようと思われたのでしょうか。

 グローバルなものにしたいと思いました。「Spirit Of Love」をリリースした時代と、現代との違いはYouTubeがあることです。それによって世界中で手軽にミュージックビデオも見てもらえますし、今はリリックビデオもあり、日本のポップスも注目されています。その中で「Spirit Of Love」も外国で注目してもらったり、曲の解説をしてくれる人もいます。そこで日本語と英語を半々というバランスにしました。リリックビデオは日本語には英語の訳を入れて、英語には日本語訳が入ります。字幕入りの映画を見るような感覚ですね。

――Dr. Capitalさんとは具体的にどんなお話を?

 「Child In Time」という言葉には「今この時に生きる子どもたち」という意味があるんですけど、そこには無数に切り口があります。その切り口を絞っていくためにDr. Capitalが僕に質問を投げかけてくるわけです。そもそもこのタイトルに行き着いたのもディープ・パープルの「Child In Time」の存在が大きくて、その歌詞に出てくる<Sweet child in time>という言葉も活かしたいと思いました。

 ディープ・パープルの「Child In Time」はアメリカと当時のソ連(ロシア)が冷戦の時に発表された曲で、核戦争が起きるかも知れないという状況の中で子どもたちは過ごしていました。それを乗り越えて欲しいという思いを込めて、書かれた曲なんです。今はコロナ禍での制約だったり、世界の分断、不穏感というのは同じくらい強いのではないかと僕は思いました。子どもたちは、大人の傍で下からその顔を見上げていることしか出来ない。ディープ・パープルの「Child In Time」の背景をお借りして、このタイトルにした経緯がありました。

――ディープ・パープルからとは思いませんでした。

 昔、ディープ・パープルは沢山コピーしていましたし、「Child In Time」も演奏していました。今回の歌詞を見ていただくと、<Oh, my sweet child, in time>という表記がありますが、ChildとInの間にコンマが入ることで言葉の意味が変わります。コンマがなければ、「今を生きる子よ」、コンマが入ると「いとしい子よ。ある時(きっと乗り越えていけるよ)」、とニュアンスが変わります。この辺りの解説もDr. CapitalがYouTubeでしてくれているので観てもらえると、より理解が深まると思います。

――サウンド面でこだわったところはどこでしょうか。

 僕らの中でも今までにないスタイルの曲になったと思います。最初はピアノ一本で、歌とクワイア、少々のパーカッションというのをイメージしていました。なので、普通はドラムなどのリズム隊からレコーディングする、または一斉に録ることが多いのですが、この曲はピアノから録りました。そのうちもっとダイナミクスの抑揚が欲しくなりバンド的サウンドにしたくなりました。ビートルズのようなレコーディングのスタイルかもしれないですね。ピアノは音響ハウスという昨年映画にもなったスタジオで録ったのですが、他は自宅で組み立てました。

――この曲の拍子は6/8拍子ですが、これはクワイアをフィーチャーすることをが影響されてますか。

 これは意識したわけではなく作っていく中で自然とそうなりました。ちなみに「3拍子の曲に駄作はない」と言われているくらい、3拍子には独特な世界観があるんですよね。
この曲も駄作じゃないことを祈ります。

「スタイルが出来た」と思ったことはない

「Child In Time」ジャケ写

――今回カップリングに「Child In Time (Acoustic Version)」が収録されています。

 シングルのカップリングには過去に作った曲のリミックスを入れるのが恒例となっていたのですが、メッセージの世界観が強かったので、リミックスで色を変えてしまうのも今回はどうかなと思いました。それで、この世界観を別の角度からメッセージが活きる表現が良いなと思い、それにはアコースティックバージョンがうってつけだなと。とは言いつつリミックス的な感覚も残したかったので、ボーカルとピアノは元のバージョンのトラックをそのまま使用してアレンジしています。その上にバイオリンとチェロ、西村(智彦)のアコースティックギター、そしてオーボエで組み立てようと思いました。

――オーボエを入れようと思ったのはなぜですか?

 オーソドックスな弦になにかひとひねりを、と思いました。そこでオーボエがいいなと。オーボエはシンプルに音色が大好きだからです。バート・バカラックとかストリングスの中にフルートやオーボエを活かしている曲がたくさんあって、それらが入ることで新たな世界観が生まれていて。クラシックのような世界観を出しながらもジャズやポップスのままでいてくれる。そういうニュアンスが僕はすごく好きで、そんな中でもいろいろな管楽器の中でオーボエとクラリネットが好きなんです。

――歌についてお聞きします。どんな意識で今作のレコーディングに臨みましたか。

 メッセージを伝えることを意識して臨みました。最近は歌い方というところでは意識はあまりしていないです。若い頃は色んなシンガーの歌い方を身につけたいと思ってコピーしていましたが、その集大成みたいなものが自然と出ているんじゃないかなと思います。例えばスティングがオペラやケルト民謡を歌っている時が自分の中ですごくピンとくるんですけど、それぞれの専門分野の人が歌うものから感じる世界観も大好きでありつつ、僕の場合はどんな音楽をやっていてもロックやポップスの表現で臨んでいるものが好きです。スティングもポリスで歌っている時はロックだったりするんですけど、多彩なソロ活動でも、そのスタイルを崩さずに、たとえばオペラなんかも歌ったりしていて、それが自分には唯一無二さを感じます。なので、自分で歌う時もどんなスタイルの音楽でも、自分の基本の立ち位置を感じられる歌の表現に自然に向かおうとしているんでしょうね。 

――竹善さんがご自身のスタイルが出来上がったと感じられた時は?

 スタイルはすごく流動的なので「スタイルが出来た」と思ったことはないですね。かつてブラックミュージックにすごく惹かれて、デビュー前はゴスペル音楽も沢山聴きましたし、ラテンやカントリー、果てはオルタナロックに傾倒したり、その時の好みの音楽を吸収するんですけど、でもそれになってしまったらモノマネで終わってしまうようでつまらない。逆にすべてを自分の要素に、とは思っています。そういう意味では僕の中でポール・マッカートニーは理想かもしれないです。ポールは例えばジャズを歌ってもいい意味でジャズシンガーにはならない。僕もそういう思いで歌っているので。自分のスタイルはいまだに模索中という感じです。もし「これだ!」というものが出来てしまったら、僕の性格としてそのスタイルに合う曲しか歌ってはいけないんじゃないかなと思ってしまうかも知れないですから。

――模索中だからこそ色んな楽曲に挑戦出来ていると。

 一生そうなんだと思います。リスナーとしても止まっているアーティストには興味がいかなくなる。それはどんなに大御所の方でも同じです。今も憧れている人たちはやっぱり止まっていないですから。僕らもやりたいことはまだまだ沢山あるので、今そう思えていることがすごく嬉しいですし、先輩たちのおかげで「ゴールはまだ先にあるんだ」と感じさせてもらっているので、展望としてはこれからも新しい音を届けられるように続けていくことです。

(おわり)

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