感覚と計算のバランス 清水翔太、エンターテイナーとしての美学
INTERVIEW

清水翔太(撮影=冨田味我)


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年05月16日

読了時間:約14分

ファッションにも通じる音楽的美学

清水翔太(撮影=冨田味我)

——先ほどバランス感のお話をもう少し詳しくお話して頂きたいです。

 単純に自分の好みでもあるんですけど。人の音楽を聴いていても「そこの美学が見えない」というもの、思いついたものをただやっている感じのものはあまり好きじゃないんです。そうやっている様に見えて、計算されているなと思えた瞬間にリスペクトの気持ちが沸くので。自分もそうなりたいですし、そこの美学が強いと思います。プロってそういうものだと感じるんですよ。何の考えも持たずに「音楽最高!」、「俺の音楽イケてる!」みたいな気持ちだけではやっていけないというか。

 何かしら美学が絶対あった方が良い。それって聴く人がどう思うかとか、聴く人をどういう気持ちにさせるかという計算。つまりプロのエンターテイナーとしての計算が絶対に必要だという美学があって。生まれて初めて音楽を作った時からそれは意識しています。「こうすると難しい」とか「これは良いけど、自分がやっても説得力ない」とか。人から自分がどう見えるかというバランスを考えているんです。

——それはファッションの考え方に近いのかなと思いました。

 確かにそうですね。ハイブランドとか、流行っている高い服を着れば良いみたいな人って格好悪いなと思ってしまうんです。それと同じかもしれません。それを全力でやっている人を格好良いと思えない。それよりも多少ハズしている様に見えるけど「それが良いんだ」という計算があったり、ここまで外してここは決めるんだとか、そういうバランスの美学があった方が好きです。

——では「Friday」において、そのバランス感はどこに表れているのでしょう?

 これだけ語っておいて申し訳ないのですが、自分の作品にはあえてバランスをとる事をしていません。だからこそプロデュースする事に興味があるのです。僕は僕自身のバランスを見過ぎて、すごいつまらない音楽を作りそうになっていたんですよ。ギリギリのところで止まれましたけど。ただ「良い音楽を作っている」つもりなのは、今も昔も変わりません。でも「もっと好きな事をやった方が良いんじゃないの?」と自分で思うくらいバランスを見過ぎていた。

 レコード会社が求めるもの、事務所が求めるもの、自分が求めるもの、世間が求めるもの。全部のバランスを見て「これなら誰も文句がないだろう」というところを目指すというか。それはそれで悪い事ではないですけど「もうちょっと思っている事や言いたい事があるのに」という想いはずっとあって。それが蓄積してストレスになっていきました。

 だから今はそれをなるべく排除しています。もちろんプロとして最低限の計算はありますけど。例えばカップリングの曲で、伝わりやすい言葉を選んでみたりとか。それに比べると「Friday」は本当に伝えるための計算っていうものはないですね。むしろ、これで好きな事をやる事がアルバムという最終的なゴールに対するバランスになっているというか。

——プロデューサーといえば、先日清水さんと同じ年のアヴィーチーが亡くなりました。彼には音楽制作における葛藤もあった様なのですが、それについてはどう思われましたか。

 何ともコメントしづらいですね。僕も制作への葛藤はありましたけど、次元が違うものである可能性が高いので。僕なんかはその苦しみはわからないと思います。あれだけ曲が認知されればいいでしょ、と思ってしまうんですよ。ジャンルが違うというのもあって、おこがましくて何とも言えないですね。でもEDMの中でも独特な、僕ら日本人に刺さる情緒みたいなものがある音作りの人だから、日本でも好きな人は多かったと思います。とにかく残念ですよ。

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