INTERVIEW

池田純矢

「アートと真正面から向かい合った」即興音楽舞踏劇『砂の城』で見せる挑戦とは


記者:村上順一

写真:村上順一

掲載:22年10月04日

読了時間:約8分

 俳優の池田純矢が作・演出を担当する、エン*ゲキ#06即興音楽舞踏劇『砂の城』が 10月15日から30日まで東京・紀伊國屋ホール、11月3日から13日まで大阪・ABCホールで開催される。即興音楽舞踏劇と銘打った本作の主演は中山優馬が務める。ピアニストによる生演奏で紡がれる音楽が世界を彩り、 物語の住人は即興で旋律を奏で舞う。

 これまでも様々な革新的作品を発表してきた「エン*ゲキ」シリーズ。その全てを糧に挑むのは、どこまでも自由な新境地。何度観ても新しい何かを感じることが出来る、今回行われる約40公演全てが違う作品のようになると話す池田純矢。インタビューでは、芸術に向き合うという『砂の城』という作品について、どんなメッセージを我々に届けたいのか、同作について話を聞いた。

ちょっとずつ何か違うよねではなくガラっと違う

村上順一

池田純矢

――『砂の城』は壮大なスケールを持つ作品になりそうですね。

 これまでの作品は、皆さんにお届けする時に「エンタメです」「とても見やすいです」「肩肘張らずに楽な気持ちで観に来てください」という作品をずっと作り続けてきました。でも、自分がアートというものに堂々と真正面から向かい合った作品を、ちゃんと描きたいという思いがあったんです。今回は主演の(中山)優馬と芸術という分野で「何か一緒にやりたいね」と話していました。

――池田さんが思う芸術というのは?

 舞台は初日が来たら、必ず千秋楽がやってきて、そうやって跡形もなく散るのが最高の美しさだと僕は思っていて、この感覚をより深く毎公演味わうことってできないのかなと思いました。自分が最大限表現したい芸術ってどんなものなのか考えると、僕の思う舞台芸術の良さは、絵や音楽みたいに残らないことだと思いました。戯曲というものは残りますが、舞台上のその瞬間というのは、生で見るために作られているし、それがDVDのような映像作品になっても、どこか違うものになると思っていて。

――それを『砂の城』で体現しようと思ったわけですね。

 広義の意味で言えば、舞台公演というのはそういうものではあるんですけど、それをもっとわかりやすい表現として何かできないかと考えた時に、音楽とダンスの即興、アドリブで物語の根底に密接に関わる表現ができたとしたら、これは見たことも聞いたこともないものができるんじゃないかと思いました。

――一期一会ということですね。

 平たく言えばそうなんですけど、今回は特に、毎公演全く違うものができるんじゃないかと思っていて。それが『砂の城』なんです。ちょっとずつ何か違うよねではなく、ガラっと違う。今回40公演ぐらいあって、その40回全てを違うものにしたいんです。

――これを説明された時、共演者の方はどんな反応されていましたか?

 「そんなことできるの?」って(笑)。

――ズバリお聞きしますが、『砂の城』は難しいのでしょうか。

 理解するという事では難しいかも知れませんが、お客様それぞれの感度で、感じていただきたいですね。

――観る人を選ぶ感じもある?

 それはないとは言い切れないんですが、極力そういうのは無くそうとしています。今までは10人に伝えたい言葉は、10人に伝えるためにちゃんとセリフとして書いてきたつもりです。でも、今回はそういうことを一切していないと言いますか。台詞として表現しているのは、本当に表面的な部分だけなんです。根底の一番深いところにある心情であったり、物語が何を語りかけてくるのかというところは、極力演出や表現という部分で補いたいと思っています。セリフでは伝えないところが多いので、今までの作品と比べると、難しく感じる方は出てくるんじゃないかなと思います。

――観に来られた方が、この舞台を観て何を感じるのか、興味深いですね。

 はい。先日、僕はチームラボのステージを観に行ってきました。デジタルアート作品で空間デザインも含めてすごく素敵だなと思いました。ARと連動していて人が通ったり、アプリをかざしたりすると映像が変化するんです。更に変化した映像が他の映像にまで波及して、動きも変わります。毎日人が変わる限り、同じ映像は流れない、同じ瞬間は二度と訪れない空間を作っているんですけど、それにすごく感動しました。舞台芸術もそれに近いものがあるんじゃないかなと僕は思っていて、お客さんが毎回変わることで、演者の心情の変化、日々感じること、ひとつ前の動きでも感情が違ってきたりもする。少しのエッセンスのお芝居でその機微を表現するのではなくて、ガラっと根底から行きたい方向にいっちゃおうという。

――「エン*ゲキ」シリーズ、これまでの5作品がすごく充実していたからこそ、こういった作品にチャレンジできるんだろうなと思いました。

 エンターテインメントと芸術、どちらにもその視点が必要だと思っていて、エンターテインメントと言っても薄っぺらい表面だけで作ってしまうと、それはただのダイジェストを見ているような感じになってしまう。だから芯は必要で、その芯の部分には何があるかといったら、やっぱりアートだと思います。

 芸術と謳って、どこにも迎合しない作品だとしても、お客さんからお金をいただく以上、やはりエンターテインメントの部分は必要なわけじゃないですか。無の空間を2時間見せてお金をいただくわけにはいかない。今までエンタメにフォーカスしてきたのは、みんなが入って来やすいんじゃないかというところからでした。あれもこれも楽しんでくれたお客さんにこそ、この『砂の城』の良さを知ってほしい。そうすることで、初めて自分のやりたいことは完結するのかなと思っています。

 僕はエンタメ作品において言えば、劇場を出た瞬間、正直忘れてもらっても構わないんです。その2時間がただハッピーなものであればそれでいい。それだけは絶対提供するという約束をすると、エンタメを作り続けてきました。ただ、芸術の一番いいところはずっと見ていることももちろんできるけれど、一度作品と出会ってしまったら、心の中にずっとあり続けることなんです。僕はゴッホの絵がすごく好きなんですけど、彼の作品はネットや教科書などで見ていたはずなのに、本物を見た時に衝撃を受けました。この人は宇宙人か超能力者なんじゃないかと思ったぐらい。本物の芸術は死ぬまで心に残り続けるんですよね。そこでまた考えるわけです。彼は何を表現したくて、筆を執ったんだろうって。

――思考みたいなものですね。

 自己が他者に受け入れられる瞬間と言いますか、そこを考えることも芸術のゴールだと感じています。大衆に迎合しろというわけではないけれど、お客さんに見せるという前提は必要で、この2つが合体したものを作るのが僕の夢であり、理想であり、そして演劇の未来だと思っています。

――池田さんは脚本家・演出家として、演者の方にはどういうことを求めていますか。

 今回やりたいことは、ちゃんと戯曲を読み解くというものです。例えばなぜ二人はこの関係性であるのか、この時なぜこのセリフを言ったのか、ということをちゃんと細分化して、ひとつずつみんなで共有しながら、作品を前に進めていきたいと思っています。例えばこの時はどういう感情だったのかと、もし聞いてもらえるなら、この気持ちに至った経緯の話をしたいんです。

アートというものは、どんなものとも戦える手段

村上順一

池田純矢

――今回、池田さんがインスピレーション受けた作品はあったのでしょうか。

 イスラエルにセルゲイ・ポルーニンという元バレエダンサーの方がいて、そのセルゲイがプリンシパルを辞めて、その後コンテンポラリーダンスに転向したんです。そのコンテンポラリーに転向してから日本公演を行ったのですが、彼は全身に文字を書いて、裸のような状態で破滅的な踊りを見せてくれました。今回、彼の生きざまの部分は、多分に影響を受けているかもしれないです。即興音楽舞踏劇というものに関して、彼の踊りというのは閃きの一つでした。

――即興とタイトルに付いているところを見ると、ちょっとジャズ的要素も?

 クラシックバレエから発生して全てがアドリブになっていくというものですので、ジャンルに捉われない表現になる可能性はあります。

――では、「本作のみどころは?」と聞かれた場合、いま池田さんどう答えますか。

 みどころはもちろん全部なのですが、常に流動的に変化していくものだから、どこがみどころになるのか自分でもわからないんですよ。「このシーンがみどころです」と、いま話したところで、そのシーンよりももっと爆発的にいい瞬間は日々生まれるかもしれないし、変わるかもしれない。そういう作品だからシーンとしてのみどころをお伝えできない(笑)。それは毎回変わると思っているので、できれば2回見ていただきたいです。1回目は純粋に作品を受け取って、2回目を見た時に、「こんなにも違うんだ」と衝撃を受けてもらえると思います。

――『砂の城』というタイトルは、どんな想いが込められているんですか。

 複合的な意味があるんですけど、主人公のテオを象徴するものです。舞台を観ていただければ、心のありようというか、言葉での言及は一切してないけど、彼が『砂の城』という比喩にふさわしい人物だと思っていただけるんじゃないかなと思います。

――「僕らは、間違いを犯したー。」とキャッチコピーがあります。池田さんが間違いを犯したことは?

 いっぱいありますよ。今作は選択を間違えた人たちが物語の登場人物になっています。自分も間違いというのはありますし、その経験がこの物語の核の部分になっています。自分は成功するか失敗するか、そんなことを考えている暇があったら行動した方が早いと思っていますが、もし間違えたり、失敗してしまった時は、命かけて謝ればいいと思っています。

――最後にこの舞台を楽しみにしている方へメッセージをお願いします。

 僕は戦争に勝てる唯一の武器はアートだと思っています。国を変えることも、大衆を動かすことも戦争を止めることも、暴力では何も解決しない。でも、アートというものは、どんなものとも戦える手段なんだと僕は思っているんです。

 劇作家のつかこうへいさんは、学生運動やプロパガンダというものに、すごく心を燃やしていました。その闘う方法がペンだったということだと思うんですけど、いろんな人の根源にあるものって、後悔や憎しみ、怒りや反発、そういうものが原動力になっている。もちろんハッピーな出来事も原動力にはなるんだけれど、本当に人間の一番奥深くにあるものを芸術として描こうとしたら、負の感情じゃないと描けない部分があると思っています。この物語は僕にとっても一番の過ちであり、でもそれを芸術という形に変えることによって物語に昇華して、自分の中で終わらせたいんです。

 僕の中で突き詰めて、それをアートにしてお客さんに届ける前提で作っているものだから、門前払いはしないし、敷居も高くはしない。なので、観に来てくれる方たち皆さんを歓迎します。だけど、ここにあるものはすごくソリッドで、尖っていて危ないものだから気をつけてね、ということは伝えたいのですが、芸術も全てエンタメの一部でしかないと思っているので、これもエンターテインメントなんだと受け止めてもらえたら嬉しいです。

(おわり)

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