デビュー20周年を迎えたジャズボーカリストのShiho。2001年に日本人として初の米国のコンコードよりFried PrideのボーカリストとしてCDデビュー。類いまれなる歌唱力を武器に2016年12月のFried Pride活動終了(解散)まで、ブルーノートやビルボードライブを中心に多くのJazzイベントに出演。米国ブルーノート・ニューヨークなど海外でもライブ活動を積極的に行った。Fried Pride活動終了後はソロのジャズボーカリストとしてライブを中心に国内外で積極的に活動している。2019年には中洲ジャズナイト公式ソング「Happy Song」も収録した初のソロアルバム『A Vocalist』をセルフプロデュースでリリース。2021年10月に新曲「Music & Life」とアカペラ・コーラスユニットHAMOJINがフィーチャリング参加した「Happy Song feat. HAMOJIN」の2曲をリリースした。インタビューでは彼女の生い立ちから、ロックの精神をもちながらジャズと向き合う姿勢、“生きた音楽”を届けるライブへのこだわりなど、ジャズボーカリストShihoのアティテュードに迫った。【取材=村上順一】
就職難がきっかけでシンガーに
――YouTubeの配信を拝見していて思ったのですが、Shihoさんはご自身にすごく厳しいですよね?自己評価が低いと言いますか。
私は基本的にすごくネガティブな人間なんです。自己否定型と言いますか、目立ちたがり屋のくせに引っ込み思案なところが幼い頃からあったと思います。
――そんなShihoさんが歌手になろうと思ったきっかけは?
会社員になるのが普通だと思っていたので、一度も歌手になろうと思ったことはなくて。当時、就職難で就職出来なかったらなんです。私、学校に行ってなかったから、通っていた短大も留年しちゃって。
――当時、学校に行かずに何をされていたんですか?
学校が遠かったのでただ行きたくなかっただけなんです(笑)。それでまた1年間通わなくてはいけなくなってしまって、父にもすごく申し訳なかったなと。留年したことでさらに就職出来ないんじゃないかと思ったので、歌はずっと好きだったこともあり「歌手になる」と家族に話したらめちゃくちゃ怒られて。
――でも、Shihoさんの歌を聴いたらプロになった方がいいよ、とか周りから言われたりしません?
カラオケに行ってもちょっと褒められるくらいで、そんなことはなかったです。なので、自分の中で歌手になろうなんて思ったこともなくて。一握りの特別な人がなるものだと思っていたので、私にとって歌手になることは就職することからの逃げでした。
――何気なく言った言葉でどんどん歌手への道が開かれていって。どんな活動をされてきたのでしょうか?
まずは弾き語りでライブハウスに出演していたんですけど、ある時、対バンでプロの方が出演されていました。そのバンドのベーシストの方に私が年齢の割に渋い曲を歌っていたからか「面白いから一緒にやろうよ」と声を掛けていただいて。ギタリストがいなかったので、誘ったのがFried Prideのギターを担当していた横田明紀男でした。その時はみんなこれくらいギターは弾けるんだ、と思っていたんですけど、その後色んなギタリストとお仕事していく中で、彼がすごい人だということに気がついて(笑)。なので、出会う人にすごく恵まれて歌手の道に導いてもらった感覚があります。
――そもそもジャズに興味を持ったきっかけは?
小さい頃にクラシックピアノを習っていたんですけど、クラシックって楽譜通りに弾くじゃないですか。私はそれを無視して弾いたりしていたことがきっかけになりました。
――それ、めちゃくちゃ先生に怒られますよね?
普通は怒られると思うんですけど、私の先生はそれを面白いといってくださって。クラシックではあまり教えないと思うですけど、コードネームとかも教えてくれたり。それで先生からジャズを習った方がいいんじゃないかと勧めていただいて。
――素直に受け入れて。
めちゃくちゃ流されて生きているので(笑)。ジャズの歌を歌い始めたのも、ピアノでのアドリブが難しくて、悩んでいたんです。その時に教わっていたジャズピアノの先生に「歌ってみたら」といってもらえた事がきっかけでしたから。
初めて買ったレコードは「なめ猫」
――Shihoさんはジャズはもちろんなんですけど、ロックもすごいですよね。Fried Prideでカバーされていたジミ・ヘンドリクス の「パープルヘイズ」のアレンジもすごく格好よくて感動しました。
ありがとうございます。あのアレンジ、めちゃくちゃ苦労したので嬉しいです。もともと中学、高校の時にハードロックやメタルが好きでよく聴いていました。今でも自分の中の核になる部分はロックだと思っていて。なので、ロックの曲を歌っている時は開放される感覚がありますね。ライブでもモニターに足を掛けたりしちゃうんです。
――Shihoさんの歌からは外国のシンガーと同じパルスを感じさせてくれます。
家で洋楽が流れていたのも大きかったかもしれないですね。父はカントリーやウェスタンが好きでしたし、母はオールディーズ、ビートルズが好きだったので。でも、私が初めて買ったレコードは「なめ猫」でした(笑)。あとは、ピンク・レディーも好きでしたね。学校でアイドルが流行っていた時は、私はガンズ・アンド・ローゼズとかを聴いていたので、「みんな、子どもね」と思っていて(笑)。
――そのロック好きなところがFried Prideの時には結構出ていましたね。活動を終了してしまったのが惜しいです。
2人でやる事にやり切った感がありました。カバー曲をギターとボーカルでアレンジして、これ面白いでしょ? というのを皆さんに楽しんでもらっていたので、他のメンバーを入れてバンドでやるとかそういう感じでもなくて。なので、後半はもうネタがないといった感じでした。
――ソロになってからはどのような気持ちで活動されているんですか。
Fried Prideの時の延長線です。何かが大きく変わったというわけではなくて。ただソロというのを実感したのは2019年にソロアルバム『A Vocalist』をリリースした時です。セルフプロデュースでやったんですけど、何かを決断するのに自分一人で決めなければいけないという。
――なぜ、セルフプロデュースを?
特にプロデューサーを立てようという話もなかったです。たぶん、Fried Prideの時からセルフでやっていたから、自然とそうなったのかなと思います。でも、誰かに介入してもらっていたら居心地が悪かったかもしれないので大変でしたけど、一人でやって良かったと思います。
ライブはフリーマインドで来て欲しい
――10月にリリースされた「Music & Life」は中洲ジャズナイト公式ソングとして作られてボツになった曲みたいですね。
私の中では「いい曲が出来た!」と思っていたんですけどね。それで、作り直したのが「Happy Song」で。「Music & Life」はライブでは歌っていたんですけど、音源として形に残していなかったので、今回配信リリースの話が出てみんなに聴いてもらえるチャンスだと思いました。
――「Happy Song」の方がポップですよね。
たぶん、「Music & Life」はイントロがエモすぎだのかも知れないと思ったので、「Happy Song」はすごくキャッチーなイントロにしました。作詞はギラ(ジルカ)にお願いして、タイトルを先に伝えて書いてもらって。
――ギラさんの歌や歌詞は人生が滲み出てますよね。
彼女の書く歌詞が大好きなんです。一冊の本を読んだような気持ちになれる歌詞だなと思っています。
――そのギラさんは「Music & Life」を、ウェザー・リポートの「バードランド」のようだと形容されていましたね。
畏れ多いですけど、そう言っていただけて嬉しかったです。
――「Music & Life」のレコーディングはどんな感じでしたか。
今回、トリオはいつものメンバーなんですけど、サックスを田中邦和さんにお願いさせていただきました。この曲の中にチャーリー・パーカーの「コンファーメイション」と「ドナ・リー」という曲名が歌詞に出てくるんですけど、その歌詞を見た時に面白いなと思って、ソロのところでその2曲のフレーズをめちゃくちゃ高速で吹いてもらっています(笑)。そこは私も歌っているんですけど、気にせずに速く吹いてとお願いして。そうしたら邦和さんに「ボーカルの人にそんなことを言われたの初めて」と仰っていて(笑)。
――歌の邪魔になるかもしれないですからね(笑)。
しかも「コンファーメイション」と「ドナ・リー」のオリジナルキーのまま吹いてもらっているので、「Music & Life」のキーとは合っていないんです。あと、エンディングで私が「コンファーメイション」のメロディを口ずさんでいたりするのもポイントです。
――あの浮遊感はそういうことだったんですね! それにしても歌詞を見てその発想が出てくる事がすごいです。
やってはいけないことなんてないんですよね。ジャズのライブではあるんですけど、私はシャウトしたりもしますし(笑)。
――Shihoさんのコンセプトは破壊と再生?
Fried Prideの時からそうなんですけど、めちゃくちゃ壊して、それを再構築するというのがありました。特にカバーの場合は原曲より面白くてShihoが歌っているから良いよね、と言われなければ、カバーする意味がないと思うんです。
――スタンスがカッコいいですね。キーが違ってもいいというのも、最高にロックです。
精神性はロックかも知れないです。この前、八戸でライブをした時のことなんですけど、ドラムをレンタルしたのですが、バスドラムのサイズが18インチと22インチしかないと最初話していて。でも、当日行ったら20インチだったので、どうしようかドラマーに聞いたら、「これ良い音するから大丈夫」と。そこにツインペダルを持ち込んでツーバスのようにドコドコやっていたんですけど、私が物足りなくなって「やっぱり22インチにしたい」と伝えたら、ドラマーが「ボーカルにバスドラ大きくしろなんて言われたことない」と言っていて。
――ジャズは普通、バスドラの口径は小さいですから22インチは珍しいですよね。
サンバの曲でツインペダル踏みまくっていたんですけど、めちゃくちゃ盛り上がりました。ただ、ジャズのしっとり系を想像してくださってきていただいた方には、ちょっと違うのかも知れないですけど(笑)。
――Shihoさんのライブにはジャズの固定観念は持って行かない方がいいですね(笑)。
フリーマインドで来ていただくのが良いと思います。聴く側の方も色んなジャンルの音楽が好きだと思いますし、私もメタリカばかり聴いていた時期や、ジャズばかり聴いていた時もあったり。その中で一番好きなのはスティービー・ワンダーだったり、そういうのがミックスされて出てくるのも当たり前のことなんです。私の中で音楽はジャンルがあってないようなものだと思っています。
ハプニングもライブの醍醐味
――そんなShihoさんがこれからやってみたいことは?
近いところで言うと、オリジナル曲のみのアルバムをリリースしたいです。ユニットの時もオリジナルのみというアルバムはリリースしたことはなくて。当時のジャズはそういったところは閉鎖的だったなと思います。でも、今はリスナーの間口も広がったと思っています。カバーが入っている方が受け入れやすいかもしれないのですが、私の中ではオリジナル曲のみのアルバムは出す価値があると思っています。
――ハードロックアルバムの可能性も?
そこまで突飛ではないですよ(笑)。でも、面白いと思えればありですけど。以前、是方博邦さんにライブでギターを弾いていただいた事があったんですけど、「Over the Rainbow」を、ディストーションの効いたギターでガンガン弾いていて、それも良かったですし、今回の「Happy Song」も何か他のバージョンで出来ないのかとマネージャーから聞かれて、ハードロックバージョンという話も実は出ていたんですよ。でも、アカペラも面白いなと思って、今回参加していただいたHAMOJINは以前から知り合いだったので、お願いさせていただきました。
――アカペラのレコーディングはいかがでした?
歌だけでこんな事が出来るんだなと思いました。この曲はオリジナル曲なんですけど自分で歌うにはちょっと高いんです。それを男性の彼らがソロで1音ずつ上がっていこうぜ! と話していたり、テンポが上がるところも面白いからやってみよう、と言っていただけてありがたかったです。
――ちなみに今コラボしてみたい方とかいらっしゃいますか。
トータス松本さんです。トータスさんの声はすごく男らしい声質で、私には持っていないものが沢山あるので、一緒にジャズを歌ったらすごく面白いんじゃないかなと思っています。
――Shihoさんにとってのライブとは?
ジャズの楽曲をやる時に私は歌詞について細かく説明してから歌うんです。曲は知っていても歌詞の内容を知らない方もいますし、知っていても私の言葉で説明することで同じビジョンが見えると思っていて。
――ビジョンを共有するんですね。
そうです。説明する上でもしこの曲がこういうシチュエーションだったらどんなプレイになるのか、といったその日だけのバージョンというのをやってみたり。いきなりピアニストとかに「あなただったらこのシチュエーションでどう弾く?」みたいな(笑)。それを皆さんが面白いと言って下さっていて、お客さんとのコミュニケーションの一つとして大事にしています。音楽だけを楽しんでいただくのももちろん良いんですけど、トークも込みで楽しんでもらいたいなと思っていて。
――なかなかスリリングな瞬間ですね。
それもあって“Shiho被害者の会”というものがあると聞いたことがあります(笑)。ライブでムチャ振りされたとか、十何人はいるみたいで…。でも、その時のハプニングもライブの醍醐味だと思っていて、常にアンテナは張っていて、面白くなりそうだなと思ったら実行します。生きた音楽を感じてもらうためにやっているんですけど、すごく大事にしています。
――最後にShihoさんにとってのジャズとは?
それが、いまだにわからないんですよね。ただ言えることは、私の好きなスターたちがやっているもので、何年経っても憧れの音楽です!
(おわり)