音楽を尊敬している――、永瀬正敏 重厚感に惹かれた「赤い雪」
INTERVIEW

音楽を尊敬している――、永瀬正敏 重厚感に惹かれた「赤い雪」


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:19年02月16日

読了時間:約16分

グレーゾーンの濃度の違いが多少ある部分って、みんなそれぞれ持っていると思う

――永瀬さんが演じられた一希という男性について、もう少しおうかがいしたいのですが、彼の性格というのは、どのようなものなのでしょうか?

 例えば誰しもそうだと思うんですが、幼い頃の経験や体験というものは、その後の人格の形成にはすごく重要になると思うんです。彼は小さい頃に、もしかしたら自分の不注意かもしれない、自分のあいまいさということで大変なことになってしまったというのを抱えたトラウマというのがあり、さらにそこで自分の両親もその時、一希をケアーする心の余裕がなかった。

 もちろん自分の息子だけど、もう一人の息子がいなくなってしまったということにおいて、パニックを起こしている、自分の曖昧な記憶で家族も崩壊していった。そこで、心の扉を閉ざしてしまったんです。そこから30年くらい生きているわけで、そこで作られているものというのがあるんじゃないか、と。

――記憶があいまいというところはまた、演じること自体も難しさを増しているところもあるのかなという感じもしますね。単純に暗い、明るい、というだけでなく、記憶があいまいなので、一希のキャラクターはそれを加味した性格という感じもあるのかと。そういう意味で今回演じられた成果としてはいかがでしょう? うまく行けたという充実感みたいな感じは? 演じられた感想としてはいかがでしょう?

 いや、それ以前にこの作品に出会えてよかったということが大きいですね、感想としては。白黒がはっきりした人間って実は日常にあまりいなくて、グレーゾーンの濃度の違いが多少ある部分って、皆さんそれぞれ持たれていると思うんです。特に幼い頃の記憶の何かあいまいさというのは、誰もが持っているもので、それがちっちゃな一言だけど重く受け止める人もいるし、逆に全然そういうつもりじゃないかったのを、重く受け止める人もいて、その一方では楽しい思い出の方をデフォルメしちゃう人も、人間だからいるんだと思うんですよね。

 だから一希の記憶のあいまいさというのは、そこに気持ちがのっかっているので、より深くなってしまったということなので、多分どなたも種類や事の大きさは違いがあるでしょうが何か同じようなところはあると思っています。まあ生きているわけだから。小さい子なら小さいなりにその世界がちゃんとあるし、成長していけば成長していくなりに何かがあると思う。そういう部分は、皆さんもこれを見て、何かそんなことを思ってもらえるところがあるんじゃないかなと思いますけどね。

永瀬正敏

永瀬正敏

――ちなみに永瀬さんご自身にも、小さい頃のあいまいな記憶で悩んでいるところはありますかね?(笑)悩んでいるというか、引きずられているというか…。

 まあ確かにそういう記憶はいっぱいあります。その中で僕の最初の、“多分これが最初の記憶”だなと思っている記憶があるんです。それは母方の祖父が運転する自転車の後ろに乗っている情景で、僕はそれが自分の最初の記憶だと自分で思い込んでいるんです。ただ、親に聞くと“おじいちゃんの自転車の後ろに乗ったことがない”って(笑)。

 いつも自転車の前のカゴのところに補助席を設けて、そこに乗っていた、って言われているんです。でも僕の記憶の中ではそれしかわからなくて。ただその相手は背中だけで顔は見えないのですが、絶対におじいちゃんなんです、母方の。でもそれが違うと言われるし、あれはいったい何だったんだろう? って。

――それは今でもふと思うことがあると?

 そうですね。まあ、それが夢だったのか、勝手な想像なのかなんて結局、おそらくずっと結論は出ないでしょうが…。

――そういうケースは、確かに人間のあいまいな部分の例として、いっぱい存在するものだと、今うかがって感じました。

 本当にたくさんあると思うんです、そういう部分って。勝手にそう受け止めちゃうとか、悪気があっていったことでは全然なくて、後からずいぶん経って、例えば同窓会とか何か偶然会った時に話して“いやいや”って話になったり(笑)。そこで“あ、違ったんだ…”と初めてストンと腑に落ちるものがあったり、また別の時にはそれを家族の中でも見つけたりとか、そういうことってよくあると思うんですよね。

この記事の写真
永瀬正敏
永瀬正敏
永瀬正敏
永瀬正敏
永瀬正敏
永瀬正敏

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事