村上虹郎、体内に流れているのは「音楽」 あとから舞い降りてきた「映画」
INTERVIEW

村上虹郎、体内に流れているのは「音楽」 あとから舞い降りてきた「映画」


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:18年11月19日

読了時間:約17分

ピッタリ、といわれると複雑な気持ちでもある役柄

――本作はほぼ全編モノクロで重苦しい感じの雰囲気ですが、最初に台本などを読んだときに、村上さんご自身がどんな心情で演出していけばいいかというイメージは考えられたのでしょうか?

 実は撮影する前からモノクロでという話は聞いていて、脚本にもモノクロと書いてあったんです。それで今回はオファーを頂いてクランクインする前、脚本が上がるまでの間に時間があったので、待ち切れずに原作を読みました。原作は普段はあまり読まないんです。読んで得た情報が結局、映画化において、解釈が変わったりすることがあるので。

でも今回の撮影時には意外にも原作と脚本のどちらに書いているものも取り込んであったんです。だからもちろん脚本がベースですが、行間というか「トオルのここの思考回路は、どうなっているんだろう?」みたいな、書かれていないことについては原作を読んで理解して、という照らし合わせをしました。

――西川トオルという人物を、どう捉らえていたかについては?

 とかく工夫したわけでもなく、わりとまっすぐに原作にあるトオルという人物を生きたと思いました。ただ少し引っ掛かったのが衣装なんですけど…衣装合わせをおこなったときに、僕はもう少し普通な格好を想像していたんです。劇中ではよくコートを着ていますが、そういうものではなくて。

――真っ白ですよね。

 そう、白いコートとか、ある意味ファッションとしてはちょっと特殊ですよね。コートは原作にも書いているからと思いましたが、もともと持っていたイメージが基本的に、そこまで浮き世離れしていない方向で行くのかなと思っていたんです。どこにでもいそうな奴というか。でもこの人はわりと軽く、衣装からも浮き世離れさせている。それは衣装さんの映画表現だと思いますし、これも映画ならでは、というところで。

――ではそんな風に演じる前から、大まかなイメージは見えていた、ということですね。そういう内容に関して、武監督とは何か議論されたのでしょうか?

 いや、ほとんどしていないです。武監督とはよく会話はしましたが、トオルに関しての演出はほとんどありませんでした。後からパンフレットのコメントを読ませていただいたときに、どうも野放しにされていたことに気がつきまして(笑)。

 だからどちらかというと武さんは「こういう構造の中にこう動いていると、多分こう動かしてくれたらこうなる」ということで、あまりトオルという人物像に対してして口を出すことは無かったです。

村上虹郎

村上虹郎

――この役をどんな風に理解したか、ということをもう少し具体的におうかがいできればと思いますが、トオルは銃を手に入れることで、ある意味全能感みたいなものを手に入れるけど、反面、実はすごいヘタレな部分もあるとか、いろんな要素があります。そんな彼に対して村上さんは、パンフレットのインタビューでトオルの印象を“すごく滑稽”“発言でも恥ずかしい”“腹が立つ奴だ”ということを言われていますが、どのようなところをそう思われたのでしょうか? またそういうところに20歳の村上さんが、自分にも被せる、あるいは被るという印象を感じさせたものがあれば教えていただけますか?

 実は今日、もう大分取材させていただいて、その中で質問されたことを改めて考えていると、わりと“トオルにピッタリだね”と言われていまして、村上虹郎としては複雑なんです(笑)。“オレ、こんな奴なの?”と。それはまず置いておいて…。

――置いておいて…?

 それこそ全能感というか、銃があってもなくても、彼はそこそこ頭がいいと思う、でも完全な天才ではな。そんな彼が銃を持っていると、やっぱり天才じゃないと一層感じられるんです、負ける相手がいるから。そして彼はそのことを、自分自身で理解しているでしょう。自分より上がいることは分かっているけど、そういう存在は出てこなくて、やっぱり自分の力を誇示してしまう。

 中村さんは、今この作品を読み返すと“青春だ”といわれているそうです。だから”青春”、若気の至りみたいなものかなと。

 ただ彼は、ドSに見えて実はドMなんです。基本的に上に勝ちたいけど、反面実は負かされたいという面がある。それが彼の本質なんじゃないかと思います。だからそういう意味では、すごく人生を楽しんでいるように見えるんです、彼なりの楽しみ方で。やっていることの一つ一つに、社会的に“それ、間違っているよ”ということが、モラル的には沢山ありますが、彼のやることは絶対的な悪ではまったくないと思うんです。だからただの悪役ではない。逆にただの悪役のほうが簡単だったというか。

――面白い側面がありますね。そんな役を演じることに対して、辛いと思うところは無かったですか? 最後のシーンはとても衝撃的でしたが…。

 特にはなかったです。でも変な高揚感はやっぱりありました。やってしまえば、どうにかなるというか。、特に何の変哲もない歩いているシーンや、タバコを吸っては捨て、吸っては捨てるというシーンの整理のほうが難しいような感じがしました。逆に鬱(うつ)のような場面は“こんな感じ”という大きな対象があるので意外と分かりやすい。自分の中に起こっていることの表現は、なかなか難しいんじゃないかと思いました。

――その意味では、今回は“なかなか思ったことを出せない役”という感じですかね?

 はい、というか“出さない”役というか。彼は出していないとも見えますが、出せてない部分もあると思うんです。そういう意味では、彼は完全に自分をコントロールできているわけではない。

――役者はそういうことができるものなのでしょうか?

 そういうことをやっているつもりです。でもやっぱりアドレナリンが出て「フワッ! と起きることというか、それこそ不意に起きてしまう事故とか、それに反応するお芝居というのは、お芝居じゃない。それはそこに生きていることだから。僕はわりと、その役を生きることが自分に合うタイプだと思っています。

 西田敏行さんが言われていたのですが「100%のお芝居というもので、100%の鎧としてお芝居を固めたときに、人はやっと芝居に見える」と。それはそれですごく分かります、両極端だとは思いますし、どっちかなんだろうと。完全に役としてそこで生きてしまうということなのか。結果は一緒だけど、やっていることは真逆。全部お芝居をしたときに役に見えるというのと、全部芝居でないものにしたとき、素なのか、と。僕はどっちかというと後者かなと。

村上虹郎

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