高校在学中にメジャーデビューもバンド解散でインディーズに。初めて経験する下積み活動。ファンの支えがあって再び事務所と契約を交わしたDraft King(撮影・編集部)
Draft King インタビュー
元ステレオポニーのメンバーが中心となって結成したガールズロックバンドのDraft King(ドラフトキング)が先日、大手芸能事務所のサンミュージックと所属契約を交わしたことがニュースとなった。元ステポニのリーダー兼ベースのNOHANAとドラマーのSHIHO、そしてサポートを行っていたギターのMAOの3人。ここにボーカルのericaが加わった。NOHANAとSHIHOはステポニとして高校在学中にメジャーデビュー。人気を集めながらも突如の解散。栄光を極めたメジャーシーンを後に、自らインディーズシーンへと投じた。自信はあった。ステポニ時代のファンがついて来てくれるだろうとも思った。しかし甘い考えは初のライブで砕かれた。観客は10人も満たない…。挫けそうにもなった。それでも前を向いて歩いてこれた。ファンの存在が支えになったからだ。ステポニ解散からDraft Kingとしての下積み活動。インタビューでは当時の心境や今の思いなどを語って頂きました。【聞き手・紀村了】
ステポニ解散から間もなくして新バンド、踏み切れた理由
――7月に発売されたDraft Kingの楽曲を聴かせて頂きました。第一印象は「かっこいい」。楽曲作りに影響されているものはありますか
MAO 作曲は私がしていて。アマチュア時代はずっとELLEGARDENの楽曲をコピーしていて。メンバーの生形真一さんが凄くて。ギターも作曲に関しても憧れています。私は、間奏でいきなりおかしなフレーズになるトリッキーなフレーズを作るのが好きで、よく入れていますね。
SHIHO 基本的にMAOは、曲を作ってきたのを「好きなようにやって下さい」というタイプなので、スタジオで弾いて「ああじゃない、こうじゃない」とやっていく感じ。最初に持ってきた音源とだいぶ変わっているものもあります。
――ステレオポニーとして活躍されていました。2012年8月に活動休止して翌月9月に解散を発表。当時はどのような心境でしたか
SHIHO 夏の時点では正直、解散とは思っていなかったので、こういう結果になったときは自分自身も気持ちの整理がつかなかったんですけど…まあなんか、あまりマイナスな気持ちはなかったんですね。その時は。バンドは解散するけど音楽を辞めるわけじゃないから、という気持ちが強かった。
NOHANA SHIHOが言うように解散するとは思っていなくて。解散が悲しくなかったと言えば嘘になるけど、それがあったからこうやって新しいバンドが出来て。また進めているので、まあ、ある意味いいきっかけになったのかな、人生の。前向きな決断でしたね。
――2012年12月の解散から翌月には新バンドでライブ。前向きな気持ちがあったからこそ次のステップにスムーズにいけましたか
SHIHO そうですね。なんか、あまり止まりたくなかった。次に早く行きたかった。止まっている自分たちをあまり想像できなかったというのもあるし、動き続けたいし、動き続けなきゃいけないという気持ちもあって。結構、割と早い段階でボーカル探しをしていて。たぶんそこで1カ月、2カ月何もしていない期間があったらこういうバンドは組めていなかったと思うし。自分の気持ち的にも置いてかれちゃうところがあったと思う。NOHANAと一緒になって新しいバンド活動のために色々したり、ボーカルを探したり、やっている期間が良い感じだったので、気持ち的にもイキイキしていました。
海外留学で得たもの
――2012年8月のステポニ活動休止期間中はお二人とも海外に留学されていました。どのような生活を送っていましたか
SHIHO ステポニとしてもレコーディングだったり、ツアーだったりで色々と海外は回らせて頂いてたんですけど、8月の1カ月の留学の時は、ロスに行って。レコーディングとかもツアーとかもずっとロスとかその辺を回らせて頂いていたんで、すごくその土地が気に入っていて。1カ月の語学留学という体で現地の風を感じていました。
――海外での生活で変わったことは
SHIHO むこうではライブを観に行ったりもしていました。言葉も何も通じないけど意外と生きていけるんだなって思いましたね。基本1人だったんですけど。どこかの国籍の人とルームシェアしていました。基本的にいろんなところに行くと、これだけの器だったからこれしか入らないけど、器が大きくなれば一杯入るって気持ちになる。沖縄(出身地)にいた頃って沖縄は沖縄ですごくいいんですけど、なんか息苦しいというか、そいういう感じがあって。それで東京来たら東京ってすごいデカいなって。そして海外に行ったら逆に東京は小さいんだなって。気持ち的に大きくなれたような気になっちゃう。
――NOHANAさんも海外留学されていましたよね
NOHANA 私は韓国に行っていました。皆からなんで韓国なのってすごく言われるんだけど、単純に好きというのがあって。ボーカルが休んで、私たちが同じように休むような事はしたくなくて、何かしらしようと思って海外に行ったんですけど。私はバンドやってるんですけど、すごくダンスが好きで、韓国でダンス留学をしていました。でもそれを言うとみんなから「なんで?」と言われるんですけど、でも自分でも、なんだろ、「バンドのために」というよりは、自分が楽しく、自分の人生に影響を得られたらなって思って。大きい気持ちで考えていた。戻ってきてライブした時にローディーの方にリズムの取り方がバンドじゃなく、いい意味でリズム感がすごく良くなっていると言われて。それで「ダンスしていた」と言ったらそれが影響してるんじゃないのと言われて、意外と役に立ってるんだな、って。
――1カ月の海外生活で心境に変化は
NOHANA 独りで全く言葉の通じないところに行く事は自分自身がすごく強くなった気がしますね。ソウルに居ましたが転々としていました。ダンススクールに通いながら言葉を覚えたりして、精神的に強くなった気がします。技術がどうこうというよりも。今までステレオポニーとして突っ走ってきて、そういう時間って絶対になかったので、その時にできなかったことがやれた。
――海外生活を終えて間もなくして解散を発表しました
NOHANA 海外生活で精神的な部分が強くなった。だから解散という言葉を聞いて、前に進むために受け入れられたのかもしれない。
MAO、そしてericaとの出会い
――MAOさんはサポートギターとして1年間参加されていました。新しいバンドをやろうと二人が誘った?
NOHANA、SHIHO ……(無言)
MAO なにか返事を(焦り)
SHIHO 一緒にやりたいという顔をしていたんで(笑い)
SHIHO 駅前のケンタッキーに呼び出して、ステレオポニー解散するから二人でバンドやろうと思うんだけどって誘って。MAOはいいなって思っていたので。
――サポートをやっていて映ったSHIHOさんとNOHANAさんの姿は?
MAO 「プロ」というのはすごく感じていましたね。
NOHANA サポート時代に一週間に21曲覚えて来て、というのを言ってきたので、バンドとして与えてきた課題はすごいストイックだったと思う。
――MAOさん、二人から学んだものは?
MAO 技術面だけじゃなくて見せ方も凄く勉強になったし、最初はすごいガッチガチで動けなかった。そういうところも昔よりは動けるようになったと思います。
――ericaさんとはオーディションで出会った?
NOHANA erica自身は知り合いのスタッフさんからの紹介されたんですけど、ericaに出会うまでは沢山オーディションもしたし、自分たちが専門学校に行って探しに行ったりとか、ライブハウスに行ったりと。ボーカル探しが一番大変で、すごい時間をかけて探した時にericaと出会って。でも、すぐには決めたくなかったので、何度もスタジオに入ってもらって、私たちの音で歌ってもらって、で、ericaですごくバンドがかっこよくなる、と思ったので決めました。
――ericaさん、最初にメンバーと出会った印象は
erica 私自身、バンド経験がなかったので、初めてこういうスタジオに入ったときは怖かったです。
erica でも皆さんがすごく優しい笑顔で、演奏されて、そこで気持ち良く歌わさせて頂いて、このバンドでやれたら幸せだなと思いました。
NOHANA 最初に出会った時から楽しく歌う子だなって。マイペースで自由な子なんですよ。こっちから見て緊張しているようには見えなかった。自由だなこの子って。
――自由さはライブでも発揮している?
NOHANA そうですね。パフォーマンスにも出てるんじゃないかなって思いますね。
初めての下積み活動
――Draft Kingとして2013年1月に行った最初のライブは10人も満たなかったと
全員 少なかったですね。
SHIHO 正直もう少し入るんじゃないかなって己惚れてたところはありました。でも良い刺激になりました。
――生活を稼ぐためにバイトも経験していると。バイトは今もやっていますか
SHIHO やっています。私は夜中までやっているレストランバーで。お酒が好きなので、どうせならお酒関係の仕事がないかなって探していたらなかなかいい店があったので。
――ちなみに酒は何が好き?
SHIHO うまければ何でも。とりあえずビールから。焼酎行くときもあれば、ワイン、テキーラを引っかけることもあります。
NOHANA ひどいんですよ。お酒飲み過ぎて。
――酒を飲むとどうなる?
NOHANA うざいです(笑い)。
――酒の席では音楽の話になる?
SHIHO 音楽の話は全くしないですよ。ゲラゲラ笑っている。すごい絡む。でも怒鳴り散らしたりはしないよね。
NOHANA それはしないかな。
SHIHO すごい熱い話をするらしんですよ。同じように酔っ払ってくれる人がいると凄いまじめですごい熱くてすごいいい話をするみたいなんですけど、9.5割覚えていないですよ。翌日起きるとなんかいい話したけど…まあいいかって。
――酔って後悔はしない?
SHIHO 後悔はしないですね
NOHANA 後悔だらけでしょ(笑い)
SHIHO それはね(笑い)
――沖縄名物の泡盛も嗜む?
SHIHO 飲みますね。家に泡盛があって。実家帰った時に自分用に買っておいて後で送ってもらう。
――じゃあアメリカにいるときも?
SHIHO アメリカに居る時の方がひどかったですよ。朝からビール飲んで、ビール飲みながら学校言ってました(笑い)。
NOHANA あははじゃないよ。ひどいよそれ。
SHIHO アメリカに居る時は毎日飲んでましたね。安いんですよ。ビールもワインも。まとめて4、5本買って。よしって朝からビールを飲んで気合を入れて、学校から帰って来てワインを飲んで、そのあとスタジオにいって。でもちゃんと勉強しましたよ。
――バイトがあって練習に励めない時もあるとか
SHIHO 基本練習はバイトと被らないように設定はしてるけど、でもいきなりいろんな仕事を頂いたりする場合もあるので、バイト先の皆さんには迷惑をかけている。それでも応援してくれて、温かい人の協力もあってうまくやれています。
メジャーとのギャップ
――バイトやりながらの活動が約2年。メジャーとのギャップはありますか
SHIHO ギャップはありますね。最初はプライドも一応はあったので。バイトしなきゃ食っていけないし、生きていけないし、何も出来ないから、とりあえず働こうってバイトを探したんですけど…。なんか…。メジャーの頃は音楽のことばかりを考えていられたけど、そういう…それだけで幸せだったんだなって、なんか、そうナイーブな気持ちでした。
――葛藤はありましたか
SHIHO 葛藤は…ちょっとナイーブになるぐらいで。ステポニ時代ってなにも分からなかったから。右も左も分からないクソガキの時にポンって出てとにかくがむしゃらにやらなきゃって。バンドマン生活というか、自分たちで働いて、バイトして、スタジオいって、ライブして、自分たちが運転して、どっか行ってみたいな事を全く経験していなくて。正直ほかの一緒に走ってきている仲間のバンドマンとかはちゃんとそういう土台があって。そういう人たちとどこか違うなって思うところがあったので。今、そういう経験ができているのはそれはそれですごく大事なことだと思っているし、良い経験をさせてもらえているな、いいタイミングだったんじゃないかなって。
――気持ち的に落ち込むことはなかった?
SHIHO 朝から晩まで働いて。2つぐらいかけもちしている時期もあったので、本職ってなんだったんだろうって思う時も正直ありましたね。
――それでも2013年8月に行ったeggmanでのライブは150人が集まりました
SHIHO こんなに集まってくれたんだって本当に嬉しかった。結成して半年の時期だったので、半年でeggmanでワンマンやれるって本当に幸せだなって。すごく嬉しかった。
NOHANA 嬉しかったですね。嬉しかったのですごい達成感があって。自分たちでインディーズになったので、マネージャーもいないし、全て自分自身でやらないといけないし。本当は家で発狂するぐらい、色々と追われていた。それをやっぱりお客さんが来てくれて、ワンマンを成功したとなると、頑張りが認められたというか。続けて良かったなって思ったし、まだまだ大きなところに行きたいなという希望も持てましたね。
――3人はバイトしてました。NOHANAさんは?
NOHANA 裏方業です。すごくやっていた。マネージャーみたいな事をやってました。ホームページの管理とか、いろいろやってた。
SHIHO 細かいことを言うとホテルの手配とか車の手配。本当に全般やってもらってましたね
――3人が働いている分、バンドのフォローを
NOHANA バンドのことは任せてもらって。衣装のことも考えたり。洋服を考えるのは好きなんですけど、探し回っているときにふと思うことがあった。私スタリストかな…って疑問に。
観客10人→400人、結成1年で残した宝
――そのようななかで気持ちを落とさずに高められたのはなぜ
SHIHO でもバンドやっているというのがモチベーションでしたね。ライブやってお客さんの顔を見れて、そういう空間にいるということだけで頑張って来れた。
――8月のワンマン成功以降の客入りは?
SHIHO 徐々に増えていきました。初めて私たちを見た人から『初めてみたんだけど良かったよ』とか『また来たよ』とか言ってもらえて励みになった。
―その苦労は曲にも反映されていった?
MAO いや、そういうのはない。感じたものをただ音にしていったので。
NOHANA ライブが好きなので、ライブで盛り上がる音を常に考えています。
――それで今年3月にはクワトロでライブ。400人が集まりました
NOHANA まずクワトロでライブをやるってこと事態が大きなことで、箱も大きいし自分たちにもプレッシャーはあったんですけど。やれることだけのことはやったんですけど、開演するまで成功するか不安だった。やっぱりお客さんが集まってくれないと。満員だから成功だとは必ずしも思わないんですけど、大きな挑戦だったので、結構弱気になっていました。でもクワトロまでにすごいライブをしてきてやっぱり少しずつだけどファンの方がついて来てくれたんで、みんなが集まってくれたおかげで成功できた。やってきたことは間違ってなかったんだなって思って。泣きました。号泣してました。
――メジャーの時と比べファンに対する意識は変わった
SHIHO それはずっと一緒。変わっていません。来てくれていろんな声やメッセージとか手紙もそうだし、みんなの力があるから自分たちはこうやってライブができたり、ライブができたりしているので、本当に感謝の気持ちはずっと変わらずですね。
――6月に自主CDを発売しました。これまでとは異なる点は
NOHANA アレンジャーさんはつけていたので、それで今まで私たちが持っていなかった引き出しを開けてくれたので。色んな人の力を借りて出来たのかなって思う。ライブとCDは違うので、CDだから出来る音を作りましたね。キラキラっと。
再契約とその後
――それでサンミュージックと契約を交わしました
SHIHO 正直びっくりしました。単純に本当に嬉しかった。
――正直なところ契約話がなければずっとこういう状態が続くだろうという不安は
SHIHO どうなるか分からない状況だったので、本当に声がけ頂いたときは嬉しかった。
――12月17日東京・渋谷eggmanで単独ライブがあります。一言お願いします
erica すごく一人一人が意欲的だと思うので、一番私たちが楽しんで皆も楽しんでもらえたら最高だなって思っています。
NOHANA eggmanは私たちが一番ライブをしている会場なので想い入れが強いライブハウス。そこでソールドアウトした景色をみたいなと思っています。
SHIHO 楽しいだろうという光景しか見えていません。絶対楽しませる自信もあるし、すごい1日なると思っています。
MAO このバンドではeggmanでのワンマンは2回目。1回目とは違う成長したところを見せたいし、ソールドアウトした景色をみたい(笑い)上を想像させるようなワンマンライブにしたいです。
NOHANA 私の言葉を引用した…。
MAO すみません。カットしてもらっていいですか。パクちゃった(笑い)。