阿部進之介、考えさせられた『栞』 障害を背負う役を通して芽生えた感情
INTERVIEW

阿部進之介、考えさせられた『栞』 障害を背負う役を通して芽生えた感情


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:18年10月26日

読了時間:約17分

役柄とは全く違う性格、でもそうだからこそできる演技を目指す

――次に、孝志という人物像にスポットを当てておたずねしたいと思います。孝志はもとラグビーの選手で、脊髄損傷というアクシデントに見舞われた男性という設定ですが、もともと阿部さんは学生時代などにスポーツの経験は?

 それが無いんですよ。学生時代にも。

――作品ではかなりガッチリした体格という印象を受けたので、何か活躍されていたのかと思いました。

 やっていないんですよね…身長が高いので、やっていたのか? とよく言われるんですけど。ただ20歳を超えたあたりから少し体作りをしたほうがいいかな、と思って少しずつトレーニングはしてきました。本格的にやり出したのは30歳前後くらい。ちゃんとトレーニングの仕方の勉強をするようにして。ただこの作品のときに、人生で初めていわゆる“体を大きくする”ということを意識して、トレーニングをしました。

――そちらの苦労も大変そうでしたね。一方で、その障がいを持った状態を演技されたわけですが、胸から上だけでよく色んな動きができたな、と思いました。その状態はどういう感じなんだろう、というのがなかなか私には想像できないところではありますが。

 そうですね。そこにアプローチしていけばいく程、なんとなく感覚が“こういうことなのかな”とすごくつかめてきた感じもあって。この役自体がすごく貴重な体験だったと思います。

――ちなみに阿部さんはクライマックスで、階段を両手、両腕の力だけで上がるというシーンがありますが、あれは本当に腕の力だけで階段を上がったのでしょうか?

 そうですね、腕だけで。一発撮りとまではいかないけど、そんなにテイクは重ねなかったと思います。本当に両腕だけで。でないと、やっぱり動きに嘘が出てくるので。微妙に下半身が動いたときには、上半身にも影響するので、それが僕も嫌だったのもありますし。映ってなくても動かさなかったです。

――ではあのシーンは、徹底的にこだわって…

 そうしないと、やっぱり理解できないと思ったんです。たとえば演技で動かないもどかしさと、動かしちゃいけないもどかしさが、もしかしたらちょっとリンクするところがあったかもしれないですけど。ちゃんと動かなくして、自分の中で錯覚することができるようにならないと、気持ちがわからないし。だからそこはやったほうがいいと思いました。また今作は理学療法士のような方も沢山見られると思ったし、細かいところで変に気になってほしくなかったのもありますし、それはそれで映画に入れない瞬間があるとちょっと嫌だなと思ったから…。

阿部進之介

阿部進之介

――あのシーンは、見ていてもかなり大変なシーンだな、と思いました。

 まあ、そうですね。そういうコントロールできない、コントロール外のことをやった瞬間って、すごく自分でも思っても見ないことが起こったりするので、もちろん安全の範囲ですけど、たとえば表情だったり声だったり、自分がこういう声を出そうと思ってないけど、そういう声が出たりとか、何か自分の範疇を超えるというか、思っても見ないものがそこで生まれたりするので、そういう負荷というのは、演技をするときのアプローチとして少し必要なものなんですね。

――まさしく孝志になりきった、という感じですね。ちなみに阿部さんがこれまで人生で挫折した経験は…なかなか孝志のような経験は無いかもしれませんが、阿部さんがこれまで一番大きく挫折した機会というのは?(笑)

 そうですねぇ…でもそんなに大きな挫折をしてこなかったのではと思います。挫折するほど、それこそスポーツなんてやって来なかったし、勉強も一生懸命取り組むことは無かったので(笑)、挫折を味わうほど一生懸命生きてこなかったというのは正直自分の中で、10代の頃は感じていて。

 だから今、20代から30代の半ばにかけて、今まで本当に使わなかったエネルギーを使っている気持ち。でも、もしかしたら、これから挫折するかもしれないですけどね、考えたくないですけど。挫折したくない(笑)。

 でもだからこそ、この映画の中でそれを演じられるところもあるのではと思うところもあるんです。実際に経験した人も、もちろん気持ちがわかるとは思うんですけど、そうでない人間が表現するということも、また一つ違う表現ができるんじゃないかと思っていますし。

――客観的な視点が感じられますね。一方で孝志という人間を、阿部さんはどう捉らえて演じようと考えられましたか?

 孝志は、やっぱり僕とは全然違ってきっとスポーツを長いこと…小さい頃から始めていたと思います。そしてラグビーを始めてずっと一生懸命に、目標を持ってやってきた。さらに彼は日本代表にもなったという設定もあり、そこまで上り詰めるのは当然生半可な道ではなかったはずですし、それこそ自分に打ち勝ち続けてきた人間で、自分自身に対するプライドと誇りもあった。

 そして、彼はその全てを失った。しかも誰も責められない状況なんです。「このスポーツをやっていたら、そんなことにも遭遇するかもしれない」、そういった運命は、ラグビーをやる限りは、事前に覚悟していたことでもある。そうやって選手生命を絶たれてしまってから、そんな今までの人生というものをどう考え、そこからさらに先のことをどう考えたかということをずっと考えていきました。

――たとえば近年は、脊髄損傷になった人が車椅子バスケットなどのパラスポーツを始めるとか、またパラスポーツ自体にも大きくスポットが当てられ、一昔前に比べると、障がいを持っても色んな道が開かれるヒントが増えたように思います。そういう選択肢がありながらも、孝志は絶望から抜け出せない状態にいたというところに、非常に強い印象が感じられました。一見明るく人に接する雰囲気がありながら、どこか自分の心の中に闇を抱えている雰囲気が端々に感じられるというような。あの思いは、孝志は劇中でずっと絶望したままだったのでしょうか?

 どうでしょうね…僕はある瞬間に決めたんだと思うんです、最後を迎えることを。やっぱり彼の中で希望がなくなる瞬間があったのかと。彼の性格、もちろんあれは脚本に書かれていたことなんですけど、やっぱり彼の性格として気を使わせたくない、だから“大丈夫だよ”と言いたい、それがやっぱり彼自身のプライドでもあり、責任でもある。そんな気持ちであそこは演じたんです。

阿部進之介

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――そのはっきりしたタイミングはあったと思いますか? それとも、脊髄損傷という大きなハンデを背負ったとわかった瞬間から、彼には絶望しかなかったのでしょうか?

 ストーリーの中で、はっきりとあったと思います。それは、リハビリをしながらも彼自身が“完全に歩けないんだ”とはっきり感じたときだと。患者さんの心理として、普通にあることみたいなんですけど、障がいを持った、ということを認識した時点で、最初に“もう歩けるようになるのは難しい”と言われても“俺は歩けるだろう”と皆さんは考えると思うんです。

 そこを経て“じゃあこうしてみよう”“ああしてみよう”“これだけ頑張れば奇跡が起こる”“俺は例外だろう”という思いを一つひとつ試して、それが一つひとつ潰れていく。そうなったときに、やっぱり絶望は来たと思います。それがあの瞬間だったと思うんです。ただ、孝志という人間だったからこそ、一生懸命自分のことを理解してサポートしてくれた理学療養士の先生に”ありがとね”と言葉に出すことができたんだと思います。

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阿部進之介
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