アイドルという存在の変化に対して思うこと
MusicVoice
<記者コラム:オトゴト>
正直、昔はアイドルという存在にそれほど興味を持たなかった。美しい音を追求する音楽というジャンル、アイドルという分野はこの部類に属して紹介されることが、どうにも納得がいかなかった。「自分で音楽を作り上げるとか、音楽を追求する姿勢が見えないのに、なぜこの女の子(男の子)たちは“音楽”という領域に分類されるのか?」そんなこともあって、どうもこの存在がちょっといい加減なものなのではないか?と見えたこともあった。
ところが時代が変わり、世間から大きく注目されることも度々ある現在において、無視できる存在ではないと感じた時に、ちょっと自分からの見え方も変わった気がする。例えば広告塔の役割として立った時、世からの注目度の大きさもアイドルなら効果絶大。いやらしい話に聞こえるかもしれないが、メディアに載った際の反応の大きさは、その他の分野と比較しても大きなもの。影響力という意味では、古くからたゆまぬ努力で作り上げられた伝統的な音楽を継承するミュージシャンより、ある意味騒がれるものとなっている。
もちろん“騒がれる”ということは、絶対的な良し悪しという尺度とは、まったく関係ないものであることをまずことわっておく。しかしそれを差し置いても、今日本で多く聴かれるものとしてこのアイドルという存在が輩出し続けるものは変わってきている。目を背けるわけにはいかない、人の目を引く個性的な面、音楽としても、あるいはいろんな尺度から見ても評価できる面もたくさんある。
そう考えるようになった理由を辿ってみると、ある意味“基本的には自分自身で作っていない”というアイドルの持つ特質にあるような気もする。曲を作るもの、演奏するもの、ダンスの振り付けを考えるものなど、彼女らがステージや檜舞台に立つまでには、様々な人が介する。そういう人たちの名が近年はより表に出され、また以前に比べ多くの人たちの名が上がるようになったようにも感じる。
つまりはステージに上がって披露する一つのパフォーマンスが、多くの人のセンスや技量で作り上げられている一つの作品である、そういう見え方に変わってきたように感じるのだ。様々な人が介在し、一人の女性、あるいは男性というアイデンティティを保ちながらも、何者にでも成り得る。それは、何もかもを自分一人で手掛ける際に、限界も見えがちなアーティストとは対極的に、表現の広さを得ることにつながっているようでもある。
“芸能”という分野において、どうしてもゴシップ的な面に注目が生きがちなのは、それだけ世の注目を浴びているからと考えざるを得ないとこであるが、それはさておきクリエイティブな面では変化し、かつて自分自身“アイドル嫌い”だった自分が、それを高く評価をする機会も増えた、そうなったその存在には改めて注目していきたいと思う。また一方で、多くのクリエイターに向け大きな間口を広げてきた、その近年の経緯を改めて探っていきたいと考えている。
【桂 伸也】
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