シンガーソングライターのNakamuraEmiが7月21日、オリジナルアルバムとしては約2年5カ月振りとなるニューアルバム『Momi』をリリース。昨年はメジャーデビューからの集大成となるベストアルバム『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST2』をリリースし、オンラインライブを行うなどその時にできることと真摯に向き合ってきたNakamuraEmi。コロナ禍でも音楽制作を止めず完成した『Momi』は3カ月連続でリリースされたデジタルシングル3曲と、テレビ東京系ドラマParavi『にぶんのいち夫婦』のエンディングテーマ「1の次は」を含む全8曲を収録。インタビューでは次のフェーズに突入したことを感じさせるアルバムの制作背景から、「楽しい作品ができた」と語るその真意に迫った。【取材=村上順一/撮影=富田味我】
ベストアルバムを経てやり切った感もあった
――今回もアナログ盤もリリースされますが、1000枚にシリアルナンバー入れるのも大変ですよね。
大変なんですけど、かなり慣れてきた部分もあって3時間ぐらいでできました。自分たちでもこんなに早くできるなんてとびっくりしました。
――ジャケ写はこれまで後ろ姿のものが多かったのですが、前を向いているというのも変化を感じました。
これまで後ろ向きだったのは、自分に置き換えて欲しいというメッセージもあったんです。自分のことだけじゃなく、人のことを考えて書くことが出来たから、ジャケ写も正面を向いて撮影したいと思いました。
――タイトルも『Momi』と変化しましたね。ついに『NIPPONNO ONNAWO UTAU』から離れて。
私たちも昨年『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST2』をリリースした時は、次のアルバムは『Vol.7』で行くつもりでした。でも、ベストアルバムを経てやり切った感もあって。コロナ禍で色んなものがリセットされ、肩の力も抜けて聴く音楽も変化していきました。色々挑戦していく中で一旦枠を取っ払って心機一転やってみたいという思いが生まれました。
――とはいえ、自分が培ってきた部分を捨てなければいけないところも出てくると思うのですが、そこへの不安は?
デビューして確固たる何かがないとブレてしまいそうで怖かったので、良い意味で型に嵌めていたのが『NIPPONNO ONNAWO UTAU』というものでした。それに助けられながらやってきましたけど、それを無くしてみようかと思えた時点で、これまで積み重ねたことが間違えではなかったし、やってこれたことに自信を持てたので不安はなかったです。枠を外せたことによって“NIPPONNO ONNAWO UTAU”という言葉がもっと自由になれるような気がしました。
――根幹にあるものは変わってはいないんですね。
そうなんです。ジェンダーという言葉が当たり前になったのも大きいですね。9年前に『NIPPONNO ONNAWO UTAU』を作った時は社会で男女差別を感じることがあったので、その中で自分が感じたことを書いていて。私の周りでは性について悩んでいる人も多かったのも大きいです。今はまた女という言葉が違う形で響いてしまう部分もあるのですが、私の中にある“素敵な女性になれたら”という気持ちは変わらないので、枠を取っ払った上で同じような形でできたらいいなって。
――今作を聴かせていただいて、チャレンジも多かったのではと思いました。その中でマスタリングエンジニアを2人起用しているのが珍しいなと思いました。普通はお1人だと思うんですけど、「私の仕事」のみMandy Parnelさんというのはどんな経緯があったのでしょうか。
今回レコーディングエンジニアも変わりまして、曲ごとに合うエンジニアさんを選ばせていただきました。私たちはマスタリングエンジニアは限られた方しか知らなかったので、今回担当してくださった奥田(泰次)さんに海外のマスタリングエンジニアで良い人はいないかと相談させていただいて、奥田さんがMandyさんは素晴らしいよと勧めていただいて。
Mandyさんには曲の説明とかはしていないんですけど、戻ってきた音の説得力がすごかったです。それでMandyさんに他の曲もお願いしようと思っていたのですが、事情があって叶わなかったんです。でも、逆に他の方にやってもらったらどうなるのかと思い、John Davisさんにお願いして。1枚のアルバムに複数のマスタリングエンジニアがいるというのも初めてだったんですけど、ディレクターさんもやって見ましょうと言ってくださって。
――面白い試みだと思いました。『Momi』というタイトルにはどんな思いを込めたのでしょうか。
チームみんなでタイトルは考えました。今まではナンバリングだったので楽だったんですけど、始めてアルバムのタイトルをつけることになって(笑)。最初はサーフィン用語とかも出てきたんですけど、これまでで出会ってきた人がいてこのアルバムができたという積み重ねだったのと、収録されている曲が食に関するものが多かったのが、このタイトルに行き着いきました。
自分たちがやってきたことが種まきとなって苗になって実になりましたし、稲やお米になって、このコロナ禍でも食に支えられた人はたくさんいると思うので、それを表現できたなって。そして、籾(もみ)は次のお米の種にもなるので、この作品でまた私が成長していけたらいいなという思いも込めました。
――Emiさんは食へのこだわりは強い方ですか。
そんなにこだわりは強くはないと思います。これまではツアーに出てしまうので野菜を育てることが出来なかったんですけど、基本お家にいることが多かったので野菜を育てる時間もありましたし、料理をしたりもしていたんですけど、改めてみんなで食事に行ったりする時間が楽しかったんだなと思いました。去年は食への喜びを感じた期間でもありました。
どんな状況になったとしても「やることは変わらない」
――さて、今作では「私の仕事」が3カ月連続配信リリースの第1弾としてリリースされていましたが、この曲を聴いた時にベクトルが違いますが『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.4』に収録されている「メジャーデビュー」が重なりました。
この曲が最初にできた曲でした。 このコロナ禍は私とってすごく意味のある期間でした。けれど医療従事者の方たちはすごく大変だったり、自分の仲間もお店を閉めることになってしまったり…。自分のことだけではなくいろんな仕事のことも考えてできた曲でした。
それらを見てこれから自分の仕事はどうなっていくのか、もしかしたらレコード会社や事務所とお別れする日もあるかもしれない、それは今の社会の情勢がそう私に思わせてしまいました。もし自分の仲間がいなくなってしまったとしたら自分はどうするのかと考えてしまって…。その考えの中で、もし自分は今やっていることがお金にならなかったとしても、音楽は大事なものなのでおばあちゃんになるまでやっていくんだろうなと答えがはっきりしました。どんな状況になったとしても「やることは変わらない」と思えたんです。
――そんな生きがいになっている自分の仕事を“投げ出してしまいたい”と思ったことはなかったですか。
上手くやれないもどかしさで「キツいな」と感じたことはあったと思うんですけど、投げ出したいと思ったことはなかったです。続けるためにどうしたらいいのか、という気持ちで活動していて。今が一番楽しいですし、音楽は自分が生きていくために本当に必要なもので、心の安定剤として大切なものなんです。それが改めてわかったことでした。
――今、アーティストととしての理想像はどんなイメージがありますか。
上手く言葉に出来ないので、そこまで明確ではないかもしれないのですが、これまでは自分の痛いところを突いてそれを改善していくものでした。今は自分にとって、失敗したり成功した先に挑戦できる大切なものに音楽はなって。辛いことをプラスに変えていくというのは楽しいですし、音楽が今までとは違う柔らかくて温かいものに変わってきています。これまで音楽を変えていきたいと思ったことはあまりなかったんですけど、音の理想が見えてきたのか、こういう音に変えていきたい、というのは明確になってきたところかもしれません。
――今回、作詞もすごく時間をかけて制作されたとお聞きしていますが、特に大変だった曲はありますか。
「1の次は」は特に大変で何回も書き直して時間が掛かってしまった曲です。チームみんなの意見を聞きながら書き直していったんですけど、やっぱりこの言葉は残した方がいいよとか、ディスカッションを重ねて書いた歌詞が今作では多かったです。この「1の次は」は、私が1から2の間に1.1、1.2、1.3と刻んでいるのが見えるタイプでそれを歌詞に落とし込んだんですけど、そういうふうに感じている人はあまり多くはないみたいで。スタッフの方も歌詞にある<でも1から2まで沢山数字が見えるの>というのはよく考えないとわからない、パッと見て伝わりづらいというのがありました。
――わかる人にはわかるといった感じですよね。
ここ数年※HSPという言葉でも認知されるようになって、その言葉で救われた人も多かったと思います。この曲もその気づきの一つになれたらいいなと思いました。これまではそう見えてしまうことで自分はダメだなと思うこともあったんですけど、ダメではなかったんだなと気付いたり。(※ハイリー・センシティブ・パーソンの頭文字を取った言葉で「視覚や聴覚などの感覚が敏感で、非常に感受性が豊かといった特徴を生得的に持っている人」のこと)
自分にとって一番楽しいものができた
――私の中でEmiさんの新境地だと感じたのが「投げキッス」でした。いろんな表現方法があるなかで“投げキッス”という行為に辿り着いた経緯はどんなものだったのでしょうか。
あるCMがきっかけでした。「投げキッス」というタイトルで実は2曲あって、この曲にこのタイトルを採用したんですけど、この言葉が自分にとってキーワードになってました。それは海外の素敵なおうちのお庭に大きなアクリル板が置いてあって、おばあちゃんが1人座っていて。そこにお孫さんがやってくるんです。きっといつもだったらハグをしてキスをするんですけど、今はコロナでできないからアクリル板越しでおばあちゃんと孫たちがキスをするというもので。映像としてはすごく素敵なんですけど、直接キスは出来ないのかと思って、そこからいろんな思いが私の頭の中で巡りました。
日本では挨拶でキスをする習慣はないんですけど、マスクを外して口が見えるというのは素敵だなと思いましたし、逆にマスクがあることで表情が見えなくなるというのも怖いなと思って。マスクを外して世界中で投げキッスができることはすごくハッピーなことだ、というのがあったので、それをテーマにして曲を作りたかったんです。
――グランジっぽいエレキギターが入っていたり、面白いなと思いました。
高校生の頃のカワムラさんが出てきたんだと思います(笑)。この曲はもっとBPMがゆっくりで賛美歌のようなイメージで作っていたんですけど、アレンジしていくうちにテンポが早くなって格好いいヒップホップ的な曲に変化していって、アレンジってすごいなと感じました。このままいくのかと思いきや間奏であのエレキギターが入ってきてびっくりしました。ギターソロはもう少し歌う感じだったんですけど、不思議な感じにして欲しいとカワムラさんに話して、納得がいくまで何度も録り直してくれて。すごく面白い曲になったなと思いました。
――すごくインパクトがありました。あと、1曲目の「drop by drop」ではトランペッターのDominick Farinacciさんが参加されていますが、どのような繋がりがあったのでしょうか。
カワムラさんが昔、お師匠さんである小沼ようすけさんのライブでDominick Farinacciさんとご一緒されていたのを観て、素晴らしいトラペットに感銘を受けてカワムラさんがファンになって。コロナ禍でリモートが当たり前になったことで、リモートでレコーディングをお願いしたところ、快くお引き受けいただいて。本当に素晴らしいトラペットを入れて下さって嬉しいです。
――さて、曲順はどのように考えて作りましたか。
アナログレコードを意識した曲順になっていて、今回は一発でオッケーが出たんです!
――最後が「ご飯はかために炊く」というのもすごく印象的で、良い終わり方だなと思いました。相手に合わせるという奥ゆかしさを感じました。
人に合わせてしまう部分とその相手がいることで知らない世界を知れた、という曲になったらいいなと思いながら作った曲でした。きっとパートナーの方と一緒に住んでいる人はそういう部分だらけだと思うんです。相手のどこかを許したり、受け入れたりして自分もこうしてみようと思えたり。私の両親もそうでしたし、それを見ていてすごく素敵なことだなと思いました。なので、人に合わせるというよりもその素敵な部分が自分にも入ってくるという感覚なんです。
――ご両親の姿が大きい?
はい。私の父は食べ物の好き嫌いが多くて、母が当たり前のようにそれに合わせていて。自分が小さい頃はそれが普通だと思っていたんですけど、大人になってもう一度両親と一緒に住んだ時に改めてこれってすごいことだなと思って。父は食の部分では合わせてもらっていたけど、考え方の部分では母に合わせていた所もたくさんあったんだろうなと、いま母親と2人で暮らしながらすごく感じています。こうやってみんな合わせあって生きているんだなと思いました。
――愛ですよね。最後にこのアルバムはEmiさんにとってどんな1枚になりましたか。
今までの人生の中で自分にとって一番楽しいものができたと思っています。頑張って作って思いが詰まったものができました、といった感じでした。楽しいという感覚で作れて、自由になれた作品でそれを残せたことがすごく嬉しいです。コロナ禍で出会った人もいて、その中で作れたアルバムで、色んな人がいて私が自由に作れたというのがあります。
(おわり)