ダイアモンド☆ユカイにとって「ロック」とは、キャリアを経て気づいた自身の声
INTERVIEW

ダイアモンド☆ユカイにとって「ロック」とは、キャリアを経て気づいた自身の声


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年07月25日

読了時間:約13分

ロックへの目覚め

RED WARRIORS

――そのロックに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。

 ビートルズだね。出会いは中学生の時に野球部にいたんだけど、骨折しちゃってさ、1年ぐらい石膏で足を固めたままでね。それで、野球も出来ないから帰宅部になって、暇つぶしにと友達が貸してくれたレコードの中にビートルズがあって。その時はクイーンやエアロスミス全盛の時代だったけど、スポーツをやってる自分からしたら、ロングヘアが気持ち悪かったんだよ。当時の自分は森田健作さんみたいな砂浜を走っている青春の男に憧れてたからね。

――それで見た目が爽やかなザ・ビートルズに。

 そうそう。1stアルバム『Please Please Me』のジャケットが爽やかだったからこれなら聴けそうだなと思ったんだよ(笑)。最初は興味はなかったから普通に流して聴いていたんだけど、聴いているうちに楽しくなってきたんだよね。これは何だろうと思って何度もリピートしてさ。「ツイスト・アンド・シャウト」のジョン・レノンなんて声が枯れて叫んでるみたいなんだけど「これがシャウトっていうものなんだ」みたいなね。

――衝撃を受けられて。

 シャウトなんて初めて聴いたからね。後から知った話しなんだけど、その時のジョンは風邪をひいて限界ぎりぎりで歌っていたらしい。あと、ビートルズの1stアルバムのレコーディングはもうライブと同じで一発録りだから、そのライブ感にぐっとくるものがあったんだ。そこからビートルズみたいになりたいと思うようになって。

――そこからバンドを組まれて。

 まずはギターを弾きたいと思って。でも、全然音楽の知識なんかないから、お袋にギターを買ってもらったんだ。それがヤマハのガットギターだったんだよ。

――全然ロックではない…。

 そうなんだよ。それぐらいわかってない(笑)。近所の兄さんがギター弾けるから教えてもらっていたんだけど、やっていた曲は「禁じられた遊び」でさ。弾けば弾くほど暗くなってきて、「これは俺が求めているものじゃないな」って。それからコードの存在を知って一人でビートルズを弾き始めるんだけど、学園祭で「イエスタデイ」を弾いたら、拍手大喝采で味を占めちゃってさ。それまでそんなにモテる方ではなかったんだけど、それ以降、下駄箱にラブレターが入ってたり。

――周りが変わったんですね。当時はビートルズ以外に、今作に入ってるような日本の曲は歌われなかったんですか。

 あえては歌ってなかったね。というのも『Respect』シリーズに入っているような曲はここ何年かで聴いて、改めて良いなと思った曲が多いんだよね。当時もテレビとかラジオで流れてくるから聴いてはいたけど。沢田研二さんはすごく色っぽかったよね。今考えるとあの時は『レコード大賞』とかあると、そこに出ていた曲は誰でもみんな歌えたからね。

――みんなが歌えるというのは今の時代、難しいですね…。

 そういう曲は今ないよね。でも、当時の自分は歌謡曲を音楽だと思って聴いてなかった。ただの流行りの曲というファッション感覚。ビートルズから入って、それからローリングストーンズやエアロスミスやピストルズとかにハマっていった。

――最初はエアロスミスとかのロックバンドは、見た目が受け付けなかったと話していましたが、どの辺りから大丈夫になったんですか。

 バンドを始めるようになってからだね。高校ぐらいになるとロックに詳しい同級生がいて、色々教えてもらってからだね。そいつの家でサイフォンで淹れたコーヒーを飲みながら、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリクスのレコードを聴いてさ。

――そこからコーヒー人生も始まって。

 原点としてはそこだね。あれは美味かったなあ。その時からロックとコーヒーは繋がっていたんだよね。(※ユカイは全日本コーヒー豆惣菜(党総裁))

――洋楽ロックにハマっていたユカイさんが、今こうやって歌謡曲のカバーをされているのも面白いです。

 当時は歌詞も英語で書いてて、「やっぱロックは英語じゃなきゃ駄目でしょ」って本気で思ってたんだけど、世の中に流れている歌謡曲の中にも、ロックっぽいのがあって、実はちょっと「いいなあ」とか心の中では感じてたんだけどね(笑)。

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