諦めなければ叶う、cyanが語る夢 娯楽なき場所で歌はどう響く
INTERVIEW

諦めなければ叶う、cyanが語る夢 娯楽なき場所で歌はどう響く


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年06月06日

読了時間:約10分

13歳でストリートライブ

cyan(撮影=冨田味我)

――13歳からストリートライブ開始は、なかなか早熟だったのではと思います。

 「ストリートライブ」と言うと格好良い言い方なんですけど、セーラー服を着ていた中学1年生の時に友達と小さいラジカセを置いて公園で歌っていただけです。8時までに学校に行かなくちゃいけないので、7時から7時半まで。

 その公園はウォーキングエリアになっていて、おじいちゃんおばあちゃんがたくさん歩いてるんです。「あんたまだ学校行ってないんか?」みたいに言われて。「もうちょっと歌ってからいくわ」と返すと、「もう遅刻しちゃう。おばちゃんが聴いたるから1曲歌ってから行き」と。それが人前で初めて歌った瞬間です。「凄いわ。絶対売れるわ」と言われて良い気持ちになっちゃって(笑)。そこからずっとその場所で歌うようになりました。

 中学校で出会った友達も歌が好きで、気が合って「歌ってみよう!」となったんですよね。正直最初は夕方だと恥ずかしいという気持ちもありました、人が多いから。初めて歌った曲は花*花さんの「あ〜よかった」。慣れてきたら学校帰りにもやる様になって。

――その延長線で活動を広げていった?

 そうですね。上京したのは18歳の時です。東京に来た当時は水が合わなくて困りました。2年くらい慣れなかったですね。あとはイントネーション。「何でこんなに冷たいん?」、「もっと優しく言ってよ!」とか思ってました(笑)。

 音楽的な事としては、生演奏で歌う様になった事が大きかったです。当時組んでいたユニットの相方と出会うまでは生の楽器の中で歌うのは一度もなくて。「こんなに違うのか!」という感動は東京に来て味わったものです。ずっとそのスタジオにいたかったくらいでした。

――自分の曲を作られる様になったのはいつ位からでしょうか。

 ユニットを解散してからなので25、26歳の時ですね。今まではギターと歌で作っていたましたが、自分でピアノで作る様になりました。コードからではなくて、アカペラから作ることを大切にしているんです。ふっと思い浮かんだメロディを携帯のボイスレコーダーに保存していますよ。

 メロディを吹き込んでから、その瞬間に出てきた言葉をタイトルにしてます。例えば「洗濯機」とか(笑)。何でもない事をタイトルにして、その時のイメージを千件くらい取って置いてます。メロディと歌詞が同時に浮かぶ事もありますし、別に浮かぶ事もあります。私の「蛍」という曲があるんですけど、それは言葉とメロディが同時に出てきました。

――メロディが浮かぶシチュエーションなどありますか。

 色々です。電車の中もありますし、帰り道、家に帰ってきた瞬間とか。特に家から駅に向かう途中、帰る途中は多いですね。今はイヤフォンにマイクが付いているものを使っているので「もしもし?そやな」と、ごまかしながら録音しています。完全に怪しいと思いますよ(笑)。先日もそういう事があったんですよ。後ろからおばちゃんが来てて「ああ、変な人だと思われただろうなあ」と。

――大事なアイディアが詰まっているから、紛失したら大変ですね。

 その時は、そういう運命だったんだなと割り切ります。本当に必要ならそこにある筈なので。私、妄想するのが趣味なんですよ。自分がどういうステージに立っていて、何色の照明を浴びて、というのを考えるのが好き。寝る前に次の日のための良いイメージをしたりして。

――ポジティブでないと、音楽を続けていくのも大変じゃないですか?

 本当に音楽が好きなんだなと最近再確認しました。好きな事を一生やり続ける環境づくりってとても難しいことで。今回のメジャーデビューについても「誰もが立てるスタートラインじゃないよ」と周りの人に言われた時に、過去を振り返って「確かにそうだな」と思いました。ここまで来たのは好きだからやり続けられたんだなと。

 ストリートライブをやっていた時にメッセージノートを置いていたんです。それを見返すと、当時の光景が蘇るんですよね。そういう生の声に元気づけられたりもします。私が音楽が好きだからこそ、聴いてくださる方にもそれが伝わってるのかなと思います。今後規模が大きくなっても、音楽は距離を縮められるものだと思うので、そういうものを作っていかなければいけないなと。

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