ハーフタレントの活躍が目覚ましいなか、筝曲(そうきょく)いわゆる“お琴”の世界も例外ではないようだ。筝曲奏者のLEO(19)は、日本人の母と米国人の父の間に生まれたハーフ。横浜のインターナショナルスクールで筝(こと)に出会い、16歳で『くまもと全国邦楽コンクール』最優秀賞・文部科学大臣賞に輝いた期待の新星で、今年3月8日には1stアルバム『玲央 1st』をリリース。更に今春からは東京藝術大学・現代筝曲科へ進学。箏以外にもクラシック、ポップス、ジャズなどジャンルにこだわらず音楽を日常的に聴き、演奏するというLEO。なぜ、伝統楽器である筝の魅力に取りつかれたのか。そこには楽器としての魅力だけでなく、ハーフという環境も“熱中”させた背景にあるという。
外国人学校で出会った箏
お箏を始めたのは小学校4年生の時です。両親は、楽器を演奏しないので、それまで触れることはありませんでした。お箏に出会ったのは学校の授業でした。幼稚園から高校まで一貫のインターナショナルスクールに通っていたのですが、そこでアメリカ人の箏奏者、カーティス・パターソン先生からお箏を教えて頂きました。一目惚れという感じでした。そこからずっと弾いて、箏がどんどん好きになって。
初めてコンクールに出たのは、小学校6年生の時です。広島で開催される全国の中学生筝曲コンクールでした。通っていた学校は横浜でしたが、大きなコンクールは毎年、広島でありまして。出場するまでも努力はしていたので、同級生の間では上手い方だったと思うんです。でも、コンクールに出る事によって「同年代でも上手い人がこんなにいるんだ」という事がわかったので、さらに練習に熱が入りました。
それから中学3年生になるまで、広島のコンクールには出続けました。高校2年生からも年齢に関係のない、一般のコンクールにもずっと出ています。同じレベルの人と競えると刺激にもなりますし、目標があるとモチベーションも上ります。でも中学生になる頃には、プロになる事を決めていました。
――伝統楽器である箏のどこに惹かれたんでしょう?
例えばバイオリンなどの場合、初めて弾くときは、うまく音を出すのは難しいですよね。管楽器もそうだと思いますが、コツがいるので最初は大変。その点、箏は弾いたらすぐに音が出ます。だから小学校4年生の僕でも親しみやすくて、熱中することができました。でも、やっていくうちに、奥が深い事がわかってきました。
例えばバイオリンなどの場合、初めて弾くときは、うまく音を出すのは難しいですよね。管楽器もそうだと思いますが、コツがいるので最初は大変。その点、箏は弾いたらすぐに音が出ます。だから小学校4年生の僕でも親しみやすくて、熱中することができました。でも、やっていくうちに、奥が深い事がわかってきました。箏は「爪」(※編注=指にはめる、ギターで言うピックの様なもの)というものを付けて絃を弾くのですが、1つの音を出すだけでも何通りもあるんです。爪の角度や、弾く位置だとか、そういう事の試行錯誤で音楽が表現できるところに惹かれていきました。
さらに学校の音楽授業の必修科目として「お箏」が組み込まれていたんです。普通の学校だと、ちょっと試して終わり、という感じだと思いますが、その学校では、小学校4、5年生は皆1年を通して箏を音楽の授業で弾きます。それで、中学生になると選択科目で、洋楽か邦楽かを選ぶんです。僕は小学校の時に先輩の演奏を聴いて「箏でこんなにも格好良い曲が弾けるんだ」と思って、どんどん練習するようになりました。
色々コンクールなどに出始めた中学2年生の時に、元々学校の先生であるカート先生の師である、沢井一恵先生(編集=坂本龍一、ジョン・ケージ、一柳慧、そして高橋悠治などの音楽家とコラボレーションしている箏曲家)に師事しました。
――和楽器は若い人にとってはなかなか縁がないと思いますが。
僕はもともと、音楽を聴くのは大好きなんです。中学校の頃なんかも友達とバンドをやったりして、バンドの楽器はちょっとずつ全部やりました。ベース、ドラム、ギター、ピアノも。スティーヴィー・ワンダーや流行りのポップスなどを演奏していました。
インターナショナルスクールでは、色んな人種の学生がいるので、大体演奏するのは洋楽です。なかには日本人もいますけど、皆、喋るのが英語なので、もうそこだけ外国みたいな感じです。箏の授業も英語で習いました。箏と聞くと、敷居が高い、堅苦しいというイメージがあるかもしれませんが、そのスクールのおかげで、普通の楽器と変わらない入り方ができたと思います。ギターを弾くのと同じ感覚といいますか。それは良かったです。やっぱり、一番自分にしっくりくるという感じは箏で。練習していて一番楽しいのも箏です。