「挑戦と決意」今のポールの思い

 11曲目には2007年に発表された「ダンス・トゥナイト」を収録。曲を印象付けるマンドリンの軽快な響きが心地良い。マンドリンはポールがクリスマスにロンドンの楽器屋で購入したものだという。還暦を迎えても、音楽への飽くなき探求心を伺わせる素敵なエピソードだ。

 13曲目「ワンダーラスト」は、『タッグ・オブ・ウォー』に収録されている楽曲で「航海への情熱」を意味する。1977年にヴァージン諸島に浮かぶ船で洋上レコーディングしたウイングスのアルバム『ロンドン・タウン』でポールが過ごした船の名前"Wanderlust"から曲名を取ったという。当時の音楽の海を航海していく、ポールの決意のようなものを感じさせる。

 こちらもベストアルバム初収録となる、19曲目「ホープ・フォー・ザ・フューチャー」は、2014年にソニーのゲーム『Destiny』のテーマソングとして書かれたもの。コンピューターゲームに曲を提供するのはポールにとって初の試みである。「未来へ希望を持つ人々と、その人々に対する激励」を歌っている。

 最後にこの冒険を締めくくるのは、20曲目の「ジャンク」。ポール初のソロアルバム『マッカートニー』の6曲目に収録されている。ビートルズ在籍当時のインド滞在中(1968年)から徐々に制作、自宅及びモーガンスタジオでレコーディングされた。歌詞では“店の窓の看板が「さよなら」と呟いている 庭のがらくたが「どうして、どうして?」と囁いている”と歌われ、ビートルズを離れるポールの葛藤のようなものを感じる。しかし、彼はここから旅立つ決意を固め、大いなる音楽の冒険へ繰り出す。この曲で締めくくったのはポールが再び初心へ戻り、また新たな音楽の冒険を続けようとする意志の表れではないだろうか?

日本のミュージシャンに影響を与えた“冒険家”

 ビートルズが1966年6月29日に訪日し、今年で50年が経つ。内田裕也やジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ、ザ・ドリフターズなどがその前座を務めたことを考えると、その半世紀という時間がどの程度濃厚だったのか窺い知れる。もちろん、この場に居合わせた人間だけが彼らの影響を受けてきたわけではない。

 ロックミュージシャンの奥田民生は「小学生の夏休みに見たアニメで、ザ・ビートルズの曲が流れていたんです。この頃から、いろいろな音楽を聴き始めましたね。初めて聴いた洋楽がビートルズで良かったんじゃないかな」と昨年5月に音楽媒体のインタビューで語っている。

 ロックバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマン後藤正文は「僕らがはじめてのライブのときに演奏した曲は、ビートルズの『Help』とOasisの『Live Forever』でした」と公式サイトで明かしている。

 昨年4月に放送された、テレビ朝日系『ミュージック・ステーション』では、サザンオールスターズの桑田佳祐が、自身の応援ソングとしてビートルズの「ミスター・ムーンライト」を紹介。その理由について「1966年に初来日したときに、空港から都内までの首都高をパトカーが先導している映像が放送されて、急に映像が切れたと思ったらこの曲が流れてきた。その時に体に電気が走って、人生が変わりましたね」とビートルズが彼の人生を変えたことを告白。

 ポールの“音楽の冒険”の原点であり、日本のポップミュージックの歴史の原点ともなったザ・ビートルズは、解散して半世紀近く経つ今でも多くのミュージシャンに影響を与え続けている。そして、その音楽の冒険の舞台となる“音楽の世界”は、他ならぬ彼らによって切り開かれて行くのである。(文・松尾模糊)

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