町田康率いる「INU」を生んだ時代背景を考察
パンク以前の日本のロックバンド
「日本語ロック」「パンクバンド」と評される存在でもあったINUだが、それ以前に、その前身と言えるバンドが多く存在していた。それは、若者が社会に向けて激しく主張をし、行動を起こした1960年代後期から1970年代初期まで遡る。
パンクスやその前身であるバンドの歌い放つ言葉、音、歌詞には強烈な攻撃性と鋭く直線的な視点、ある種の狂気をはらんでいる。その要因のひとつとして、当時の時代背景や社会的な温度があると考えられる。現代ではおおよそ目につかない様な過激な活動や主張が当時、若者を中心に直接的、あるいは文化的手法を通じて盛んに行われた。
パンクロックという言葉はまだ殆ど認識されていなかったが、その言葉こそ無くとも「パンク精神」を抱えたバンドは数多く活動していた。日本のパンクロックの原点としては「頭脳警察」や「村八分」などが代表的な存在として挙げられる。当時はまだパンクロックという「括り」の無い中、ロックンロールやブルース基調のハードロック、いわゆる「70年代ロック」が色が濃く見られる楽曲の中で、パンク精神をはらんだ活動をみせた。
ただ、そのあまりの攻撃性や過激な主張、反体制の意思を含む歌詞には「発売禁止」「放送禁止」の対象として実際に行使された事例もある。楽曲のエネルギーのみならず、レコードジャケットのアートワークや、当時のライブパフォーマンス映像などからも、それらの過激さは当時の時代背景を反映した現実として認識する事が出来る。
「今では恐らく出来ない表現方法」。そういった感想すら出てしまう程の熱量が当時のバンドシーンには少なからずあった。40数年が経過した今、彼らを通じて時代の変貌ぶりが著しくわかるのである。事の是非は抜きにして、この時代を通過しなければ日本ではパンクは成熟しなかったのかもしれない。
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