止まって気づいた枯渇の原因、石崎ひゅーい 始まっていた第2章
INTERVIEW

止まって気づいた枯渇の原因、石崎ひゅーい 始まっていた第2章


記者:村上順一

撮影:

掲載:18年03月29日

読了時間:約13分

 オリジナリティあふれる独特な世界観を持つシンガーソングライターの石崎ひゅーいが3月28日に、ファン投票によるベストアルバム『Huwie Best』をリリース。2012年のデビューから5年半という時を経て発表されたベスト盤は、ファンと協力し作り上げた1枚となった。ひゅーいも改めて過去を振り返り、「制作においてすり減っていたことに気づいた」と話す。この節目とも言える作品には第1章に終止符を打つ新曲「ピリオド」を収録。制作方法も“石崎ひゅーい第2章”の始まりを予感させるものになったという。インタビューではこの5年半を振り返ってもらうとともに、公私ともに仲の良い俳優の菅田将暉とのエピソードや、今ひゅーいがシンガーソングライターとして感じていることについて迫った。【取材=村上順一/撮影=木村陽仁】

実はすり減っていた楽曲制作

――ベスト盤『Huwie Best』がリリースされます。一つの節目としての感覚が強いのでしょうか。

石崎ひゅーい

 はい。5年半メジャーで活動してきて、制作においてすり減っていたことに気づきました。そのなかでベスト盤を出さないかと周りの方たちが言ってくれて。それで改めてこの5年間を振り返った時に空っぽになっちゃったなと。

――2016年は『花瓶の花』と『アタラズモトオカラズ』と2枚もアルバムをリリースしていましたから。

 あの時はプロデューサーの須藤晃さんが作品を作るぞと意気込んでいて(笑)。玉置浩二さんや尾崎豊さんなど、須藤さんが作ってきた作品のファンなので、その人と一緒に作れるというだけで、モチベーションは高かったんだと思います。なので勢いが凄くて出来る時は何曲も出来てしまう時もあったので、この5年間で産みの苦しみはさほどなかったと感じています。

 ポンポン出来ていたので、その時はすり減っているという感覚はなくて…。基本的にインプットという作業も意識的にしたこともなくて、どこかに行くこともなく、家にいることが多くて。外に出たとしてもお酒飲みにいったりとかそんな生活なんです(笑)。

――今までは日常生活やライブなどで自然とインプットしていたんでしょうね。

 恐らくそうなんです。でもそれだけでは満足が出来ない体になってしまったみたいです。曲は出来るんですけど、そのハードルがどんどん上がっていたみたいで。今は過去のやって来たことを超えて行かなければいけないなと思っています。デビュー当時はがむしゃらに自分の持っているものを吐き出していたけど、これからはそれだけではダメなんだと実感していて。バンド時代も含めて苦しまないで生きてきたんだなと。

――曲が出来ない時は熊のように寝てしまうとのことですからね(笑)。

 そうなんです。そうやってコントロールしながら曲を作っていたので大変だったという認識が薄くて。デビュー当時は曲なんてどんどん出来るものなんだという感覚でしたから。

――曲は「さあ作るぞ」という感じ?

 いえ、どちらかというと歩いていたり、日常の中で閃く感じです。ポンポン出てくるので、“ポンポン系”でした(笑)。

――ポンポン系良いですね! さて、初のベストアルバムがリリースされますが、なぜ投票という形を採用したのでしょうか。

 自分で選ぶとすごく偏ったものになるなという怖さがありました。僕のことを一番わかってくれているのは、この5年半聴いてきてくれたファンの方達だなと思って、皆さんと協力して総括した1枚が作れれば良いなと思いました。

――なるほど。ひゅーいさんはベストアルバムというものについてはどのような印象を持っていますか。

 僕は90年代、00年代と日本の音楽を聴いてきたので、ヒットソングがズラッと並んでいるイメージがあるんです。なので、自分がベストを出すということについてはヒットソングを持っているわけではないので、「おこがましいな」という思いが若干あったのですが、今までの積み重ねて来たものと、新曲と1年間弾き語りで成長したところも収録出来たので、今までとこれからを表せる1枚にしようとスタッフとも話していて、そのコンセプトはいいなと思えたので腑に落ちました。

――投票にしたことにより意外な曲はありましたか。

 もっと票がバラけるかなと思っていました。おそらく僕がライブで「5年半をまとめたものを作りたい」と言ってしまったことも影響したのか、ファンのみんなもすごく考えて投票してくれたと思います。アルバムに入っているマニアックな曲を選んでもひゅーいの為にならないんじゃないかとか、みんなの優しさが票に出ていました。愛を感じる選曲になったなと思います。

――まさにみんなで作り上げた1枚となったわけですね。総括された1枚になったわけですが、ターニングポイントはありましたか。

 やっぱりデビュー曲の「第三惑星交響曲」です。バンドをやめてソロになった曲で、亡くなった母親のことを歌っているのですが、デビューするきっかけを掴む流れがこの曲で出来て、「石崎ひゅーいの始まり」となったのですごく重要なのかなと思います。もうこの曲がデビュー曲だという確信の中で動いていました。

――ひゅーいさんにとって過去の楽曲というのはどういうものですか。

 僕の場合、自分の曲を聴いているとその日のことが鮮明に映し出されます。特にデビュー時に作った曲は、自分から出て来たものをそのまま歌にしているので。みんなからすると、遠いことかもしれないのですが、僕からしたらすごく鮮明な映像が映し出されるんです。

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