ヒグチアイ「私というものから逃げも隠れもしない」音楽に込める覚悟の形
INTERVIEW

ヒグチアイ

「私というものから逃げも隠れもしない」音楽に込める覚悟の形


記者:平吉賢治

撮影:

掲載:20年09月04日

読了時間:約12分

 シンガーソングライターのヒグチアイが2日、初のベストアルバム『樋口愛』をリリースした。自身の名を冠した本作は、2014年のインディース時代の1stアルバム『三十万人』から現在に至るまでキャリアの6年間を凝縮した全13曲を収録。リレコーディングされた楽曲や新曲2曲も収められている。デビュー前に書かれた楽曲も含み、6年間という活動期間とヒグチアイの様々な深い思念が形となった。本作の話題を中心に、現在のヒグチアイが想うこれまでの軌跡、そして現在、変化を遂げるこれからの展望について話を聞いた。【取材=平吉賢治】

どんな時期でも大事なものは全然変わらない

『樋口愛』ジャケ写

――今作の13曲はどのように選曲したのでしょうか。

 ライブで人気がある曲やミュージックビデオになっている曲、リード曲は入れなきゃなと思いました。もう一回聴いてもらいたい曲、このベスト盤に入っていたら聴いてもらえるんじゃないかという曲を選びました。

――ご自身のお名前をタイトルとした理由は?

 タイトルを本名にしたのは、自分の過去に色んな後悔があって、人を傷つけたりしたこともあったけど、それを全て背負って、逃げも隠れもしませんという覚悟です。

――13枚のヒグチアイさんの写真で構成されたデザインのジャケットも印象的です。

 ベストだから色んなものが集まっているというイメージにしたかったんです。13人にするつもりはなくて、最初は5、6人だったんですけど意味があるなと思って結局13枚選ぶことにしました。色んなタイプの自分、恰好つけたい自分や柔らかく歌う自分もいるけど、全てを知っているわけではないんです。このベストを出したところで、私の今までの全てではあるけど、これからの全てではないという、自分がぼやけている感じがジャケットに合っているかなという気がします。これからも続く、まだ見えていない可能性があるという気持ちを込めています。

――まだ見えていない可能性というところにもかかるのですが、コロナ禍という特殊な期間で、これまでの価値観などが変わったり改めて考えるような時期でもあると思います。この期間で気づかれたことなどはある?

 大事なものは全然変わらないなと思いました。もともと自分は、大切にしているものや好きなものなどは少ない方ではあったんですけど、それがこの期間で変わったかというと全く変わっていなくて。そういうのは大切にしないといけないなと。あと、自分の時間が増えた人が多いと思うんですけど、自分のことをちゃんと見つめることはどんな時、どんな人でも必要です。そこにみんな気づいてくれたらいいですよね。忙しい中にも自分のことを考える時間を作るべきなんじゃないかなと思います。

――自分の時間が増えて自分と向き合って、というのは確かに大切だと思います。個人的には人と会う機会が激減したので、直接人と触れ合うことの大切さに気がつきました。

 確かに…電話やZoom飲み会とかもしなかったんですか?

――リモートでのやりとりはそれなりにありましたが、Zoom飲み会はまだやっていません(笑)。

 私はZoom飲み会を3回くらいやったんですけど、「これの意味ってなんなんだろう」とか考えだしちゃって(笑)。時間を共有しているという感覚はあるんですけど、家にいるので半分以上は自分の世界にいるというか。だから自分が相手に全て向かっていないというのが実際に会うのと違うのかなと思いました。それは相手も一緒で。Zoomも電話もそうですけど、自分に全て向いてもらいたいと思うんです。それは生ライブもそうだと思います。自分も相手も互いに100%向き合っているという状況が一番釣り合っているなと思うんです。

――確かに、リモートでのコミュニケーションの最中では他に自分でやれることがあったりしますが、実際に会っているとそうはなりませんね。

 わがままなんでしょうけど。たぶん、その時は自分を愛してほしいという感じなんです。

――わかります。恐らく、その感覚がほとんどなかったから自粛期間中特有の孤独感を覚えたのかもしれません。

 自分に向いてくれる人がいない、自分のために時間をつかってくれる人がいないのは寂しい一つの理由かもしれません。

新録曲と新曲にこめられた想いとは

――先ほどお話ししたような寂しさについてですが、今作でも「孤独」という感情を歌った曲があるという部分に繋がりを感じたのですが。

 そうですね。もともとさみしさについてずっと考えているので、そういう曲ばっかり出来やすいと思うし、今でもその答えは出ていません。一人で生きていくのか、誰かと生きていくのか。その中に孤独があるのかと。友達が少ないというか人と仲良くできないんですよ。友達がたくさんできる人との圧倒的な差を感じて、そこに対してコンプレックスを持って色んなことを言えなくなっちゃったり。そういう人間だからこその「その中で孤独を感じたくないな」と思うというか…それは中学生くらいの頃からずっとある課題ですね。

――例えば、交流関係が幅広い友人がいるのですが「深く踏み入らなくても友人関係というのは続けられるのだな」と、感心することがあるんです。

 なるほど。私の周りにいる交流関係が幅広い友人はみんなに対して踏み込むんですよ。誕生日だったら絶対「おめでとう!」って連絡するとか、「なんでそんなこと覚えているんだろう?」ということを覚えていたり、Twitterとかで周りの何気ない一言を「大丈夫なの?」とか拾ったり。そういうマメな部分があるんですよね。

 それが自分には全然なくて気ままというか。開きたい時と閉じたい時があって、閉じたい時に「ご飯行こうよ」と誘われてもそういう気にならならなかったり。でも行っておいた方がいいと思って行っても楽しい気分になれなくて、そうすると相手も楽しくないからその後は続かないという。元々人付き合いが得意じゃないところもあるから、常に開いている状態で人と接することができたらいいんでしょうけど…40、50歳くらいでそうなれたらいいかなって思っています(笑)。

――そういった特有の孤独感や思念があるからこそ、作品が生まれるのではないかと思います。

 今作はこの6年間と言いつつも「ココロジェリーフィッシュ」は19歳の頃に書いた曲なので、活動の全てが入っていると思います。「やっぱりあの時から変わっていないな」という不器用な部分みたいなのがまとまって見えたなと。自分のいいところも悪いところもかなり濃くなっているんだなという感じがします。

――本作では新たに録音した曲が収録されていますが、新録とした理由は?

 「ココロジェリーフィッシュ」と「黒い影」は2014年のアルバム『三十万人』収録曲なんですけど、録った時にかなり悩んだ覚えがあるんです。その時に定まらなかったことがライブや時間を重ねてアレンジも固まってきたし、「この形が自分の中で完成形なんじゃないか」という気持ちで録り直したかったのが一つの理由です。

 それに声の出し方がけっこう変わっちゃってて。ちょっと歌もうまくなったので、それをもう一回聴いてもらいたいというのもありました。「まっすぐ」は録った時に凄く苦しかったというか…あまり近くにいる人達を信頼していなかったような、本当に色んなことがあって「CD出してもしょうがないんじゃないか」というくらい、投げやりな気持ちになることがあったりしたんです。

 近くにいた人が音楽業界を辞めちゃったりとか、色々あった後でのレコーディングだったので、あまり納得していない曲が多かったんです。その中でこの「まっすぐ」という曲だけがその年の自分を救ってくれた曲なんです。この曲で色んな人と繋がれました。でも私はそのレコーディングに納得いっていない部分もあったので、曲への恩返しみたいな気持ちでしたね。

――今作には新曲も収録されていますが、「八月」はどういった心境で制作しましたか。

 30歳という年齢もありますけど、周りが結婚したり子供が産まれたりして、それによってだんだんとフェードアウトしていったりして…自分の小さい頃にトレンディードラマとかでやっていた「結婚がゴール」とか、「そうなったら仕事を辞めて子供を育てるのが幸せ」みたいなのを刷り込まれてきた世代なので、「誰かと一緒にいなければいけない」と考えることが多かったんです。

 その中で、どうやって自分を確立していくのか、またその逆で「誰かと一緒にいる人で、そこから動けないと思っている人はどういう気持ちなんだろう?」というのを考えて。孤独ではいられないけど、この人と一緒に居続けていいのかと迷ってしまう感じというか。でも「この人と一緒にいることを続けること」が大事なんじゃないか。また新しく恋人を作るのかとか、でもこの関係に納得いってないとか、丁度この30歳前後くらいであるような2人の話なのかなという感覚でした。

――その想いがMVの描写に表れている?

 そうですね。MVはドラマ仕立てというか、よい時と悪い時の2人を表現したいと監督が出してきてくれました。時間によって変わっていく気持ちが濃くなっていく部分もあれば、見えなくなっていってどんどんなんでもない関係に見えていってしまうこともあって。歌詞の最後の方の<「あなたじゃなきゃ」じゃなくて あなたがいいってちゃんと選びたい>という部分は、「この人じゃないといけない」という感覚とか、「ここまで続けてきたんだから続けないと」という感覚で選ぶのではなく、「自分がこの人といたいから一緒にいる」という最初の気持ちをずっと持ち続けられたらいいのになという感覚です。

――例えば10年寄り添った2人が実は途中で冷めてきていても「せっかくここまで付き合ってきたしこれを節目に」という感じではないと。

 そう。自分で「この人の側にいる」ということを選びたい。「そういられたらいいですけどね」っていう感じでもあって、最後に願望というか「こういう気持ちでいられたらいいのにな」というところが出ているのかなと思います。

――自分がよっぽど「この人だ」と思える相手と出会えたらアプローチしたいけど、そうではなく「年齢的にそろそろ」といったような感覚で相手を選びたくない気持ちの人も確かにいると思います。

 「この人だ」って思うのって「ビビッとくる」みたいな感じなんでしょうかね? あまりそう思ったことはないんです。一緒にいたら見つかるような気がしていて。

――直感で「ビビッとくる」という感覚から選ぶ人と、「ちょっと気になる」と思って付き合い初めて時間とともにだんだんわかり合えてくるという人と、わかれるのかもしれません。

 一緒に仕事をする相手を選ぶ場合もそうかもしれませんけど、「この人と一緒だったら面白いんじゃないか」という自分の直感的な感覚というのはあまり信じていなくて。「思ったよりよかったな」と、思うことが多いんです。最初に期待していることがあまりないというか。付き合ってみて「意外とよかったな」と思うことが重なっていけば続いていくだろうし、それを探さないまま一緒に居続けるみたいなのはできないだろうなって思いました。

「自分の理由」を考える時期

――本作では新曲がもう一曲「東京にて」があって、3曲目にも「東京」と、2曲“東京”がタイトルに含まれています。「東京」の方は一人称の視点、「東京にて」は二人称、三人称で書かれていると感じたのですが、どのような視点で新曲の方を書かれましたか。

 「東京」は2014年のアルバム『三十万人』収録ですが、出来たのは2011年くらいなんです。その時は本当に自分が主人公だと思っていたし、自分に音楽の才能があって今後世に出ていく以外の答えがなかったんです。だから迷っている感じの曲ではありつつも、書いた時の気持ちは迷っていないというか。本当に答えだけは、はっきりわかっているという感覚でした。

 そこから時間が経って東京で暮らして、全然答えが一つじゃない、色んな道があって色んな人がいることがわかって、やっと今暮らす場所になっています。何かを死に物狂いでやらないと生きていけないという状態ではなくなっちゃっているというか、憧れの街というよりは「暮らしている」という感じになっていて。

 でも、東京はずっと変わり続けていて、あの頃よりも色んなものができたりなくなったりする中で、「自分はこのままでいいのかな」と考えたんです。だから私が新しい答えを作らなきゃいけないと。「東京」を書いた時は<迷ってないのに答えは見えない>と言っているんですけど、新しい答えを作らなきゃいけないという時期になってきたのかもしれないと、ちゃんと爪痕を残さなければという覚悟はあります。

――確かに2011年から東京は相当変わりました。「東京にて」の歌詞にもありますが、渋谷もかなり変わりましたし。

 私は2011年の震災の時は渋谷にいたんです。建設中の建物の脇のクレーンが落ちるんじゃないかというくらい揺れていて…その時の建物が出来たのが最近な気がするのに、もう他の新しいビルがたくさん出来ていて、前にそこに何があったのかも覚えていなくて。新しいのが出来たから終わりじゃないというか、もっと先のことまで東京は考えているのに自分は終わりがないと次を考えられないというのが弱いなと思ているというか。

――変化という概念を東京という街と比べた心情も含まれていると。

 ありますね。「自分は変わっていないのに東京はこんなに変わっている」と。でもネガティブな曲にはしたくなかったので、前向きな感じで終わっています。作った時はけっこうネガティブな気持ちがあった気もしますけど、東京が好きなので、東京で暮らすことは今後も変わらないと思います。憧れの街なので。

――なるほど。ところで、ヒグチアイさんは『うふふプロジェクト』というのを展開中のようですが、どういった内容でしょうか。

 これはさみしさについて考えようというものなんです。30代で結婚をしない、子供をつくるつくらないみたいな、そういう話にも全部繋がっていて。さみしさを抱えながら生きている一人の女性だったり、そのさみしさを乗り越える方法みたいなのを一緒に探そうという雑誌になっています。

――今作では「小説樋口愛」というものもがありますが、どういった想いが綴られているのでしょうか。

 これはブックレットに収められたものなのですが、私の曲を聴いてくださる方々は文章を読む方が多いんじゃないかなと思いまして。今作の各曲にまつわることを色んな角度から捉えられるような小説になったら、「2回、3回目聴きたいな」という気持ちになってくれるかなと、歌詞のスピンオフみたいな気持ちで書いた小説です。

――正に色んな角度から楽しめますね。さて、現在世界中がコロナ禍という未曾有の事態ですが、こういった時期を経てあらゆることがどのように変化していくと思いますか。

 本当に考えているけど、どうなんでしょうね…答えはでないんですけど、自分のやりたいこと、大切なこと、好きなものは変わらないし、この時期にそれをもう一度考え直している人が多いと思います。色々と考えずに、流れに任せてぐるぐると生きていくという人がもしかしたら多かったのかなと思うので、「何で働いているのか」とか、そういう理由を考えた人が多いんじゃないかなと。

 だから「自分の理由」みたいなものが一回クリアになるというか、今までこんがらがっていたものが一度まっすぐになって、みんな、自分の考えが澄んでいくことで色んなことが変わるんじゃないかなって思っています。コロナ禍自体は決していいものではないですけど、もしかしたらこれをきっかけに、生きやすい世の中になるんじゃないかなって思ってます。
(おわり)

「HIGUCHIAI band one-man “BEST” tour 本人」

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