声を最大限に活かす、林部智史 カラオケとは違うカバーの魅力
INTERVIEW

声を最大限に活かす、林部智史 カラオケとは違うカバーの魅力


記者:村上順一

撮影:

掲載:18年10月10日

読了時間:約14分

 “泣き歌の貴公子”の異名を持つシンガーソングライターの林部智史が10月3日、カバーアルバム『カタリベ1』をリリース。2015~16年にはテレビ東京系『THE カラオケ★バトル』で2年連続年間チャンピオンに輝き、2016年2月にシングル「あいたい」でデビュー。その年の『第58回輝く!日本レコード大賞』、『第49回日本有線大賞』で「新人賞」を受賞。今作はデビュー前からファンの間でリリースを待望する声が強く上がっていたカバーアルバム。アマチュア時代から歌っていた曲など林部のルーツに迫る12曲を収録した。看護学校時代に心のバランスを崩した経験を経て、友人の勧めを受け歌手を目指したと話す。カラオケチャンピオンでもある彼にカバーとカラオケとの向き合い方を聞くとともに、等身大で歌ったと語る今作について話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

カラオケとカバーの違いとは

林部智史(撮影=冨田味我)

――山形県出身の林部さんですが、おすすめ料理はありますか。

 先日、8時間で最も多く提供されたスープ(芋煮)」部門でギネスにも登録されたんですけど郷土料理の芋煮です。直径6.5メートルもある鍋でショベルカーでかき混ぜる大きさなんです。味は醤油や味噌ベースなど色々あるんですけど、乱暴に言ってしまえば里芋さえ入っていれば芋煮なので、地域によって味が全然違います。山形県民はバーベキューではなく芋煮会というぐらいポピュラーな食べ物です。

――芋煮でこの歌声が生まれたといっても過言ではない?

 でも、僕の両親は歌が下手なので、芋煮にその効果はありませんね(笑)。

――残念です(笑)。さて、林部さんは一時期、鬱病になってしまったとのことなのですが、そのことについてお伺いしてもよろしいですか。

 19歳頃から看護学校に通っていて、そこは女性が多かったのですが馴染もうと頑張っていました。すでにちょっと向いてないなと思っていたんですけど、資格も欲しかったので。そんな中途半端な気持ちで構えていたところに実習が始まって4週間ぐらい病院に行っていた時に、担当していていた患者さんが急変して亡くなってしまったんです。その時にこんな気持ちでこの仕事をやってはいけないなと思いました。でも、そんな中途半端な気持ちだったんですけど、泣いてしまって…。でも、他の看護師さんたちは泣かないんです。最期を看取らせて頂いたという気持ちが強いんだと思います。その時はそれがおかしいなと思ってしまった自分がいて、僕はずっと泣いていたいと思っていました。

――割り切れなかったんですね。

 そうですね。もう「勉強をしなくても良いかな」と思ってしまって、そこから何とか学校に行かなくても良い方法を考え始めて。そうしたら熱が下がらなくなって。人間の身体ってよく出来ていて、熱が出るんですよ(笑)。38度ぐらいあるんですけど、なぜか身体は元気で。それで鬱病と診断されたんですけど、それは薬で治りました。

――やはりその時期は辛かったですか。

 学校を辞めたかったですから。でも「辞めたらダメだ」という葛藤もありました。そこから、学校のある場所に帰らずに住み込みでアルバイトする感じになって、そのアルバイト先の北海道で知り合った友人に「その声で歌わないのはおかしい」と言われたのをきっかけに歌手を目指しました。

――それまで、そういったことを言われたことはなかったのでしょうか?

 あったんですけど、その時は全然響きませんでした。その友人に言われた時は住み込み生活を始めて2年目ぐらいだったこともあって、タイミングが良かったと思います。おそらく1年目で言われてもダメだったと思うんです。

――タイミングなんですね。その後、音楽の専門学校に行かれて、首席で卒業されたのですが、コンテストに落ちてばかりだったとお聞きしました。この歌声で信じられないのですが…。

 EXILEさんのオーディションなど月に6社ぐらい受けて、トータルで100本ぐらい落ちましたね。書類審査も通らないものもあれば、面接で落ちたり色々ありました。企画もの、ビジョンが決まっているもののオーディションはそれに会う人を探しているので、僕ではなかったんです。あと、自分で曲が作れる人の方が受かりやすかった傾向があったと思います。その時は僕の全てが中途半端だったのかなと思います。でも、オーディションに出すことがまず大事で、そこから色々考えますから。ナンパする人の気持ちはあまりわからないですけど、今考えるとめげずにアタックするのはナンパに近いかも知れません(笑)。

――メンタルも強くなければダメだとは思うのですが、まずは行動ですね。その後ご自身で曲も作り始めましたが、作曲は以前から興味はあったのでしょうか。

 ありませんでした。最初は歌うことにしか興味はなかったです。デビューからのビジョンは自分で決めていかなければいけないと思い、提供されたものを歌っていくだけなのか、自分の思いも書いていくのかという。デビューする前は前者をメインに、たまに自分で曲も書いていけたらなと思っていました。でも、デビューしたら曲もけっこう書けるようになって。心境も変わるんだなと思いました。

――自分で曲を作り始めて、今作のようにカバー曲を歌うと以前とは表現方法など変わったりも?

 変わりました。まず自分では作れない詞の世界観だったり、歌い方もカバーするにあたって原曲を聴き込んで、そこから自分の歌い方に変えていくという練習をするんですけど、そこでのアプローチの仕方などに活きてきています。

――テレビ東京系『THE カラオケ★バトル』 で優勝したりと、他の人の歌を歌うということに関してはスペシャリストだと思うのですが、カラオケとカバーでは取り組み方は違うのでしょうか。

 僕の中でカラオケとカバーは違います。カラオケのバックミュージックは原曲と同じですし、そこに声を乗せることはアマチュアでも出来ることで。カバーはアレンジにもこだわって、自分の声を最大限に活かした、自分のオケに自分の声を乗せるのがカバーだと思っています。

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