鈴木蘭々がピアノ1本にこだわったわけ、ライブレコーディングで生きた音に
INTERVIEW

鈴木蘭々がピアノ1本にこだわったわけ、ライブレコーディングで生きた音に


記者:木村武雄

撮影:

掲載:20年04月27日

読了時間:約9分

<対談:鈴木蘭々×川原伸司(2)鈴木蘭々の声が生きる環境>
 90年代絶大な人気を誇った鈴木蘭々がデジタルリリースした新曲「Mother」は認知症の母親を持つ友人の“親子の絆”を込めたバラード。歌詞は鈴木。作曲はデビュー当時の音楽プロデューサーで、過去に楽曲提供も行ったことがある“平井夏美”こと川原伸司。鈴木の魅力に迫る今回の対談。第1弾では鈴木蘭々と川原伸司の出会い、そして再会、当時の鈴木蘭々の歌声の印象、そして新曲「Mother」に込めた思いを語り合ってもらった。第2弾は、「Mother」の作曲、アレンジ秘話、同時録音したライブレコーディングの様子を明かした。【取材・撮影=木村武雄】

 【前回の記事】鈴木蘭々の第一印象は「パワフル」、音楽家・川原伸司が感じた「可能性」

曲の世界を伝えたい、良い曲は削ぎ落としても良い曲

――川原さんは、蘭々さんの歌声に個性を感じていて当時は「一般常識にとらわれない彼女の曲を作るのは楽しみだった」と語っていました。今回の新曲についてはいかがでしたか。

川原伸司 彼女の声は何十年も前から聴いているから、彼女の声に合ったものをとは考えました。少し話がズレるけど、僕は毎晩家で映画を観ていて、年間に365本、それに加えて映画館でも観ているんですよ。

鈴木蘭々 だから知っていたんですね。私が『それでもボクはやってない』(2007年、周防正行監督)に出ていたことを。

川原伸司 そうそう。蘭々は主人公(金子徹平=加瀬亮)の元彼女(土井陽子)という役だったけど、良いキャスティングだなって思いました。そもそも周防監督の作品は好きですしね。蘭々は、同じ彼女という役でも生活を共にするような彼女ではない。だからこのキャスティングは合っていると思って。

鈴木蘭々 うん…え? そうですか(笑)。

川原伸司 非現実的というか、そういうイメージが彼女にはあるから。元恋人の無実を晴らすために協力するというところがね、蘭々に合っている。それで、僕の好きな映画にフランスで制作された『アデル、ブルーは熱い色』(2013年、アブデラティフ・ケシシュ監督)というのがあって。カンヌ映画祭でパルム・ドール(最高賞)を作品だけでなく、出演女優2人(アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ)も受賞していて。とてもセンセーショナルな作品だけど、「自由に生きることは本当に素晴らしいことだな」って感動したんですよ。その時にふと蘭々も媚びるタイプでもないし、人として面白い。こういうイメージで歌が出来たらいいなと。映画の感動と蘭々に頼まれたものが合っていて、そこからはすぐにできました。

鈴木蘭々 「曲が出来た」とLINEで送って下さったんですよ。そしたら曲の長さが2分30秒ぐらいしかなくて「あれ? 短くないですか?」って(笑)。曲はだいたい3分とか4分ぐらいじゃないですか。2分台だったことが衝撃的で。でも「バラードは短い方がいい」と。それで実際に音を付けてみたら5分弱ぐらいになって。

――デモはどういうものだったんですか?

鈴木蘭々 ピアノ伴奏で「ラララ~♪」という声が入っている感じでしたね。

――完パケを聴いたら音がシンプルですよね。

川原伸司 それは蘭々のアイデアなんですよ。

鈴木蘭々 96年に川原さんに作って頂いた「…of you」の時、ありがたいことに有名なアレンジャーさんをあてがってくれて、素敵な曲になった。でも私が思い描いていたものよりもキラキラしていて「何か違う、この曲にはピアノ1本ぐらいが丁度良い」と言って。結果的に諸事情でそれが許されなかったんですけど、それでもずいぶんとシンプルにしてもらったんです。その時の思いがあるので、川原さんに作って頂けるならピアノ1本でやりたいと思って。

――それで今回ピアノ1本なんですね。でもなぜ、それにこだわったんですか。

鈴木蘭々 しっかりと曲の世界を伝えたいと思っていて、それに川原さんが作るメロディにあまり余計なものは入れたく無かったし、必要ないというか。なくても大丈夫。

川原伸司 蘭々はきっと、変なアレンジメントを加えなくても良い曲は良い曲、というのを肌合いで感じていると思う。僕は若い頃に「はっぴいえんど」(大瀧詠一、鈴木茂、松本隆、細野晴臣)と知り合って、彼らの考え方にすごく共鳴できたんですよ。大滝詠一さんはナイアガラサウンドってフィル・スペクターみたいな40人ぐらいミュージシャンを集めて音の壁を作るような作り方。細野さんはアンサンブルの鬼ですからYMOみたいに3人だけで複雑なアンサンブルを構築していく。そういう極端な例を見ていたけど、どちらも共通しているのは、ギター1本で歌っても良い曲は良い曲なんだということ。アレンジメントで豪華にしたり、イントロで驚かしてみたりとかそういうことではない。だから彼女も彼女で自然と分かっていたと思うんですよ。ギター1本でもピアノ1本でも変なアレンジメントを加えなくても良い曲は良い曲。そういう聴き方をする、好む人もいる。

鈴木蘭々 音を足しても素敵な曲になると思ったけど、今回はそういう風にしたくて。

――曲自体はシンプルで、結構「間」がありますね。今の音楽になれているので、この「間」がドキドキしてしまって。

川原伸司 現代は隙間恐怖症みたいになっているからね。会話でもそうですよね。その昔「はっぴいえんど」の楽屋にいたことがあるんですが、4人が同じ部屋にいて20分ぐらい話さなくても平気。もともと無口な人たちだしね(笑)。自分なんかついつい不安になってしゃべろうとするけどね。音楽もそうなっていて、隙間が埋めたがる。僕らが聴いていた60年代、70年代は結構、隙間が多くて、その「間」でいろんなイメージを増幅することができるから良かった。今は「ハイどうした」「それからどうした」「ハイハイハイ」と途切れることがないし、すごくコンビニエスな音楽になっている。それが当時との違いですね。

――休符は休むのでなく、次に音を出すための準備だという考え方もありますから、「間」はすごく大事ですね。

川原伸司 そうですね。でも曲だけを作っていると「間」を忘れてしまうんですよ(笑)。陽水さんとは歌いながら作っているけど、「そこ、もう少し休ませてくれませんか」って。「確かに」と(笑)。僕らは頭の中で小節数だけで作っていくけど、陽水さんは作るだけでなく歌う側だからね。

――それで今回はどんな風に構築していったんですか。

鈴木蘭々 ピアニストの矢吹(卓)さんの裁量というか。まず川原さんの2分半の弾き語りのものに歌詞をつけて、そこから音を足していったという感じです。もともとライブで歌おうと思っていて、ライブの前に矢吹さんに丸投げして「こんな感じで、これに伴奏付けて」と。その場でつけてもらったんです。

川原伸司 良いアレンジでしたね。定型のコード進行で作っている曲ではないから、音がとりにくいんですよ。ギターだったらたぶん弾けないだろうし。矢吹さんはすごく優秀。僕がイメージした音をちゃんと拾ってくれて。

――それは蘭々さんを軸にしているからできるんですね。

川原伸司 そうだと思いますよ。彼女が軸になって、僕は僕で曲を作って、矢吹さんは矢吹さんで彼女を汲んで音を拾っていっている。蘭々が主軸にあるから最終的にこういう形で曲が出来上がった。

鈴木蘭々 私が矢吹さんに1個だけ注文したのは前奏と間奏のイメージで、前奏は、静まり返った湖に一滴の雨がポツンと打って波紋が広がる。そのあとポトポトと雨が降って波紋がどんどん出来ていくイメージ、とは伝えました。

――確かにそうなっていますね。出来上がった時の印象は?

鈴木蘭々 素敵だなって! 矢吹さんは同じことが出来ない人だったらしくて、ライブとレコーディングでは違うアレンジになっているんですよ(笑)。そのなかで一番良かったというのが今回のものなんです。

ライブレコーディングの醍醐味、日本と海外の違い

――川原さんはレコーディングには立ち会ったんですか。

川原伸司 前の日のリハーサルには立ち会いました。ピアノを録ってからボーカルをかぶせようとしていたから「これはスタジオでライブレコーディングをやった方がいい」と伝えて。本来、「ピッチがどうした」「リズムがどうした」というのは関係なくて、空気感が録れたらいい。今の時代の定型のレコーディングだと、レコードプロデュースの幅も、曲の幅もものすごく狭い。極端な事を言えば、日本の音楽は3種類ぐらいしかないと思う。今回のようなライブレコーディングは珍しい。僕らの時代は、エルヴィス・プレスリーからビートルズ、ローリングストーンズ、オアシスも基本はライブレコーディングだった。皆偶然を楽しんでいたんですよ。今はコンピューターで作っているけど、それでもそこにかぶせるのは生の音。偶発的なものだけど、誰かが適当に作ってそれを合わせて歌っているものではないから、ビリーアイリッシュもそう。だから素晴らしいものが出来ている。そうなると作り方が変わるわけで。だけど現代は、オケが先にできて「これだと寂しいから派手にしよう」とか、前の晩に初めてデモテープを聴いた歌手が3回ぐらい歌って、ピッチを調整して商品として出す、ということに慣れてしまっているから。ビジネス的にはそれは楽なんでしょうけど、新しい音楽は生まれないような気がします。

――実際にライブレコーディングしてみていかがでしたか。

鈴木蘭々 後から修正したところもあったけどそれもほんの少し位。最初に1本通しで録ってまずそれを聴きました。客観的に聞いて感じるところ、例えばこういう歌い方の方がここの歌詞はもっと伝わるかな。とか、もう一度プランを練り直して、その後2本通しで歌いました。オケの音数が少ない分、自分の歌の粗が聴こえるのでレコーディングに時間がかかると思ってスタジオを半日抑えていたんですけど、マスタリングを含めても約3時間で終わってしまいました(笑)

――ボーカル録りも8時間かける場合もあるなかで早いですね。

鈴木蘭々 「あれっ? 終わっちゃったね」という感じ(笑)。まぁ、でもやりすぎても良くないですしね。

――ライブ感のなかで感情の揺れ動きはどうでしたか。

鈴木蘭々 去年のライブで歌っていたこともあって、歌い慣れていた部分もあったし、歌詞も自分で書いているので歌い方については事前にプランはありました。でもライブで歌うのとレコーディングで歌うのとでは、やっぱり違っていて、特に今回のレコーディングで使ったマイクは特別に感度が良く服の擦れる音や、ちょっとした息も良く拾ってしまう。そういう繊細な環境の中だったので感情と声の大きさのコントロールには、とても気を使いました。感情込めるんだけど出しすぎないみたいな(笑)

――確かに囁くまではいかないけど、語り掛けるような感じでしたね。

川原伸司 それが正しいレコーディングなんですよ。でもね、わざとマイクから5メートルぐらい離れて歌うときもあるんですよ。日本のスタジオではそれは珍しい。例えば初期のレッド・ツェッペリンはレコーディングするときも1、2メートル離れて歌っていた。バンドに負けないように歌うためにはパワフルに歌わないといけないけど、それをオンマイクで歌っていたら音が割れてしまいますからね。逆にバラードの場合はわざと近づいて耳元でささやくように歌うこともあって。日本みたいに均一ではないし、いろんな歌い方がある。ビリーアイリッシュなんかは寝室で作った曲もあるけど、それは部屋の響きもボーカルとして取り入れている。日本だと畳とふすまだから響かない。外国は響くからステレオにあまりこだわらなくても、モノラルでもサラウンドになるんですよ。教会の響きと一緒。わざとアンビエント、家の隅や、教会だったら天井において、部屋の響きを録る。それが本来のレコーディングの在り方なんです。メロディと歌詞、音を録るという簡単なものではなくて、音楽の響きを録るというのが本来のサウンド・オブ・ミュージックということです。

鈴木蘭々 今回は自分のレコーディング史の中において、最もざっくり録った作品なのではないでしょうか。実はちょっとピッチが悪いかな…とか、ここの息の使い方をもう少し…とか、自分の中ではあるんだけど全て手放しました(笑)

――アナログ感というか「生」さがこの曲の世界観を表現するのに相応しいということですね。

鈴木蘭々 そうです。

(続く)

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