Kaz Skellington

 東京における新型コロナウイルスの新規感染者の増大が問題になっている。予定されていた大規模イベントの人数制限の緩和も8月末に延期され、屋内外での音楽フェスの完全復活も先送りになりそうだ。本来なら東京五輪で盛り上がっていたはずの夏は予定を大きく狂わされ続け、いまだ日常は戻らぬままである。

 しかし塞ぎこむだけでは発展性はない。そんな時は逆境におけるアーティストの考え方に勇気づけられるものもある。そういった情報を発信しているヒップホップ媒体が「Playatuner」だ。ここでの記事に救われたという人も少なくないだろう。運営者は自身もアーティストであるKaz Skellington。彼はコロナ禍や社会的なメッセージを放つ音楽家が増えた現状をどう思っているのだろうか。自身のアーティスト活動の近況を含め、話を聞いた。【小池直也】

Kaz Skellington

――自粛期間の過ごし方はいかがでしたか?

 3月中旬から緊急事態宣言が明けるまで本当に家から出てなくて、コンビニに買い物に行くくらいでした。多分トップレベルで外出していなかったと思います(笑)。新型コロナウイルスについては、最初は未知過ぎて「これからどうなるんだろうな?」と思っていました。家族がアメリカがいたので、ニューヨークの感染者が増えていく状況を見て心配でしたね。今年は、なるべくアーティスト活動に時間を割こうと思っていましたが、予定されていたライブもキャンセルになってしまいました。ヒップホップメディア「HIP HOP DNA」など、他媒体のコンテンツ制作などを受け持っているため、自社メディアであるPlayatunerもしばらく動かせていなくて。

――アーティスト活動としては5月に「Anthem (Funk Drama)」の動画を公開されていました。

https://songwhip.com/kaz-skellington/anthem

 すごく時間をかけた作品だったので、これをコロナ前に撮影できたのは不幸中の幸いです。今では、確実に撮れないような内容なので。自主制作なのもあって、構想と制作に半年以上かけていて、もし撮影スケジュールが遅れてお蔵入りになっていたとしたら、死んでも死にきれなかったと思います。映像のアイディアを元に作った曲だったので、映像は必須でした。

 去年の10月頃に、一人でお台場を歩いていたら、「20人くらいでファンキーな格好をして街を練り歩きたい...」と思って、そこからメッセージが伝わるような映像のコンセプトを作っていきました。いつも制作において、撮影以外は絵コンテも含め僕自身が作っているのですが、今回は映像における洋画っぽい色味なども研究し、こだわりました。映像でみんなが着ているファンキーな衣装も、8割ぐらいは高円寺の古着屋などで自分が調達していて、個人的にはかなり大きなプロジェクトでした。そう考えると大きなフェスなど、1年がかりで大勢で準備していたプロジェクトがコロナで突然無くなってしまった人たちは、精神的にも相当きついと思います。

――自粛期間などで新しく着想されたことなどはありましたか。

 音楽以外の創作をする様になりました。「アーティストとして作品を作るって何だろう?」と今まで以上に考えるようになって、それが今製作中の新しいアルバムの構想にも影響しています。「ミュージシャンだから音楽だけを作る」のではなく、アーティストとして、「そのときの感情の爆発」をアウトプットした作品をもっと作りたいと考えたとき、自分にとって音楽だけだと限界があるなと。アートワークやビジュアルなどを含めた「作品」を包括して聴いた時に、コンセプトや世界観がより伝わるように、従来の「音源が10曲まとまったアルバム」ではないものを作りたい。だから粘土について調べて、作りたいものを作ってみたり、今まで以上に絵を描いたりもしています。

 実はもともとアート系のことがやりたかったのですが、家族や周りに「絵が下手だ」と言われて育ったので、今まで絵を描いて人に見せることを怖れていました。でも「下手だからこそ描ける自分の絵もあるかも」と思って、注意深く色んな作品や、周りの環境を観察してみると、今まで気付かなかったディテールに気がつくようになって。例えばなんとなく「白色」だと思っていたものが、実はよく見てみると白じゃなかったり、緑だと思っていたものにはグラデーションがかかっていたり。音楽においては、ミックスとかもやっているので、そのようなディテールにこだわりを持つことができていたのですが、創作の洞察力を鍛えるためにも他のアートフォームに触れることは大切だなと思いました。それによって次の表現のレベルに行きたい、と考えていた自粛期間でした。

――以前からPlayatunerで海外の音楽家の考え方やエピソードから、自分たちがどう生きていくべきか、という様な内容を発信をされていました。コロナ禍以降、SNSなどで社会的な発言をするアーティストが増えたことについて思うことはありますか。

 Playatunerは、問題を抱えるなかで少しでも前に進む糧になるような記事や、「自分にも同じ様なことができるかもしれない」とエンパワーするようなメンタルヘルス的な記事が多かったので、今の流れと「社会的」のベクトルが少し違うかもしれません。そういう記事を書いていたのは、単純に自分自身が生きるのがめちゃくちゃ辛かったというのもあり、正直自分のために書いていたというのもあります。身近に感じる問題がそこだから、自分の曲も歌詞が暗かったり、そういう感情を表したものが多いですね。大変な経験をしているアーティストも少なくないし、そういう話を聞くと作品に対する想いも変わってくることもあるので、自分がアーティストをインタビューする時はそういう背景を聞くことが多いです。

 質問の趣旨とはちょっと変わってしまいますが、個人的には「人生ずっと満足でハッピー!」という人は音楽を作らない可能性が高いんじゃないかなと(笑)。何かしらの救いを求めてそこにたどり着くというか、「作りたい」や「何かを表現したい」という気持ちが大きくなって、作り続けるという人が多いんじゃないかなと思います。どっちが良いとかはないですが、それがアーティストとミュージシャンの違いなのかもしれないですね。「芸術は爆発だ」とよく言いますが、何かしらの気持ちが爆発して、漏れ出てるかどうか。もちろんスポーツ感覚の作曲も楽しいし好きですが、個人的にはそれを世に出すことはあまりないです。

――Kazさんはアメリカ、特にLAのミュージシャンとも交流がありますが、彼らの様子は今どんな感じですか?

 LAの友人には、イベントやライブが無くなったことに不満や不安を持っている人もいます。4月末くらいにアーティスト友達であり、僕が勝手にメンターだと思っているルイス・コールと数カ月ぶりに話したのですが、彼は日本がすごく好きなので、日本を心配していて。「日本の満員電車はヤバそう」とか「LAはそもそもが広くて、ディスタンスがある」という感じでした。みんなと深く話したわけではないですが、電話とかメッセージの感じだと明るく話す人が多い印象です。

 ルイスのバンドやThumpasaurusというバンドでサックスを吹いているHenry Solomon(ヘンリー・ソロモン)によると、LAの小さなライブハウスもコロナの影響でつぶれている様です。でも彼は「俺らが音楽を続けている限り、店がつぶれても自分たちでまた立ち上げればいい。だから俺らがやるべきことは、音楽を作り続けることだ」と言っていました。こういう発言を聞いて、日本と少しメンタリティが違う部分もあるんだろうなと思いました。場所が無くて、最悪な状況だったとしても、自分たちが0から作っていくという考えがもっと一般的に浸透しているのかなと。日本でもクラウドファンディングなどでアーティストとライブハウスが一丸となっていますが、アメリカというかLAとかは、そういう「場所」も含めて「自分たちが作っていくんだ」という心意気が強い気がします。例えそれが「勝手に」作ることになったとしても。

 日本でも文化におけるビジネスマンよりの人たちが演奏する場所を提供し、アーティストはブッキングされる、という構図だと思うのですが、アメリカの場合は土地が広いという意味でも、「仲間内でハウスパーティーとか、その辺で演奏してたら、いつの間にかそこがちゃんと演奏するための場所になってました」みたいな例もあるんじゃないかなと思いました。スケートボードなどのストリート文化とかもそうですが、海外では「本来の目的とは違う用途で使用してたら、いつの間にかそれ専用の場所になってた」という例が結構あります。そういう意味でも、演奏する場所が用意されていなくても、自分たちで作る気概があるというか。

Kaz Skellington

Kaz Skellington

――なるほど。

 僕はスケートボードが好きなので、さっきのスケートボードの例で話すと、LAにはちゃんとしたスケートパーク以外にも、ストリートのスポットが多いんですよね。「サンタモニカ・コートハウス」という伝説のスポットがあって、そこは裁判所の敷地なのですが、スケボーに最適すぎて多くのプロスケーターたちがビデオ・パートで滑るようになったんです。その結果、アメリカ中のスケーターたちが、その裁判所に滑りにくるようになった。もともとは「スケボー禁止」の場所だったのですが、2013年にその裁判所が取り壊されることになったときに、「ここで生まれた文化は失くしちゃいけない」とNike Skateboardingがその土地を買って守ったんですよね。そういう例って結構あって、ストリートで勝手にやってたものが文化となり、オフィシャルなものになる、という成長過程を目の当たりにした人が比較的に多いんだと思います。だから何もなくても自分たちで場所を作るということに寛容な人が多いんじゃないかなと。

 グラフィティとかもそうで、一般的には「落書き」をしてた人たちが、ものすごいアーティストになるという例を知ってるから「これはすごいカルチャーなんだ」と理解できる人が増えるのかなと。ストリートカルチャーって人為的に用意されたものではなく、そのように自然発生するものだと僕は思っているので。日本の路上とかは滑ってても20分くらいで追い出されるので、スケートパーク以外では滑らない人が多い印象ですね。このような「ここでやってください」と「勝手にやってたら、そのための場所になっちゃった」みたいな違いは、音楽にも通じるところあるな、と思いました。

――Kazさん自身は日本のスケートパークに行かれないんですか?

 行きますよ。今、唯一の外出先がスケートパークです(笑)。そこでインターナショナル・スクールの小中学生と仲良くなって、アメリカの政治やブラック・ライブズ・マター(BLM)のような社会情勢の話をすることもあります。みんな英語を話すし、親がアメリカ人だったりしますが、アメリカに住んだことがない子も結構いるので「向こうでアジア人として育つのはどんな感じ?」と聞かれたりも。

 そういう話題について「全然わからない」という子もいますが、「友達とはそういう話できないから」と真剣に意見してくれる子もいる。年が離れすぎてるのもあって、同年代の子と話すより意見を言いやすいんでしょうね。

――BLMについては今も議論が活発におこなわれていますね。そのスケートパークとSNSの雰囲気を比べて感じることなどは?

 スケートパークの方がじっくり語れますね。相手がなぜそう思い、どんな経験をしたとかを知ることができるので、議論は1対1のほうが個人的には好きですし、重要だなと思います。ネットだと短い文字数で要約しないといけなかったり、一方的なやり取りになってしまったりするので、難しいですよね。会ってみたら建設的に話ができたということもありますし。面と向かって話せば伝わることも、文章力不足や読解力不足が原因で伝わってない場合もSNSでは見かけますしね。

 僕自身も仕事やバンドにおいて議論するときに、ここ数年はなるべく文章じゃなくて会って話すようにしています。普段、面と向かって話したら普通に意見を言えるのに、文字だとお互いに嫌味な感じになってしまったりする場合もあると思います。相手に火が付いた瞬間って「今、不快に思ったな」と文体でわかるもので、それを知りながら自分の意見を通したいがために追い込みをかけてしまうという心理って少なからず誰にでもあるんじゃないかなと。

――その悪意を制していくことが相互理解に大切なことですね。最後に今後の展望などあれば教えて下さい。

 結局は自分が「やらなきゃいけない」と感じたことを素直にやるだけだと思うので、それができればなと思います。個人的な幸せで言うと、何か作品を作り続けてないと駄目なタイプの人間なのですが、社会的や倫理的に「何か行動を起こさないといけない」と今以上に強く思うタイミングがくると思います。その両者のベクトルをどうやって同じにするかを考えたいですね。今やってる活動以外にも、そういう意味でも一つ考えているプロジェクトがあるので、そうやって色々作り続けたいです。

Kaz Skellington

 ◆Kaz Skellington(カズ・スケリントン) カリフォルニア州オレンジカウンティ出身のアーティスト。Steezy株式会社代表取締役、Playatuner代表、HIP HOP DNA編集部、元J-Wave「Booze House」パーソナリティ。アーティストとしては2018年にはアノマリーやKNOWER、2019年にはルイス・コールのオープニングアクトを務めている。音楽ライターとしてはケンドリック・ラマー、スヌープ・ドッグ、Nasなどのライナーノーツも過去に書いており、今まで3000記事以上を世に出している。

筆者紹介

小池直也 ゆとり第一世代の音楽家/記者。山梨県出身。サキソフォン奏者として活動しながら、音楽に関する執筆や取材をおこなっている。
ツイッター:@naoyakoike

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