感覚と計算のバランス 清水翔太、エンターテイナーとしての美学
INTERVIEW

清水翔太(撮影=冨田味我)


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年05月16日

読了時間:約14分

制作の原点はPC、夢中になったHPその先のDTM

清水翔太(撮影=冨田味我)

——ところで、ツイッターで、テレビ番組『ハッチポッチステーション』のテーマをカバーされていましたね。

 あれは原曲がニュージャックスウィングなんですよ。今はブルーノ・マーズがやっていますよね。僕が大阪でダンスをやっていた時はニュージャックスウィングがすごい流行っていたんです。教える先生も多かった。その感覚で考えると『ハッチポッチステーション』のテーマって、アメリカ的だなと思ったんです。

 アメリカの子ども向けのアニメとかって曲が超格好良かったりするじゃないですか。それって子どもたちの音楽的な感受性を上げてくれる。そういう文化が色々なところに根付いている点がアメリカのすごいところだと思うんです。そういう物に触れて育っていくから才能も生まれやすいんだろうなと。

 日本ってそういうものがないんですよ。子ども番組は子ども向けな歌しかないし。という中でも『ハッチポッチステーション』は格好良かった。それに対するリスペクトがずっとあったんです。カラオケで歌ったりするくらいですから(笑)。たまたま遊びで打ち込んでいたビートに合わせて歌って、ツイッターにアップしたんです。

——小さい時に聴いていた音楽はやはり重要?

 そうだと思います。でも僕は小さい頃全然音楽聴いてないですよ。よく親が洋楽好きでという音楽好きな人いますけどね。僕の両親は流行っている音楽しか知らない人なので。僕は自発的に11、12歳くらいから聴き始めましたから。

 ダンスは10歳くらいから8年ほどやっていました。ダンスも好きじゃなかったんですよ(笑)。というよりも好きだけど、上手くなれなった。僕、自分が上手くなれないものって好きになれないので。

——歌は上手くなれた、ということですか。

 歌はずっと小さい頃から好きでした。ダンスを始める前から絶対的に歌の方が上でしたね。ダンスはちょっとやってみるか程度で。ダンスが駄目だったから歌だったという事ではありません。

——最近は歌よりも制作の方が楽しいとも話されていましたが、結果的にダンスミュージックに引き寄せられているというのも興味深いですよね。

 確かにそうですね。中田ヤスタカさんがあるインタビューで「DTMがやりたかった訳じゃなくて、パソコンで何かを作りたかったから、得意な音楽を作る事にした」という様な事を話されていました。僕もパソコンが凄い好きだったんです。なぜかはわかりませんでしたが。小学校の頃からお小遣いを貯めてノートPCを買ったんですよ。ウィンドウズ95の時。

 とにかくPCが好きでした。小学生ながらホームページを作ったりして。『しみしょうのホームページ』というサイトでしたよ(笑)。もう一度見たいと思うのですが、多分見つからないんじゃないですかね。当時無料ホームページ作成が流行っていたんです。今はもう見当たらないですけど、カウンター(アクセス人数をカウントする素材)もあって、キリ番(100や777、1000など切りの良い番号)もチェックしてました。

 僕は当時劇団に所属していたんです。音楽が好きで人前でパフォーマンスするのを見た親が何を間違えたか、劇団に行かせたんですよ。それはそれで楽しかったですけどね。劇団には大人から子どもまでいましたけど、僕は大人の人が好きでした。その中でもパソコンを持っている大人が僕のホームページに来てくれましたね。付き合いでも掲示板とかに書き込んでくれるのがすごい嬉しかったです。

 そのPCと音楽が混ざった時にDTM(編注=PCで音楽制作)に行きつくのは当然と言えば当然。そうなるに決まっているなと。楽器も触った事がなくて「自分は歌手になる」とずっと思い続けていましたが、初めて曲を作り始めた時から、今の制作スタイルに行き着くのは決まっていたなと思いました。

——「Friday」リリース後の活動はどうなっていきますか?

 7月からはツアーも決まっていますし、アルバムも準備していますよ。

(おわり)

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