ロックバンドのアルカラが12月11日、活動17年目で10枚目のアルバム『NEW NEW NEW』をリリースした。ロック界の奇行師ことアルカラの音楽は、独自のセンスや鋭いサウンドテイスト、詩的な歌詞の世界観から、“奇行師”という表現がしっくりくる。実際に彼らのライブを観て、アルバムを聴いて、直接インタビューをして、“奇行師の向こう側”が垣間見えた現在のアルカラの世界観、印象、魅力について触れたい。【平吉賢治】

瞬間を切り取る感性

『NEW NEW NEW』ジャケ写

 “瞬間を切り取る感性”。アルカラの魅力を一言で表すと、この部分がひときわ輝く。アルカラは、時にストレートに、そして斜め上のそのまた横の、ふとスルーしてしまうような言葉と音を磨き上げ、音楽として生成させる。そして、心の琴線がバンドと同化するような感覚に浸らせてくれる。

 以前アルカラにインタビューをおこなった。ライブで観る姿やMCでの口調などから察するに、「アルカラは素で奇行師なのでは」という印象がややあった。

 しかし小一時間話をすると、稲村太佑(Vo/G)は心温かい人間味が溢れ、ちょいちょい(けっこうな頻度だったかもしれない)笑いの方向に話を持っていこうとするサービス精神的な楽しさも持ち合わせる好人物と感じた。下上貴弘(Ba)はクールかつピュアな印象の物腰で、疋田武史(Dr)は聡明で心優しさが滲むような空気感を発していた。

 稲村の中にはあらゆる言葉や情念が無尽蔵にあると、対面しておぼろげに感じた。日常で感じること、また過去や未来について思うことが多すぎて、どこをどう切り取って整理すれば伝わるのか、ということを常に考えながら話しているように思えた。その時に感じたのは「アルカラの世界観の源流」だったのだろうか。

 アルカラの作品は、歌詞の言葉の選択ひとつとっても、「これだ」という言葉を簡潔かつダイレクトに、どこかふわりとしながらも刺すように綴っている。稲村の実体験がリアルに描写された詩のように、アルカラの世界観が聴き手にとっての情念として想起させる。

 例えば、アルバム『NEW NEW NEW』収録曲「くたびれコッコちゃん」では、にわとりのぬいぐるみを題材に、幼少期におけるお別れと成長が表されているという。

 歌詞だけを読むと切ないような印象を受ける内容でもあるのだが、アルカラのトリッキーかつポップなサウンドで表されると、リスナーにとっての“くたびれコッコちゃん”が回想され、作品が表す本質にたどり着ける。小さい頃に大切だったものとの別れを経験した時の何とも言えない情念が、アルカラ流に切り取られて作品として昇華されている。

 この曲に限らず、アルカラは「この言葉で、この音でなければ、刺さらない」という独自の視点で作品の要素を選別しているように思える。稲村は、「何かを切り取った瞬間に心躍って人生を変えた、あるいは誰かの人生を変えるというのをやっていると思うんです。それが僕らはたまたま歌だったりと――それを僕が切り取って歌にしていけるかがテーマにあります」と語っていた。

 その詳細について聞くと、「歌詞を作るときなど、言葉を選ぶときに『これだ』というのが出る時は、神が降りてきたような瞬間」と言う。

 彼は、アルカラとして“その瞬間”を作品に収めている。アルカラのアルバムは基本的に10曲前後か8曲、という盤がほとんどである。本人いわく「それ以上あると濃すぎるというか…」とのことだったが、濃密な「瞬間」が切り取られているがゆえ、アルバムという形態での表現でも8曲くらいで十分、という解釈もできる。

独自マジックのバンドの世界観

 「瞬間を切り取る」ということは、音楽のみならず容易ではないと思われる。例えば、カメラで撮影する時も、100枚も200枚も撮ったなかで実際に表に出すのは数枚だったりする。スピーチやプレゼンテーションなどでも、数時間も資料やトーク内容を用意して、実際に話をするのは数分だったりする。その写真数枚、ほんの数分のなかに、「いかに重要で、本質の瞬間を切り取れるか」という感性が必要になってくる。

 アルカラは、その“瞬間を切り取る感性”がズバ抜けていると感じる。何かを強烈に受けた際の、「刺さる」という表現がしばしばある。それは、「心に染みる」「深く納得する」「感銘を受ける」という言葉でも置き換えられるだろうか。アルカラの作品は、「刺さる」と、「深く感じた上で、自分とアルカラとの共通点が同化する」というような感覚にまで発展する。それは、アルカラがインタビューで「あなた自身の中になりたい」という言葉で表現したのと近いのかもしれない。

 深い感性をもって切り取られた瞬間が作品としてアウトプットされていないと、心に残る、心が同化するという感覚には、なかなかならないのではないだろうか。

 歌詞の言葉一つとっても「言葉遊び」と思いきや、バックボーンがある。例えば、楽曲「瞬間 瞬間 瞬間」の歌詞<長寿庵のおじさん>というような、「なぜその言葉が?」という詞でも、その裏には体験をもとにしたエピソードがあり、楽曲のテーマと繋がっている。そしてその歌詞が、“ロック界の奇行師”という表現が腑に落ちるクールなエキセントリックサウンドに乗り、独自マジックのバンドサウンドとして統合される。

 稲村が0を唯一無二の1にし、その1を100にも1,000にもする下上貴弘(Ba)と疋田武史(Dr)のアレンジとプレイ。人をギョッとさせる“奇行”というか、切り取った瞬間をトリッキーかつダイレクトに突き刺す“奇行”が生み出す魅力。そこには、聴き手と共通する心の部分をアルカラが切り取って、音楽で深く共有する魔力が働いているように思える。

 独自の感性の要約力、言葉の背景、サウンドとのマッチング性、そしてダウンチューニングのサウンドとハイトーンボーカルのコントラスト。それらが織りなすアルカラの音楽は、色濃く魂にフィードバックし、感じさせ続ける。

 彼らの切り取った“瞬間”が繋がり、「点と線で結ばれる」といより、「点と点が一体になる」という独自の共鳴がある。それは、抜きん出た“瞬間を切り取る感性”を持つ、アルカラという稀有の存在がなせることなのではないだろうか。

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