外国人客で賑わう新宿ゴールデン街、案内役買って出た店主の思い
INTERVIEW

外国人客で賑わう新宿ゴールデン街、案内役買って出た店主の思い


記者:木村武雄

撮影:

掲載:18年05月28日

読了時間:約8分

 文化人が夜な夜な訪れ議論に花を咲かせた東京・歌舞伎町の新宿ゴールデン街は今、外国人観光客で賑わいを見せている。海外から日本に訪れる観光客が増加しているなかで、ディープな東京が楽しめるとして人気だ。そんな“横丁”にあって「If you have a problem, Ask me !! I love English & you !!!」(問題がある時は気軽に訪ねてくれ。私は英語とあなたが好きだ)という貼り紙をしている店がある。山下剛史さん(47)がマスターを務めるバー「ACE’S(エイシス)」だ。その言葉には、ブルースの本場・米国メンフィスなどでの体験が影響しているといい「外国人に恩返ししたい」という思いが込められている。それはなぜか。【取材・撮影=木村陽仁】

留学先で身をもって知った差別問題

 山下さんがマスターを務める「ACE’S(エイシス)」は11年前にオープンした。当時はお世辞にも盛況と言える状態ではなかったが、客足は年々増え、外国人観光客によるゴールデン街ブームもあって今では連日、活気に満ちている。一番多い出身地はオーストラリア、次いで米国、カナダ。ヨーロッパからの渡航者も多い。もちろん日本人もいる。そんな多国籍ムードのなかで会話を取り持つのが、映画や音楽だ。「異国の人同士が話せるネタになれば」との思いでそれらを流している。

 「たまに私が作った音楽も流してますよ。外国人に受け入れられるか、反応を見てます(笑)」

 山下さんは、マスターの傍ら「Blues No More!!!」というバンドを組み、音楽活動をしている。その音楽性はブルースだ。なぜブルースなのか。その出会いは店をオープンする以前にさかのぼる。

 青年期は役者を目指していたという山下さん。高校時代に家庭教師の影響で音楽に目覚めた。大学進学後、訪れた留学先の米・コロラドでバンドを組み、ザ・ローリング・ストーンズやブルース・ブラザースをコピー。バーやフェスなどで演奏、その様子が地元紙で取り上げられるなど注目を浴びた。役者の夢を抱えたままの活動だったが、その頃からアメリカ音楽のルーツやブルースに興味を抱くようになった。そんなところに事件が起きた。人種差別で暴漢に襲撃を受けた。

 「初めてアメリカで差別を受けて、日本では感じられないほどの屈辱を受けました。暴漢はのちの裁判で、襲撃した理由を『日本人だからやった』と証言していて、極論を言えば僕らは日本人であることは変えられないから逃れようがなかった。その事件で良くも悪くも人種問題を改めて認識させられました。日本にいれば日本人ということを意識して過ごしていないし、語らなくても共通認識のなかで済むこともある。でも、アメリカは多民族国家だからそういう認識が低い。それを凄く理解しました。良くも悪くも日本人なんだと」

メンフィスでの体験がその後の根幹に

山下剛史さん(撮影=木村陽仁)

 2年に及ぶ裁判で心身ともに疲弊したという山下さん。しばらくののちに「リハビリを兼ねて」とテネシー州メンフィスやルイジアナ州ニューオリンズなどに一人旅に出る。

 「僕にとって忌野清志郎さんの影響も大きくて。忌野さんが92年にアルバム『Memphis』(メンフィス)を出して。更に忌野さんも尊敬していたというオーティス・レディングがかつて所属していたレコード会社(スタックス・レコード)がメンフィスにあって。その名前は知っていたんです。それで、たまたまコロラドのレコード店で『メンフィスブルースフェスティバル』というポスターを見て。出演アーティストには今では考えられないレジェンドが沢山載っていて。あの事件以降、気持ち的にも閉鎖的になっていたというか、疲れてしまっていて。それで何かを変えたいと思って行ってみることにしました」

 メンフィスは、ソウルやブルース、ロックンロールなどの発祥の地とも言われている。そこでの体験が、冒頭にも記したあの貼り紙「If you have a problem, Ask me !! I love English & you !!!」へと繋がっていく。

 「彼ら黒人は全く知らない日本人の僕を受け入れてくれました。音楽のレベルだけでなく、その距離感が違っていて。何気なく叩いているだけでリズムが生まれるし、それが音楽になる。全然知らないおじさんでも例えばサックスが上手かったり。僕らはロックが好き、音楽が好きと言っているけど、それは趣味の範囲というか、音楽をやることで自分が豊かになったり、楽しくなったりという意識。でも彼らの場合は音楽が生活になっている。娯楽ではなくて生きるための表現の一つ。生きるために音楽が必要なのだと感じました。人種問題で嫌な思いを沢山したけど。音楽をやるときに彼らは人種とか関係なく寛容に受け入れてくれる。有名なミュージシャンでも『じゃあ俺のためにブルース1曲やってくれよ』と。そういうところに感動したし、受け入れてくれる場所があるんだ、壁はないんだと思えて救われました」

 そこでの出会いによって心が解き放たれたという山下さんは決心する。

 「自分の好きな事、音楽を追求しよう」

観光地化したゴールデン街で

 帰国後は、宛てもなくまずは音楽を軸に活動する劇団に所属する。その後バンドを組んで活動するも数年で解散。アコギ1本でソロ活動するもうまくいかなかった。そんな折に「ゴールデン街で店のマスターをやらないか」という誘いを受けた。

 「当時はゴーストタウンというか、風化している状態でした。その後、再整備が進みましたけど、お客さんお数はちらほらという感じでした。でもやってみようと」

 順風満帆の船出とは言えなかったが徐々に客足を伸ばす。そして、外国人観光客によるブームが起こる。なぜ多くの外国人が訪れるようになったのだろうか。山下さんはSNSが大きな要因ではないかと分析する。

 「今の言葉で表現すれば『インスタ映え』でしょうか。この街並みは古き良き東京ということで写真を撮ってそれをSNSにアップする人が多くて。それを海外にいる人が見てと。観光ガイドに紹介されたことも大きいと思いますがそうして広がっていったんだと思います。外国人観光客が増えただけでなく、日本に住む外国人が日本人を連れて来たりして。結果的にゴールデン街は観光地になりました」

 今では観光地ともなったというゴールデン街。しかし、嬉しいことだけではない。ローカルルールを知らない外国人客によるマナー違反も増えたという。

 「缶ビールを飲みながら平気で入ってくる人もいるし、製氷機がない店の前には氷を管理する発泡スチロールが置いてありますが、そこに座って壊したり。それ以外にも沢山あります」

 そうした人々を出入り禁止にする店もあるという。しかし、山下さんはそうした人たちも受け入れて、ルールを説明するという。それは、米メンフィスでの体験が大きく関わっている。「少しは英語ができますし、欧米の文化といいますか性格も知っているつもりですから、役に立てばと。それと、あの時の恩返しという気持ちです」。あの貼り紙はそうした思いの表れだった。

 とは言ってもマナー違反は一部に限られた人たちだ。お酒を飲みかわし談笑して互いの国や文化を語り合う。そのなかで、海外で活躍する日本人ミュージシャンを逆に教えてもらうこともあるそうだ。そして改めて日本の音楽の良さも感じる。

 「日本のバンドが海外で活躍していることを外国人から教えてもらうことも多いです。日本の音楽は良いと思う。アメリカ人のように歌えないし、ましてや黒人みたいなのにはならないし。でも黒人など様々な音楽に影響を受けた人たちが日本というフィルターを通して曲を出す。そこには海外とは何かが違うものがある。それがオリジナリティだと思います。アメリカっぽさやイギリスっぽさがあるように日本っぽさがある、それが良いと」

ロックンロールに年齢は関係ない

 その山下さんは3年前にバンド「Blues No More!!!」を結成した。バンド名の「Blues」は音楽のジャンルを指すのではなく「憂うつ」という意味だ。「外国人観光客はハッピーな気持ちで店に来ていますけど、日本で暮らすお客さんはだいたい、日頃のもやもやを晴らしたくて店に来てくれていると思うんです。なので、お客さんの立場に立って『これ以上の憂うつはいらない』という意味を込めて名付けました。僕らの音楽で発散してくれ、という思いですね」

 コンセプトは「おやじたちを躍らせるロックンロールバンド」だという。そして、音楽活動にも、あのメンフィスでの体験が血となって流れている。

 「昔は、ロックは若者のものだった。当時は18歳、19歳の人々が熱狂していて。ビートルズやローリング・ストーンズが出て来て、でもミック・ジャガーは74でしょ。今では若者だけのものではなくおっさんもロックンロールするし、いろんな世代のロックンロールがある。僕らのバンドメンバの一番年下は26、7。僕とは20歳の違い。それでも共通項があって僕らは音楽やっているだけど。僕たちがかっこいいというものを作りたくて、売れるだろうなという思いで音楽は作っていない。そういうところはアーティスティックでいたい。自分たちには自分たちにしかない表現がある。26歳なら26歳の表現があって、19歳にも19歳の表現がある。47歳の僕は19歳のものは表現できない。僕らは僕らの世代のものがあって、僕が経験してきたものでしか何もできない。それを等身大で表現したいと思っています。背伸びする必要もなしい、下になることもない。自分が感じているもの、自分から見える世界を表現したいですね」

 メンフィスで体験した「相手を受け入れる寛容さ」。それは店だけでなく、音楽活動にも反映されている。それは、米国やゴールデン街で多くの異文化を触れてきた山下さんならではのアイデンティティではないか。

 「音楽を通して訴えたいものはあります。違ったものを違うと言ってはねのけるのは簡単なことです。違うものを受け入れていくことを僕はしていきたい。『違うことは良いことなんだよ』『お互いの文化を受け入れてお互いハッピーになろうよ』と。そのためには勉強も必要だし、お互いのカルチャーを学ばなければならない。音楽はあくまでも人とのコミュニケーションをとるためのツールだと思っています。音楽をやることで関係性が崩れたり、例えばこのバンドを続けていくことで家族が崩壊したり、友達関係が悪くなるんだったら続ける必要はない。大事なのは人として、ということ。人との関係性があって初めて音楽がある。人と人との垣根を越えていける世界を、音楽を通して出来たらいいなと思っています。このバーではそれをお酒でやっていますが、音楽もそれと一緒」

 多様性が叫ばれる昨今、互いを受け入れる姿勢はもっとも必要なことなのかもしれない。あの貼り紙の一文が心に響く。

 なお、山下さん率いる「Blues No More!!!」がこのほど、ファーストフルアルバム『BLUES NO MORE!!!』を、Apple Music、iTunes Store、Spotifyで配信リリースした。これに伴うリリース記念パーティーが6月2日、東京・下北沢CLUB QUEで開催される。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事