阿部進之介、考えさせられた『栞』 障害を背負う役を通して芽生えた感情
INTERVIEW

阿部進之介、考えさせられた『栞』 障害を背負う役を通して芽生えた感情


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:18年10月26日

読了時間:約17分

 俳優の三浦貴大が主演を務め、共演に阿部進之介を迎えた映画『栞』が10月26日に全国公開される。医療の道を志す主人公が、その現場で様々な挫折を経験しながら、それでも希望を見出していこうとする姿を描いたこの作品は、その印象深いストーリーで公開前から各方面で大きな反響を受けている。今回は阿部に、映画を取り組むなかで感じた、障がいを背負うという宿命の上に芽生える思いなどを、自身の音楽への思いとともに語ってもらった。【取材=桂 伸也/撮影=冨田味我】

脊髄損傷で下半身不随になった役

 『栞』は、理学療法士として患者と向き合う主人公が、医療の現場で様々に現れる困難に苦しみながらも、希望を求めて前進しようとする姿を、医療の現場、家族とのつながりなど様々な視点を通して描き出したストーリー。元理学療法士の榊原有佑監督がメガホンを取るとともに、理学療法士時代に経験した出来事をもとに物語を描いている。また作品は4月に『第8回北京国際映画祭』でワールドプレミア上映がおこなわれ、現地からは「死と向き合うことについて考えた」「共感して涙が出た」と様々な反響の声が上がっている。

 今回、主役の理学療法士・高野雅哉役を三浦が担当。その父の稔役を鶴見辰吾、妹の遥役を白石聖が務める。そして三浦が担当する患者の一人で、元ラグビー選手ながら試合中のアクシデントで脊髄損傷となり、胸から下の感覚を失った男性、藤村孝志役を阿部が演じる。他にも池端レイナ、前原滉、池田香織、福本清三ら実力派、個性派俳優が集結している。

 2003年に『ラヴァーズ・キス』でデビューを果たした阿部は、長身を生かし、以後はテレビドラマや映画などを中心に、演技の幅を広げ活躍を続けており、近日では俳優の山田孝之が全面プロデュースをおこない制作され、2019年1月に公開が予定されている映画『デイアンドナイト』で主演を務めることが決定しているなど、注目を集めている。

 また、本作のテーマソングには、アメリカ、ミズーリ州セントルイスに住み、18歳の若さで他界した青年、リアム・ピッカーさん作曲による楽曲「Winter」が起用されている。ピッカーさんは才能溢れる若きピアニスト兼作曲家だったが、2015年に鬱病を苦に自ら命を絶った。

 この楽曲をNY在住の日本人ピアニストである西川悟平が演奏、その音源が映画のエンドロールで流れる。西川は2004年のリサイタル中に、指に不調をきたし、一時は両手が使えなくなったが、その後の懸命なリハビリとカウンセリングの結果で現在は7本の指が動くまでに回復。ピアニストとしての活躍を続けている。「Winter」は西川がアメリカのカーネギーホールの大ホールにて世界初演として演奏、当時はアメリカやヨーロッパのメディアにて大々的に取り上げられた。

障がいを持つという気持ちを、様々に考えさせられた作品

――今回映画『栞』で阿部さんが演じられた藤村孝志という役柄は、脊髄損傷という大きな肉体的ハンデを背負った役柄ですが、その演技の中では、やはりリハビリを受けるシーン、あるいはリハビリを受ける前のシーンというのが、大きなポイントとしてあるかと思いました。そういった部分に関して、撮影に向けた取材などはどのようにおこなわれたのでしょうか?

 車椅子バスケットの選手に、監督と一緒にお話をうかがう機会がありました。監督が設定してくださったんですけど、そこでその方が実際の事故に遭遇してからの話、それ以前の話とか、そこからどういう生活に現在はなっているか、どんな気持ちで生きてきたかをうかがいました。それと実際にリハビリを専門にしている病院に行って、遠くからですがリハビリの現場を見学させていただいたりもしました。

――共演の三浦(貴大)さんは、大学でスポーツ健康科学を専攻され、精神保健福祉士を目指されたことがあるということで、かなり役柄に重なる部分があると思いました。榊原監督ご自身も元理学療法士という経験もありますし、そういった面や色んな点で新たに知ることが多かったと思いますが、印象的なことはありましたか?

 ありましたね。演技前に、やはり気持ちを理解するということが、役者として最初にする作業なんですけど…なってみないとわからないことがあると思うんですけど。そういった部分では印象的なことが。

――たとえば?

 車椅子バスケットのプレーヤーの方に話をうかがったときに、その方はとても前向きな方で、その人の話を聞いているうちに“僕らが障がいを持っている方に対して、可哀そうだと思う感情って、ちょっと違うのかな”って感じたんです。

――違う? どういうことでしょうか?

 障がいを持った方を“可哀そう”だと思う気持ちというのは、実は僕らのすごく押し付けがましい感情なんじゃないか、と。その方は“いや、僕は幸せだから、僕のことを可哀そうだと思っているその人たちの方が、ちょっと可哀そうなんじゃないかと思っちゃう”みたいなことを言われたんです。

 たとえば何と比べて、何をもって幸せと思っているのかは、人それぞれ違う。そんな話を聞いたのがとても印象的で。だから僕はそんなところから役に入っていきました。

阿部進之介

阿部進之介

――その気持ちという部分を理解するために、どのようなプロセスを踏まれたのでしょうか?

 体を動かすときは、絶対に普通の体が動く人って、当たり前に僕らがやることをやっている。だけど、今回の脊髄損傷の場合とかは特にそうなんですけど、たとえばトイレに行くのも一人では行けない、だんだん体が動くようになってくるけど、ある一定の部分は絶対に動かない。それで絶対に身の回りの世話をしてもらうことになる。

 何かそういった障がいを持った人の気持ちを感じるというのは、すごく難しいことだったんですけど、そんな流れで徐々に理解していきました。実際に体は動くけど、動かないという設定で演技をしていくうちに。当然、“気持ちがわかる”といえるかどうかはわからないけど、近い思いにはなったと思います。ただ、実際の動作として体を動かさない、胸から下を動かさないというのは、すごく難しいんですけど…。

――かなり深い部分から気持ちの部分を整理した過程がうかがえます。一方、阿部さんが演じられた孝志という男性は、阿部さんが実際にお会いしたという車椅子バスケットのプレーヤーの方とは、全く対照的にも感じられました。孝志という人間は、劇中では希望を見出せませんでしたが、その希望と絶望は、とても微妙な狭間にあったようにも感じます。たとえば周りの人からすると、このような方に希望を与えていくには、どのようにしていくべきでしょう? 阿部さんはどのように考えますか?

 いや~それは難しい質問ですね、正直、僕にはわからないです。まず今作は、それをみんなでどうしたらいいのか、と考える映画だと思いますし。なかなか…。

――阿部さんが実際にこの孝志の立場になると、どうでしょう? 掛けてほしい言葉とか…。

 何か、やるべきことに集中させてもらえればいいかな、ということは一つあるように思います。これからこういうことがあるとか、今これを頑張れ、やるべきだとか、前に進む意識にさせてもらえるといいようにも思いますが…。

――前向きな方向に進むよう、勧めるということですかね。

 そんな感じかと…ただやっぱり僕にはわからないです。そうしたからといって、その先がその人にとって本当に幸せなのかは。誰にもわからない。車椅子生活をされていても“とても幸せだ”とおっしゃる方もおられますし、絶望を感じて自身の人生を断ってしまった方もいる。その先が本当に幸せかどうか、絶対に幸せが待っているかなんて誰にもわかりません。

 もちろんやっぱり生きていて良かった! と思うことは、きっとあると思うんです。それを感じられる瞬間まで、やるべきことに集中、たとえばリハビリだってそうだし、そうできたらいいなと思いますけど。難しいですよね。

――今作のテーマソング「Winter」を作曲されたリアム・ピッカーさん、そしてピアノでこの曲を演奏された、ピアニストの西川悟平さんというお二人のバックグラウンドには、似たような状況が感じられますね。

 今回は「Winter」という曲に、すごく縁を感じています。実は昨日、悟平さんと初めてお会いしたんです。悟平さんは「この映画を見て、すごくインスピレーションを受けて、この映画を感じながら音を出した」と本当に強くおっしゃっていて「キミたちのおかげで、今まで出せなかった音が今回出せた。ありがとう!」と声を掛けていただいたんです。何か「Winter」という曲を書いたリアムさんもそうだし、それを演奏された悟平さんもそうだし、何か不思議な縁でこの映画は完成したなと思います。

――作品を共に作り上げた、という以上の大きなつながりを感じますね。

 だからここ(フライヤー)にも書かれているんですけど「希望に向かって」というキーワードがこの映画にはあって、ここに向かってほしいという思いが、映画にはあります。本当に僕らが昨日お話をして思ったんですけど、この映画で悟平さんの感性を刺激できたというのはすごく嬉しかったんです。この映画がうまく作れていなかったり、そういう状態だったら、音も出なかったし、編曲するインスピレーションも沸いてこなかったと思うし。

 悟平さんはすごく感性の強いアーティストだと思いました、昨日お会いして。この映画から刺激を受けて、またそれを音に乗せて返してくれたというのが、何かすごく物づくりとしては素晴らしい作業だったんだなと思いました。

――その意味では“こうだ”という明確な答えを出すということより、悩み続ける、答えを模索すること自体が、一つの答えではあるような気もしますね。

 確かに。これだという答えは無いですから、人それぞれ違いもある。だから、それを考えることがすごく大事だと思います。それをやめてしまうのが、一番恐ろしいことでもありますし。

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阿部進之介
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