音楽の化身・井上陽水が語る「善行」とは[1]

NHKホールでおこなわれた『コンサート2016「UNITED COVER 2」』(撮影・有賀幹夫)

 「最近は善行、徳を積むという事を心がけて生きています」――。井上陽水はニヒルに、穏やかに、微笑を浮かべてそう語った。去る3月19日、NHKホールでおこなわれた『コンサート2016「UNITED COVER 2」』は、まさしく夢の中へ誘われるようなコンサートだった。そこで井上陽水がMCでしきりに重ねた「善行」というフレーズは、何を説く訳でなく、教える訳でもなく、ごく自然に、ファンに何事も楽しんでもらうという事の中心にあるかのような言葉だった。善い行い――。この日に限ってそれは、世代間の壁を取り払い、真に音楽を楽しむことだったようにも感じる。

 会場に集まったたくさんのファンの世代は、40代~60代がメインといった様子だ。紳士、淑女が井上陽水のコンサートを楽しみに来場し、“厳かな雰囲気”と“ワクワク感”が混じった、どこか上品で、心地良い空気に包まれている。メインの世代層の方々は、70年代に国内で巻き起こった「フォークブーム」の中で、井上陽水が大活躍した頃から彼の音楽に親しんでいた世代であろうか。

 それよりも若い10代、20代の世代にとって「井上陽水」とはどんな存在なのだろう。お父さんお母さん世代の“音楽界の重鎮”だろうか。30代ではどうなのだろう。「PUFFY」のヒット曲の作詞者、それとも奥田民生と楽曲「ありがとう」をコラボレーションしたイメージが強いのだろうか。

 いずれにせよ、「井上陽水のコンサート」となると、たいへん貴重なステージであるという認識はあるだろう。少なくとも若い世代は「いきなり善行と徳の話とはやはり大御所は一味違う。一体どういったステージが展開されるのか…」と、中には身構えてしまった世代の方もいたかもしれない。

音楽の化身・井上陽水が語る「善行」とは[2]

MCでしきりに重ねた「善行」と語っていた井上陽水(撮影・有賀幹夫)

 井上陽水が最初のMCで語った「善行」というフレーズ。その後、MCでも「善行」という言葉はまるで“本日の最重要キーワード”であるかのように、彼の微笑と共にそのフレーズは繰り返された。言葉の崇高なイメージとは裏腹に、「それでね、こないだの善行の話ですが…」という切り口の度に、会場から笑いが起こる。という事は、「難しく考える事ではない」のだろう。周りを見てみると、そんな難しく考えている様子などはなく、とても楽しそうに井上陽水のトークと音楽を楽しんでいた。

 “ふら”のある井上陽水の喋りと所為は、それだけでも充分に楽しむ事ができる。マイクやギターを持たずに、ちょっと脇にある水を持って飲む姿を見せるだけで、何だか楽しい気分にさせてくれる。これも「善行」を重ねる人間の成せる技なのだろうか。

 「善行」。それは一体、何を意味する言葉なのか。文字どおり「善い行い」なのだろうが、それだけではないはず。洗練された音楽の素晴らしいステージと、この「善行」という意味深なフレーズの二段構えは、「音楽とその人となりに向き合う」というコンサートならではの醍醐味を一味違う味わいで楽しむ事ができる。ツアータイトルや、アルバムのテーマではなく、その時々の言葉をコンサートの“テーマ”のように感じさせるという事は、ありそうでなかなか無い事である。

 井上陽水と一流のミュージシャンによるコンサートは、音楽の世界を泳ぐように、ごく自然に、演者と客席との息を合わせて奏でられるものだった。それはとても楽しく、美しく、さまざま感じる事を次から次へと生み出し、感情は多彩に広がり、そしてその場で音と共に綺麗に昇華され、「次はどんな曲かな!」というワクワク感をどんどん膨らませてくれる、たいへん素敵な時間を創っていた。

 流暢に、おだやかに喋る、愛嬌と知性の絶妙なバランスの井上陽水のトークは、まるで起承転結の練られた「人生の芝居」を見ているような感覚すらおぼえる。コンサート会場という空間の中で、井上陽水と向き合う事で、その場にいる何千人という人間が楽しく過ごせる。そこに世代間のどうこういったモノは無かった。井上陽水の音楽人として歩んできた人生が、音として、言葉として、所為として、表現され、その全ては楽しく、素敵に、おもしろく感じる。

 井上陽水の言う“善行”とは、何かを指している訳ではなく、「この空間を大勢の人間と幸せな気持ちで共にできる事」のソースなのだろう。日常のちょっとした「善行」は、音楽人であれば演奏や歌に反映し、動作や口にする言葉も選ばれる。

 それは、直接的ではなく、間接的に、人の表現力や感受性にはたらき、演者であれば“人を楽しませる事”につながり、受け手であれば、“それを充分に感受する事”が出来る。ひいては“人生をおもしろくする”という事なのではないかと感じさせるものだった。コンサートに行く事で、井上陽水の音楽の素晴らしさを感じる事だけではなく、「人生の楽しみ方の根底はちょっとした日常的な色んな事」というフワッとした大切な事を感じる事ができる。

 「探し物はなんですか」と問われれば、「見つけにくいけど、最近は『善行』です」と、微笑を浮かべて答えたくなるような、そんなつかみ所のない素敵な感情を、井上陽水のコンサートは持ち帰らせてくれる。45年以上も文化人として活躍する音楽の化身・井上陽水は、奏でる音楽の素晴らしさもさることながら、深くもシンプルに、あらゆる世代の人生のひとときを「楽しく」潤わせてくれる。(取材・平吉賢治)

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