<対談(全3回):鈴木蘭々×川原伸司(1)出逢いと再会>
 90年代絶大な人気を誇った鈴木蘭々。昨年は芸能活動30周年を記念したコンサートを開き、新曲も発表するなど再び音楽活動に力を注いでいる。当時から高い評価を受けていた歌唱力は今も変わらず。そんな彼女が4月24日に新曲「Mother」をデジタルリリースする。認知症の母親を持つ友人の“親子の絆”を込めたバラード。歌詞は鈴木。作曲はデビュー当時の音楽プロデューサーで、過去に楽曲提供も行ったことがある“平井夏美”こと川原伸司。川原は鈴木の歌声に、松田聖子や沢田研二、井上陽水からも感じた個性があると絶賛する。今回は対談で鈴木の魅力、新曲の秘話に迫る。第一弾は出会いと再会、鈴木の歌声の魅力、新曲の歌詞に込めた思い。【取材・撮影=木村武雄】

出会いは共通の知人、素晴らしいシンガーと感じた

――最初の出会いは?

川原伸司 僕は当時、蘭々が所属していたソニー・ミュージックのダブル・オーというレーベルの役員をやっていて。彼女はそこからデビューするんだけど、当時のほとんどの作品は筒美京平さんが書いていた。後半はいろんな人が書いていたんだけど、そんな繋がりがあったんですよ。蘭々と会うのは数年ぶりで「お願いがある」と言うからてっきり借金かなと思ったら「曲を書いてほしい」って(笑)。

鈴木蘭々 借金だなんて(笑)でも再会したのは20年ぶりぐらいですよ。

川原伸司 でもね、僕は蘭々のコンサートに行って顔を見ていたし、共通の友人がいたので彼から話は聞いていたんですよ。だから久々に会ったという感じではないですね。

鈴木蘭々 もともと家も近所でしたし。

川原伸司 そうだね。

鈴木蘭々 そもそも再会するきっかけは2018年の正月ぐらいだったんです。共通の知人から電話がかかってきて「今、お前のファンと飲んでるんだぞ」って。

川原伸司 その知人というのが僕の高校の同級生なんですよ。彼が彼女を紹介してくれたんですよ。同級生とか友人の紹介なんてものはだいたい“ろくな人”がいないんですよ(笑)。でも話や歌を聞いたら素晴らしいシンガーで、それでデビューしてもらった。

――素晴らしいシンガーということですが、当時の蘭々さんの印象は?

川原伸司 最初はどこかで見たことがあるなと思ったんですよ。FLYING KIDSのPV(1990年発売の楽曲「幸せであるように」)に彼女が出ていてね。

鈴木蘭々 そうです!

川原伸司 FLYING KIDSは当時、ビクターにいたから(川原氏はダブル・オー以前はビクターレコードに所属)。面白いPVだし、最初に出てくる少女は美形だなって思っていたらそれが蘭々で、「あの時の人だ」という印象だったから歌が歌えるとは思ってもいなくて、それで聴いたら驚いて。めちゃくちゃパワフルで、僕の好きなタイプのシンガーだった。

作曲家冥利、いろんなジャンルを試せる歌声

――川原さんは「平川夏美」名義で蘭々さんに「…of you」という曲を作曲していますね。

川原伸司 作曲家というイメージが強いかもしれないけど、僕はもともとレコードプロデューサーですからね。作曲はたまたまですよ。松田聖子さんに曲を書いた時も、他の方が書いた曲が通らなくてピンチヒッターみたいな感じで急遽、松本隆さんから「あいつが書ける」と納品の前日に依頼が来て。翌日の午前9時までに提出しなくちゃならないって(笑)。

鈴木蘭々 前日に依頼が来たんですか!

川原伸司 そうだよ。「Romance」という曲なんだけどね。松本隆さんや大瀧詠一さんも「何時でも起きているから大丈夫だよ」って言っていて、それで朝の4時半ぐらいに出来上がったの。当時はインターネットがないから電話越しに聴かせて、それで「OK」って。それが実績になって、のちに松田聖子さんがカムバックするときに「瑠璃色の地球」を書いて。でもその曲もきっと松本隆さんの頭のなかには誰か違う作曲者が構想にあったと思うんですよ。そもそもシングルカットする予定でもなかったし。そんな具合に僕にとって作曲は本業じゃない。好きに書いているだけなんですよ。

――井上陽水さんと共作した「少年時代」は15分で書き上げたそうですね。

川原伸司 そうです。「できたよ」という感じで。それも仕事で作っているというよりかは、好きに作っている感じですよ。

鈴木蘭々 そうなんすか!? 作曲家だと思ってた(笑)。

川原伸司 今は作曲の収入が多いからそう見られるけど、そうではない(笑)。自分の好きなシンガーに曲を書くのが好きだから趣味的と言えば趣味的。もちろんタイアップに合わせて作る仕事っぽいものもやりますが、やっぱり蘭々や松田聖子さん、沢田研二さん、井上陽水さんなど面白いボーカリストに曲を提供するのが好きなんですよ。やっぱり本当にうまくて個性的な人じゃないと面白くない。

――蘭々さんの個性はどう見ていましたか?

川原伸司 男性でも女性でもないというか、中性的なところがあって、性別を乗り越えたところに個性を感じていています。少年っぽくもあり、少女っぽくもある。だから少年っぽい歌も歌えるし、女性の歌も歌える。80年代から90年代のアイドルは当時、男性を対象にした歌が多くて、でも彼女はそれを超えたところにあって、例えば「あなたが好き」という恋愛ものを超えていろいろな世界が作れるんだろうという可能性を感じて。そうなると自然と曲の範囲は広がる。なので、いろんなジャンルを試せることが彼女の曲を書いていて面白く感じるところです。だから、ヒット曲を作ろうともしていなかったですね(笑)。それは筒美京平さんも言っていました。

鈴木蘭々 初めて聞きました!

――蘭々さん、当時川原さんから言われたことで記憶に残っているものは?

鈴木蘭々 川原さんは会社の経営者だったのでそんなに近くにはいなかったですね。

川原伸司 そうだね。普段からああだこうだと話すのではなくて、筒美京平さんと話して曲を作って、現場の事は現場のスタッフに任せて。レコーディング現場にはたまに行くぐらい。

鈴木蘭々 そうでしたね。だから数年ぶりに「お前のファンと飲んでる」と電話がかかってきたときもピンとこなくて。話したら川原さんで「別にファンじゃないでしょ?」と笑いながら言って。そもそも大御所の川原さんに曲を頼むのはなかなかできないことだけど、もしかしたら昔みたいに曲を書いてくれるかもしれないと思って頼んだら「あ、いいよ!」って。その時はその時でお酒が入っていたし、日を改めてお願いしたいことがあると伝えたら、今度は「借金の話」と誤解されて(笑)。

――蘭々さんはいま化粧品の会社を経営されていますからね。

川原伸司 まあ、おそらく曲を書いてほしいとか音楽をプロデュースしてほしいという話かなというのは思っていたけどね。先ほども話したけど、僕は売れる商品としての曲を作るのが得意じゃなくて、良い商品よりも作品性が高いものを作りたい方ですからね。一般常識にとらわれない彼女の曲を作るのは楽しみでした。

長く歌い続けられるのが良い曲

鈴木蘭々 私は聖子さんに憧れてこの世界に入ったので、川原さんが作曲した「瑠璃色の地球」はもちろん知っていました。自分の曲でも「長く歌って行けるように」と「…of you」という曲も書いて下さって。なので、ものすごく図々しいけど今回は「あれを超える名作を書いて下さい」と頼んで(笑)。でも川原さんは「構想がある」と言って下さって。

川原伸司 ヒットソングよりも良い作品を作りたいですからね。作る限りは長く歌い続けられないと良い作品とはいえないですから。

鈴木蘭々 「…of you」はずっと歌える曲ですしね。

――その時代のトレンドに流されないという。

川原伸司 そうそう。5年経ったら恥ずかしくて歌えないというのではなくて、長く歌い継がれるもの、歌えるものが自分にとっての目標なんですよ。

鈴木蘭々 川原さんの曲はメロディラインが良いので、いろんなアレンジで作っても良い曲なんです。これはあくまでも私の意見ですが、最近は伴奏ばっかりが印象的でメロディラインが弱い曲が多い気がするんですよ。

川原伸司 それは僕もそう思う。まあ、音楽の楽しみ方は人それぞれで、詞を聴く人、歌っている人の声を聴く人、バッキングトラック、リズムトラックを聴く人、アンサンブル全体で聴く人、踊りという観点で聴く人などいろんな聴き方があって、蘭々と僕はメロディラインやメロディモチーフを主軸に音楽を聴いていると思うんですよ。音楽には多様な楽しみ方がある。松本隆さんはビートルズの詞を主軸にして聴いているしね。やっぱり彼は偉大な詩人だなって思います。ボブ・ディランにしても、僕らはメロディを軸にして歌い方やアレンジメントに注目するけど、松本さんはもちろん詞なんですよ。

鈴木蘭々 そのなかで川原さんの曲は、メロディから物語が感じられるんですよ。

川原伸司 それは、メロディを表現者がちゃんと表現してくれるかで左右される。僕の場合は自分が作って歌ったところで良いとは思えないけど、蘭々とかに歌ってもらうと、ようやく良い歌が出来たなって。3Dになったなと思える。

――作曲されるときは、蘭々さんの歌声を意識しながら作っているんですよね?

川原伸司 そうです。でも僕は身勝手な作曲家だからね。売れるための曲ならお客さんに分かりやすいように作る。例えばドラマや商品のタイアップなら、その商品や物語が浮かぶように作る。でも僕はそういう制約から一切解放されて自分が作りたいものを作りたいですから。

友人の親子の絆を描いた

――今回の曲はどうだったんですか?

川原伸司 蘭々の声は何十年も前から聴いているから、彼女の声に合ったものをと考えました。それと僕は映画が好きなんだけど、蘭々から依頼があったタイミングで、フランス映画『アデル、ブルーは熱い色』を見て「自由に生きることはなんて素晴らしいんだろうな」って感動したんですよ。その時にふと蘭々も媚るタイプでもないし、人として面白い。こういうイメージで歌が出来たらいいなと。映画の感動と蘭々に頼まれたものが合っていて、そこからはすぐにできました。

――歌詞は蘭々さんが書いていますが、テーマは?

鈴木蘭々 私の友人の母は認知症が進んで介護施設に入っていました。友人も働きながら施設によく足を運んでいて私もよくその話を聞いていました。「Mother」は日々頑張るその友人の姿を私なりにアレンジして書いたものです。介護って実際は壮絶なものもあると思うんですよ、共働きしながら親をみたり認知症で記憶が壊れていく親の姿を目の当たりにしたり…。その中で言いようのない気持ちになる事もあると思うんです。でもその親子はお互いにありがとうと言いあっていて、友人曰く、お母さんは常日頃からありがとうと言う人だったけど、認知症になってもそこだけは変わらなかったと。もちろん辛い時も正直あったけど、その言葉があったから最後まで向き合う事が出来て、お母さんが認知症になったことによる気づきや、人間としての気持ちの整理がついたとも言っていました。側から見たらとても大変そうだったけれど6年間という介護の時間にとても感謝をしていました。

――それを歌詞として書こうと思ったのはなぜですか。

鈴木蘭々 素直に凄いと思っていたし、尊敬もしていました。口で言うほど簡単なことでもなかったはずで、だからこそ私もこの先どんな事があっても、ありがとうって締めくくれる介護がしたいなと。そんな自分の理想も詰め込んだ歌でもあります。

――この歌から蘭々さんの変化を感じますが、川原さんはどう思いますか?

川原伸司 初めて出会った頃に、蘭々がこういうことをテーマに歌を作るなんて考えられないですからね。彼女がそういうことが出来るということはやっぱり、長く音楽を続けていることと、色んな歌が表現できる彼女の歌声があってこそだと思いますね。

鈴木蘭々 どんな歌詞を書いてくるのかなと初めは思っていましたよね?

川原伸司 そうだね。でも僕は詞を書いたことがないし、曲でしか表現できないから。そのなかでも明るくハツラツとした曲ではないし、あんまり能天気な詞は付けてこないだろうなとは思いましたけど、出来上がってきたら良い歌詞だった。

(続く)

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