シンガーソングライターの山野ミナが12月1日、デジタルシングル「X’mas day in the next life/山野ミナ feat. 高橋幸宏」を配信限定リリースした。山野は2010年より関西のジャズハウス中心にジャズ・ボサノヴァなど歌い、ライブ活動を開始。2011年2月11日WBC世界タイトルマッチ井岡一翔VSオーレドン・シッサマーチャイ(TBS中継)で日本国国歌『君が代』を独唱した。ボサノヴァ歌手である従兄弟のヒガシノリュウイチロウ氏の影響でブラジル音楽に興味を持ち、サンバやMPB、ボサノヴァなどブラジル音楽を本格的に歌い始める。2014年にボサノヴァアルバム『Brasilian Groove featuring MinaYamano』にゲストボーカルとして参加。2017年には1stフルアルバム『My Treasure』を自主リリースし、2021年8月に高橋幸宏がプロデュースしたアルバム『L’ATELIER アトリエ』をリリースしたのも記憶に新しい。
今回リリースされた「X’mas day in the next life」は、高橋が90年にシングルとしてリリースしたクリスマスソングを山野がカバー。今回配信リリースされる同曲に高橋もコーラスとアレンジで参加している。MusicVoiceではメールインタビューを実施。山野が歌うことで、また違った情景を映し出す一曲となった今作の制作背景から、クリスマスの思い出まで多岐に亘り、高橋と山野の2人に回答してもらった。【取材=村上順一】
うんと哀しいクリスマス・ソングを作ってやろう
――お2人は2021年を振り返って、どんな1年でしたか。
高橋幸宏 ご承知の通り闘病中の身なもので、できるだけ早くけりをつけたいと思い続けてきましたが、なかなかそう簡単に治ってくれませんね。とはいえ、ただ休んでいただけではなく、やれる範囲の仕事はやっていこうということで、それぞれの仕事に向き合っていくことで、自分の励みにしてきたところもあります。山野さんとのレコーディングもそのひとつです。
山野ミナ 10年以上歌を歌ってきて今年メジャーという節目を迎えることができました。でもこれは通過点に過ぎず、ここからがアーティストとして本当の勝負だと身の締まる思いでおります。
――高橋さんは90年代当時「X’mas day in the next life」を制作していた時は、どんなことを考えられて作られましたか。作ったきっかけなど当時のエピソードをお聞かせ下さい。
高橋幸宏 ちょうどバブルが終わる頃だったと思います。当時、クリスマスというと若いカップルがホテルのスィートを押さえ、高価なプレゼントを交換するといった、あまり気持ちの良くない風潮が一部にはあって、そういう浮かれたクリスマスの対極にあるような、うんと哀しいクリスマス・ソングを作ってやろうと思ったのがきっかけでした。クリスマス本来の意味なんて何も考えずにバカ騒ぎする日本人に対する批難の意味もありましたね。そして、1990年夏に勃発した湾岸戦争。これもまた、大きなきっかけになっています。
――最新の「X’mas day in the next life」が完成して、どのような一曲になったと感じていますか。
高橋幸宏 スケジュールの都合などもあり、最後のミックスまで立ち会えなかったのが残念です。もう少しポップな方向に持って行けたら良かったかな、というところはあります。
山野ミナ 決してハッピーなクリスマスソングではないけれど、今この時代にも相応しいクリスマスソングになったんではないかなと思います。
――「X’mas day in the next life」の歌詞は鈴木慶一さんが書かれていますが、高橋さんは鈴木さんのどんな一面、特徴が出た歌詞だと感じていますか。
高橋幸宏 慶一くんに歌詞の依頼をすると、彼は打合せという名目でじっくりと僕の考えをインタヴューするんです。少しばかりお酒なんか飲みながら。直接的な詞の内容はもちろんですが、僕の最近のお気に入りの音楽や好きな映画、プライヴェートなことに至るまで聞いてきて。で、それをしっかり飲み込んだ上で、「幸宏のことば」として詞に仕上げてくれる。この曲もまた、彼のそういう優れた力によってできていると思います。
――山野さんはこの「X’mas day in the next life」を聴いて、どんな想いが湧きましたか。併せて気に入っている歌詞やフレーズがありましたら教えて下さい。
山野ミナ <来年のこの日を共にすることはない>というフレーズです。Next Lifeが本当にあるのかどうかわかりませんし、また会える保証なんてないですしそう言い切られてしまった、この言葉が胸に刺さっています。だからこそ大切な人にはしっかり愛と感謝を日々伝えて、寄り添っていたいと思いました。
――山野さんはこの曲を歌唱するにあたって、どのようなことを意識、イメージしてレコーディングに臨みましたか。
山野ミナ アレンジがボサノヴァがベースになっていますので、自分がボサノヴァを歌っていたときの歌唱を意識しました。極力テンションをかけない歌唱です。
――高橋さんがアレンジ面で特にこだわったところはどこでしょうか。
高橋幸宏 トータルでは伊藤ゴローさんがサウンド・プロデュースを務められています。僕は少しですがそこにポップスのテイストをということで、フィンガー・クラップやスレイ・ベルなど、いくつかの音を加えています。
――演奏には素晴らしいミュージシャンの方々が参加されていますが、山野さんはこの演奏を聴いて感じたことがあればご回答お願いします。
山野ミナ 伊藤ゴローさんのボサノヴァ+幸宏さんにポップな要素を取り入れていただき、今までの私の音楽ルーツとか方向性にもピッタリなアレンジになったと思いました。正直、クリスマスソングって今まで苦手だったのであまり歌ってこなかったんです、なんか自分が歌う使命感を感じなくて。ずっと私にしか歌えないクリスマスソングが欲しかったので嬉しいです。これから末永く歌わせていただきます。
――高橋さんは今回の「X’mas day in the next life」で山野さんのどのような部分を引き出そうと思いましたか。
高橋幸宏 彼女のヴォーカルの独特なクセ、それが魅力的であったりもするのですが、今回はいったんそれをやめて、ナチュラルなものにしてみてはどうかと考えました。
――山野さんはアルバム「L’ATELIER アトリエ」の時にも高橋さんの楽曲をカバーされていますが、高橋さんの楽曲の魅力、凄みはどこにあると思いますか。
山野ミナ 色々あるんですけど、1番凄いと思うのは、何年経っても古くならないところです。
印象的なクリスマスの思い出とは
――お二人、それぞれ印象的だったクリスマスの思い出を教えて下さい。
高橋幸宏 幼い頃、クリスマス・プレゼントを親におねだりして、マテル社のウィンチェスター銃を買ってもらったことがあります。これは当時大人気だったアメリカのテレビ・ドラマ「拳銃無宿」の主人公、ジョシュ・ランダルが持っていたもの。演じていたのはスティーブ・マックイーン。親と一緒にアメ横まで買いに行ったのを覚えています。我が家では、クリスマス・イブ当日まで、そのプレゼントを(兄や姉たちのものも含めて)床の間においておくというのが恒例になっていました。包装を開けるのは当日までのお楽しみというわけです。
しかし、幼い僕はそれが待ちきれなかった。前日の夜中、みんなが寝静まるのを待って、こっそりと床の間に行き、封を開けてしまった。欲しくてたまらなかった銃を手にする嬉しさでいっぱい……と、そこでうっかり手を滑らして銃を落としてしまいました。ボディにははっきりとわかるヒビが……。仕方ありません。できるだけ元通りの状態になるように箱に入れ、包み直して自分の部屋に戻りました。翌日。クリスマス・パーティーが始まっても内心はずっと憂鬱です。プレゼントを開ける時間がやってきました。最高な時間のはずですが、最悪な気分で封を開けました。すると……なんということでしょう。そこにはヒビどころかわずかな傷もない新品のウィンチェスター銃があったのです!
今思えば、しょせん子供のやることですから、包装をし直したところできっと雑なものだったのでしょう。落とした時の衝撃音で何が起きたか、とわかっていたのかも知れません。でも、そんなことはおくびにも出さず、約束を破って壊したことをとがめるでもなく、ふたたび上野まで行って買ってきたであろう新品にそっと入れ替えておいてくれた、(たぶん)母のはからいに、感謝の気持ちでいっぱいになった夜でした。その気持ちは、今も変わることはありません。
山野ミナ 子供のころは毎年ツリーを飾って、ケンタッキーのパーティバーレルとクリスマスケーキを買ってきて家族みんなで仲良く楽しく過ごしました。本当に温かくて優しい思い出です。私は普段、過去を振り返って"あの頃に戻りたい"とか全く思わない人間なんですけど、今あの日々を思い出すと涙が出るほど恋しいです。生まれて初めて”あの日に帰りたい”って思ったかもしれません。
――お二人はクリスマスソングでフェイバリットにしているものはありますか。その曲が気に入っているポイントなどもあれば教えて下さい。
高橋幸宏 「Winter Wonderland」Ringo Starr
大人のようにしっとりしているわけではなく、子供のようにハッピーすぎるところもなく、遊び心があって、楽しいカヴァーです。
山野ミナ 「The Christmas song」Mel Torme
この曲は定番でいろんな方が歌っていますけど、メルトーメ本人が歌っているものが一番好きです。特に彼の晩年の歌は、とってもふくよかで包容力があって包み込まれるようです。
――それぞれ、今お2人が追求していることはどんなことですか。
高橋幸宏 これまでどこにもないジャンルの音楽を、自分自身のソロやプロデュース・ワーク問わず、作り上げたいと思っています。
山野ミナ 自分の音楽を確立させていきたいです。よく「ジャンルは何?」とか聞かれるといつも説明に困るので、山野ミナ!って言えば、すぐどんな音楽かを分かってもらえるようになれたらいいなと思います。
――2022年に向けて考えていること、展望などお聞かせください。
高橋幸宏 体調を戻して、レコーディングやライブ、やりたいですね。
山野ミナ 今年はコロナの影響があって思うように活動できなかったので、来年はもっとアグレッシブに活動していきたいです。そして、秘かな夢である女優、演じるという表現方法を少しずつ自分に取り入れていきたいです。
(おわり)
山野ミナ プロフィール
シンガーソングライター 大阪出身 大阪芸術大学美術学科卒業
ジャズレコードコレクターで絵画や彫刻品などのコレクターでもある父を持つ。幼少の頃から自然とジャズやアートに触れてきた。大学4年間では美術を学び油絵を描いていたが、在学中に出会ったミュージカルの舞台に衝撃を受け、舞台の世界を志すようになる。ミュージカルの養成所で歌やダンス、芝居を習い数々の舞台経験を経て、2010年より関西のジャズハウス中心にジャズ・ボサノヴァなど歌い、ライブ活動を開始。2011年2月11日WBC世界タイトルマッチ井岡一翔VSオーレドン・シッサマーチャイ(TBS中継)にて日本国国歌『君が代』を独唱した。ボサノヴァ歌手である従兄弟のヒガシノリュウイチロウ氏の影響でブラジル音楽に興味を持ち、サンバやMPB、ボサノヴァなどブラジル音楽を本格的に歌い始める。2014年にはボサノヴァアルバム『Brasilian Groove featuring MinaYamano』にゲストボーカルとして参加し、独特な歌声と正確な発音で好評を得た。2016年、ギタリスト平岡遊一郎氏をサウンドプロデューサーとして迎え、 自己の1stミニアルバム『VIROU AREIA』を発表。軽やかで少し哀愁の漂う唯一無二の歌声で聴かせる。2017年6月、自身の日本語オリジナル曲をキーボーディスト・ピアニストの安部潤プロデュース、世界のジャズシーンで活躍するデンマークのジャズベーシスト・Chris Minh Dokyのオーガナイズにより、コペンハーゲン録音にてデンマークのミュージシャン達とのコラボレーションした1stフルアルバム『My Treasure』を2018年9月にDVD付き限定盤を自主リリース。2020年1月には全国流通盤として『My Treasure~New Edition~』をリリース。また2017年より画家としての活動も再開し、銀座のギャラリーカメリアでの初の個展を開催。2020年には小伝馬町Roonee 247 Fine Arts、代官山MONKEY GALLERYで開催。日本人離れした独特の色彩感覚と音楽的なタッチには定評がある。
■山野ミナ 日本コロムビア公式サイト https://columbia.jp/artist-info/yamanomina/
YUKIHIRO TAKAHASHI / 高橋幸宏プロフィール
1952年東京生まれ。
16歳の頃からスタジオ・ミュージシャンとしてプロの活動を初め、1972年、加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドに参加。1974年発表のセカンド・アルバム『黒船』は、プロデューサーにクリス・トーマスを迎え、欧米でもリリースされた。また、1975年には、全英ツアーを行うところまでに至ったが、帰国後、解散。
1978年、細野晴臣、坂本龍一とともにYellow Magic Orchestra(YMO)を結成。2度のワールド・ツアーとライブ盤を含む6枚のアルバムを残し、内外の音楽ファン、そして広い意味でのクリエイターに多大な影響を残して、1983年末、散開。その後、1993年の一時期再活動をし、2000年代に入ってからは不定期にライブを中心とした活動を続けている。
ソロとしては、1978年の1st.アルバム『Saravah!』以来、2018年リリースの『Saravah Saravah!』まで通算24枚のオリジナル・アルバムを発表している。この『Saravah Saravah!』は、自身のソロ活動40周年を記念し、1st.アルバム『Saravah!』のヴォーカルをリテイクし、ミックスダウン&マスタリングを新たに施したものである。
ソロ活動と併行して、バンド、ユニット活動も盛んに行なっており、1981年スタートの鈴木慶一(ムーンライダーズ)とのTHE BEATNIKSや、元JAPANのスティーブ・ジャンセンとのPULSE(1997)、細野晴臣と組んだSKETCH SHOW(2001)、原田知世や高野寛、高田漣らとのpupa(2008)、元スマッシング・パンプキンズのJames Iha、Curly GiraffeらとのIn Phase(2012)、そして2014年には、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とともにMETAFIVEを結成している。もともと、一夜限りのスペシャル・セッションとして集まったMETAFIVEだが、その模様を収録した2014年のライブ・アルバム、次いで2016年のオリジナル・フルアルバム、ミニ・アルバムをリリース。2021年には、5年ぶりの新作となる2nd.アルバム「METAATEM」を発表。
2008年より、東京・夢の島にて開催の音楽野外フェスティバル 『WORLD HAPPINESS』のキュレーターを務めた。このフェスティバルは10回に渡って連続開催されたが、2019年には青森県八戸市でスピン・アウトのスペシャル・イベントとして開催された。
音楽家としての顔を持つ一方、Bricks、Bricks-Mono、YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTIONという自身のブランドを持っていたほどに、ファッションについての造詣も深い。YMO代表的なアイコンとして知られる赤い“人民服”も高橋のデザインによるものである。また、ファッション・デザイナー、山本耀司との親交も深く、1980年代後期からおよそ10年に渡って、不定期ながらYohji Yamamotoのパリ・コレクション用の音楽を手がけた。2020年には、ALCANTARA × LANVIN COLLECTION / LANVIN en BleuAUTUMN/WINTER 2020-21 SPECIAL CAPSULE COLLECTIONの音楽を務めた。
趣味はもっぱら釣り。海の磯釣り、川のフライ・フィッシング、ともに長いキャリアを持つ。