<AKB48G“ミューズ”の軌跡:Nona Diamonds(9)>
AKB48国内6グループから最も魅力的な歌い手を決める『第3回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦』のファイナリスト、池田裕楽(STU48)、野島樺乃(当時SKE48)、岡田奈々(AKB48/STU48)、秋吉優花(HKT48)、古畑奈和(SKE48)、矢野帆夏(STU48)、三村妃乃(NGT48)、山内鈴蘭(SKE48)と、審査員特別賞の山崎亜美瑠(NMB48)によるユニット「Nona Diamonds」が「はじまりの唄」でデビュー。作詞・作曲は決勝大会の審査員を務めたゴスペラーズ・黒沢 薫。「9つのダイヤモンド」を意味する造語を冠したユニット名には「一人一人の歌声がまるでダイヤモンドのようで、これからも磨いていき、まわりの楽器と共にキラキラと輝いてほしい」との思いが込められている。今回、MusicVoiceでは9人のインタビューを連載歌に見出された“ミューズ”はどのようにして輝き出したのか、その軌跡を辿りつつ「はじまりの唄」、そして歌への想いを聞く。【取材=木村武雄】
池田裕楽、歌のはじまり
「もう、わけがわからないです」
煌びやかなテープが舞うステージで、声を震わせながら涙を流していた。STU48加入1年ほどの2期研究生・池田裕楽が第3回大会で優勝した。周囲の驚き以上に自身が驚いた。
「リハーサルの時から現実なのか分からなくなるぐらいで、何を喋ったかもあまり覚えていなくて…。あれから半年以上が経ちますが、ずっと夢の中にいる気分です」
絵に描いたようなシンデレラストーリーに、まだ気持ちが追いついていない。
決勝大会があったその日は「ずっと緊張していました」という彼女だが、その動揺をよそに歌い始めた途端、迫力のある歌声に会場の空気はがらり変わった。何色にも染まっていないピュアな歌声と、堂々とした歌いぶり。審査員の磯貝サイモンは「若さと大人の雰囲気が絶妙なバランスだった。未来がまだまだあります」と評価し、黒沢薫は「度肝を抜かれました」と感激した。
決勝大会で歌ったのは「かざぐるま」(一青窈)と「異邦人」(久保田早紀)。当時16歳。いずれもこの大会で初めて知った曲だった。「歌った時に楽しいと思い選びました」。なかでも「異邦人」の節周りは流線を描くようにしなやかで柔らかい。ファイナリストライブで、美空ひばりの「川の流れのように」が選曲された理由が分かる。
池田にとってこの舞台は夢でもあり、STU48のオーディションを受けようと決めた大切な場所だ。
第1回大会のファイナリストライブで岡田奈々と矢作萌夏(当時AKB48)がデュエットした「さよなら 大好きな人」(花*花)をテレビで観て心を奪われた。
「『楽しそうだな』って感激して『この大会に出たい!』と思いました。もともとAKB48グループは可愛い衣装で歌って踊る印象が強かったのですが、歌だけで勝負する姿を見て、アイドルと歌を両方できる場所があるんだと憧れを抱くようになり、この大会に出るためにはAKB48グループに入らなければと思うようになりました」
そんな池田の“歌の始まり”は家族。「異邦人」などを歌ったことからも、てっきり家族の影響で昭和歌謡を聴いていたのかと思いきや、「ONE OK ROCKや、NE-YOとか洋楽しか聴いてきませんでした」。父は洋楽好き、妹はK-POP好き。家では洋楽がずっと流れ、移動中の車内はどちらかがかかっていた。ただ池田は自ら進んで音楽を聴くタイプではなかった。アイドルへの憧れを明確に抱くまでに様々な体験を踏んだ。
小学校1年生の時に将来の夢は「AKB48になる」と書き、小学校4年生の時にはダンスにのめり込んだ。「当時はなりたい職業がいっぱいありました。アイドルっぽくもなりたかったですし、かっこよく歌を歌いたいとも思っていました。でも友達が美容師になりたいと言えば、私もなりたいという感じで影響されやすかったです」と笑う。
ただ、中学校2年生の時に通い始めたダンススクールでの体験がアイドルをより身近なものへとさせた。「私と同じ時期に入った子が3カ月ぐらいでアイドルデビューして、『え!こんな身近にアイドルになる子がいるんだ!』と驚きました」。そうした経験が「歌いたい」「アイドルになりたい」という下地を作った。
そして、テレビで見たファイナリストライブに憧れを抱き、1年後、STU48に2期研究生として加入。更にその1年後、第3回大会で優勝した。あれよと階段を上り詰めたようにも見えるが、悩みはあった。
「正直、私は2期研究生のなかでもそれほど目立っていませんでしたので、この先どうなるんだろうと不安を持っていました。この歌唱力決定戦で少しでも私のことを知って下さる機会は増えたと思いますので、私にとって大事な場となりました」
そして迎えた夢のファイナリストライブのステージ。運命を変えた岡田奈々、そして先輩の矢野帆夏とSTU48の「ペダルと車輪と来た道と」を歌った。
「私がテレビで見ていた光景が目の前にありました。憧れていた先輩方とSTU48の曲を歌えて嬉しかったです。STU48の一員だと実感して、すごく幸せでした」
まだ選抜にも選ばれていない彼女が「はじまりの唄」に参加する。まだまだ夢の中だ。
ここからは一問一答。
決勝大会、うまく歌えていなかった
――いつも歌う時に大切にしていることは?
STU48の公演でもそうですが、ステージに立つ前に嫌な事や悲しい事、面白くて思い出し笑いをしそうなときがあっても、ステージに立ったら切り替えて歌に集中することは心掛けています。
――決勝大会ではありのままに歌っていた?
ここはこういう風に歌いたいという感じで練習しました。ステージ上で『次はこうしないといけない』ということは考えられないので、本番で自然にできるように体に覚えさせていました。
――「異邦人」を自分の表現で歌いたいと話していましたが、特に気を付けた点は。
この歌はすごく難しくて、得意ではありませんでしたが、歌っていて楽しいので選びました。本番までまともに歌えたことが2回もないぐらい。100%が完璧なら70%ぐらい。練習の時も大丈夫かなって思っていました。
――自分の歌のどこを評価されたと思いますか?
褒めて頂くのですが、私には分からなくて。すごく上手な方は沢山いますし、自分に自信はないです。でも「異邦人」は本番では一切考えずに、楽しく歌うことを意識しました。ベスト8に入れたことが嬉しくて『こんなに大きなステージで2曲も歌わせて頂けるんだ』って。それと夢だったファイナリストライブに出られることも決まったので楽しく歌おうと思いました。
「はじまりの唄」、感動で涙
――最初に聴いた時の印象は?
仕事帰りの新幹線の中で聴きました。『曲が出来たんだ!』と思って聴いたらすごく感動して涙が出ちゃって。この曲をこれから歌うんだという嬉しさもありましたし、歌詞からは、黒沢さんが私たちを考えて書いてくださったことが伝わってきて。そのなかでも好きフレーズは2番のサビおわりの<どんなに手を伸ばし 追い求めても><この手に届かないものがある>。曲調が走り出す感じの疾走感が好きで鳥肌が立ちました。
――このフレーズはマイナスには捉えていない?
歌唱力決定戦では1位という結果を頂きましたが、それ外れてグループ内や他の事になると頑張っても追いつかない部分があって。もちろん、歌でもまだ皆さんに追いついていないという気持ちもあります。私なりのいろいろな感情があってそのフレーズに共感しています。
――歌割を知った時、どう思いましたか。
音源で歌割を確認したときに、重要な所を任せて頂いたと感じました。最初の全員で歌った後の一人で歌うところやサビ、最後の盛り上がるところのサビ。サビも全員で歌うのかなって思っていたら私一人で…、ハモリをして頂いているんけど「すごく頑張らないと!」と思いました。
――黒沢さんからアドバイスは?
2番に<主人公は私 繰り返し 言い聞かせて><光り輝く方へ 今 走り出して>というフレーズがありますが、<今 走り出して>というところは「走り出すイメージで歌ってみて」とアドバイスを頂きました。最初は戸惑って何回かテイクを重ねましたが、頑張りました!
――レコーディングはどうでしたか?
すごく緊張しました! 9人のなかで最初だったんですよ! 本当に緊張しちゃって(笑)。(一人だけブースに入っているので)私からは(周りが)見えないんですけど、いろんな方が私の歌声を聴いているので『どうしよう』ってガチガチになって(笑)。でも黒沢さんがレコーディングしやすい空気を作ってくださったので、だんだんと緊張がなくなって歌えました。
ファイナリストライブ、一員になれたと実感
第3回決勝大会でベスト8に勝ち進んだファイナリストらによる『第3回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦ファイナリストLIVE』が3月26日、千葉・舞浜アンフィシアターで開催された。生バンド編成でそれぞれが歌いたい曲などを披露した。シングル「はじまりの唄」のミュージックビデオは、そのライブでの映像とメンバーそれぞれのリップシーンによって作られている。
――ファイナリストライブ、緊張はありませんでしたか。
ずっと出たかったので緊張半分、楽しみ半分でした。リハーサルでステージを見たときに、私がテレビで見ていた光景がそこにはあって。円形のステージや花、バンドの楽器。そこに自分がいて、これから出られるだと思ったらワクワクしました。
――そのなかで岡田さんと矢野さんと歌いました。
歌いたい曲に「ペダルと車輪と来た道と」を候補に入れました。オーディションの時から好きだと言ってきた曲で、それをファイナリストライブで歌っている。その時に私がSTU48の一員なんだと実感しました。STU48のメンバーですが、自分がグループのために出来たことや「私はSTU48です」と胸を張って言えた場面がなかなかなかったので、すごく幸せでした。それを憧れていた先輩方と歌えて嬉しかったですし、もっと頑張りたいと思いました。
(おわり)