INTERVIEW

天野はな×山西竜矢×前原滉

多面的な芝居に魅力。
『彼女来来』制作秘話


記者:木村武雄

写真:木村武雄

掲載:21年06月16日

読了時間:約10分

 劇作家・演出家としても評価を高める山西竜矢が初長編作品として脚本・監督を務めた映画『彼女来来』は、「ある日恋人が別人に入れ替わったら」をテーマにした恋愛作品。不条理な現象を通じて炙り出されるのは人間の本質で、どこか人間観察をしているかのようだ。山西の狙いとは何か。恋人が別人に入れ替わる不条理に翻弄されていく主人公・紀夫を演じた前原滉、そして、入れ替わった恋人・マリを演じた天野はな。この3人の鼎談で撮影を振り返ってもらった。【取材・撮影=木村武雄】

あらすじ

茉莉を演じる奈緒(右)と紀夫を演じる前原滉。『彼女来来』より

 ある日、彼女が別人になった。
 きえたマリ、あらわれたマリ――
 二人のマリに翻弄される男の葛藤を描いた、“奇妙かつリアルな”恋愛映画。

 都内郊外のキャスティング会社で働く男・佐田紀夫、30歳。彼は交際三年目になる恋人・田辺茉莉と、穏やかな毎日を送っていた。ある夏の日。紀夫が家に帰ると、窓から強い夕陽が差し込んでいた。焦げるようなその日差しを目にした瞬間、紀夫は奇妙な感覚に襲われる。気付くとそこにあるはずの茉莉の姿は無く、代わりに見知らぬ若い女がいた。困惑する紀夫に、女はここに住むために来た、と無茶苦茶なことを言う。透き通るような白い肌のその女は「マリ」と名乗り─突然失踪した恋人を探しながら、別人との奇妙な関係に迷い込んだ男を描く。

入れ替わった恋人・マリが生まれた背景

主人公・紀夫を演じる前原滉。『彼女来来』より

――テーマの着想はどういったところからですか?

山西竜矢 最初は、シンプルに恋人が別人に入れ替わったらという「if」を思いついて始まりました。物語全体の骨組は、僕は恋人に「君だけだよ」みたいな甘い言葉をかけてしまいがちなんですが、その都度の恋人に似たようなことを言っているなと気付いた時に、気持ち悪いなって(笑)。僕に限らず、結構こういうことあると思うんです。その時は本心で言っているけど、時間が経つと同じ言葉を平気で違う人に言っている。そういう人間の気味の悪さというか、どうしようもない残酷さを作品として組み立てたいなと。それで、恋人と別れて次の恋人と会うまでの期間がスポって無くなったらどういう話になるだろうと考えていって、今回の物語がまとまっていきました。

――キャラクター作りはどのようになさったんですか? 加えて、それを前原さんと天野さんに担ってもらった決め手は?

山西竜矢 僕の場合、設定が最初にあり、その物語を力強くするために適したキャラクターをと考えています。もちろん100%ではなく、人が先に思い浮かぶこともあるんですが、大きな物語が先にあってそこから人物が出てくることの方が多いです。今回は決して「人間って気持ち悪い」という事だけを言いたかったわけではなく、そういう仄暗(ほのぐら)い部分にもふれつつ、それを「しょうがない」「実際こうだよなあ」と語るようなストーリーにしたかったので、ちゃんと愛せる主人公がいいと思いました。心は移ろいでいくけど、葛藤もあって、観客が一定の感情移入が出来るキャラクターです。そのイメージに、前原君はぴったりだと思いました。

 マリの場合は、紀夫と対峙して物語を進める大切な要素なので、ある種、紀夫の目線からキャラクターを作っていました。紀夫にとって一番ややこしくて遠ざけられないあり方をして、どうやっても追い出せない。一緒に居続ける。だから、本人も演じるのが難しいキャラクターだったと思います。通常の人間とは違う理屈で動いているから、単純に感情の回路をつないでしまうと、矛盾が起きる。かといって、人間味が全くないものにはしたくなかったんです。紀夫を追い詰めるための存在でもあるけど、ちゃんと生きているものとして演出したかったので。そんな絶妙な、息遣いはあるけど奇妙でもある雰囲気を演じられる役者さんを思い浮かべたとき、昔から親交のあった天野さんならやってくれるんじゃないかと思ったんです。

紀夫を演じるなかで生まれた「迷い」

――前原さんは、「今まで癖のある役が多かったので一般的なキャラクターを演じるのが難しかった」と話されていますが、紀夫は、不条理な出来事以外は普通の男性ですよね。

前原滉 紀夫は自分に近い人間でしたので、分からなくなることがたくさんありました。分からないというのは「どういうふうに思っているんだろう」ではなく、今何をしているのか分からなくなるということです。撮っている内容もそうですが、ふと「何でマリをこんなに止めんのかな」とか、「なんでこんなに追い出そうとするのか」みたいな。根本的なところに立ち返る瞬間、迷子になる時が何回かありました。それを表に出すことは無いように冷静に淡々とやりました。

――マリを追い出しておきながら心配になっている描写がありますね。その迷いというのが所々に出ているように感じました。

前原滉 出していないつもりが、ちょっと滲み出ていていたかもしれないですね(笑)。でも意図していないです。癖のある役のときはだいたいのことは意図しているんですけど。でも、今となっては面白いですが、撮影しているときは分からなくなったり迷う時があったので、癖のある役をやっている時とは違いました。真逆な現象の気がします。

――この経験は今後、どう活かされていきますか。

前原滉 癖のある役をやっている時は、あまりその人物の葛藤みたいなものを考えることはなくて、どちらかというと主人公に対してそういう現象を起こす役というか、そういう状態にもっていく役回りだと思っています。例えば、悲しくさせたり、怒らせたり。主人公をそういう状況に陥らせるというか。でも紀夫みたいにバックボーンがしっかりしている役の時は、演じているなかで迷いがあってもいいんだなと思いました。それが良くない状態なんだと思わない。迷っていたり悩んだりする状態もそれに活きるだろうし。それを使おうというよりもその状態になったらその状態になったでとりあえず演じてみるのが大事なんだなと紀夫をやって感じました。

――それは主人公だからというのも関わってきますか?

前原滉 主人公だからというより、そういう人物だったからという感じだと思います。主人公と脇役の違いというのが、人の感情を受ける方が多いという事に関しては主人公のほうが特別なのかもしれないですけど。役者としてやる事としてはそんなに大きくは変らないです。感情や言葉をぶつけるかぶつけられるかという事に関してはそうだと思います。なので、紀夫がもし脇役だったとしても同じことだと思います。主役だろうが脇役だろうが、紀夫に近い人物の役を演じる時が来た時は迷いも含めそのまま演じていいだろうと。いろんな役をやるからこそ面白いですね。似たような人物でも演じる度に違うので。役得ですね。いろんなものをやれるというのは自分の強みでもあると思います。

――再確認したところもあったかもしれないですね。

前原滉 こういう役をやることがなかったからこそ見つけられたこともありました。

マリは「現象」、紀夫の感情・行動を引き出す人物

マリを演じる天野はな。『彼女来来』より

――天野さんは、監督も難しかったのではと言っていましたが、キャラクターをどう捉えてどう演じようと思いましたか。

天野はな 最初は自分の役を中心に台本を読んだので、監督が言うようにこういう気持ちでというアプローチは難しかったです。監督と相談したら「とりあえずそこにいて、起こったことに反応してくれたらいい」と。「前後のシーンのつながりは考えないで、このシーンはここで起こったことにそのまま反応するみたいな事が一番分かりやすい」と。それを聞いてから、割り切ってただそこにいることを大事にしました。

――どういう気持ちで演じているんだろうと思って。思いとか関係なく役になり切って無心な感じですか。

天野はな 無心というか、なんかされてちょっと嫌だなとか、ちょっと嬉しいなとか反射的な感情はもちろんありましたが、マリとしては最終地点が紀夫に受け入れられて一緒に生活を共にすると分かっていたので、そこに向かってやっていきました。

――その時は好かれたいという気持ちはないんですよね。

天野はな 私の中では、マリの役としての気持ちってそんなに重要ではなくて、紀夫から見たマリが作品上にいるから、私自身はちょっと俯瞰で見ている感じ。この子が今どう感じているとかじゃなくて、前原さんが言っていたみたいに、主役の人をどうさせるためにこれがいるという考え方と近しい感じで、攻めていました。

前原滉 マリがどう思っているからじゃなくて、紀夫にこう思わせるシーンだからこういう芝居をするという考え方。そこに特化しているのに、長い時間劇中に滞在するキャラクターというのは、ちょっと特殊ですよね。

山西竜矢 自分の役の気持ちを作ることだけが役者さんの仕事ではないと思っていて、物語のために必要な、今回で言えば紀夫と一緒に居続けて、揺さぶっていくのがマリの役割ですよね。天野さんは、宇宙人みたいになりすぎないような、良い塩梅を探してそれをやってくれました。

――主人公目線で見ているとマリの意図は見えないかもしれないですね。天野さんご自身は立ち振る舞いとしては結構悩まれましたか?

天野はな 最初はどこをきっかけに手繰っていったらいいか分からなかったのでどうしようかなと思って相談したんですけど、監督がマリという人間がどうっていう話じゃなくて、紀夫に対してどう存在するかで考えてほしい、という言葉をヒントに、現象のようなものと捉えてやっていました。

時に不条理を演じる、役者の仕事

前原滉×山西竜矢×天野はな

――「現象」というのは理解できましたが、でもどうしてもあの時のマリの感情はどうなのかが気になってしまいますね。演じている役者さんはどういう気持ちで居座っているんだろうと。

山西竜矢 それってすごく難しい話だと思うんです。僕は、役者さんはどういう役をやる時も、本当は自由ではないし、一定の嘘はつかざるをえないと思っていて。今回のマリは分かりやすく理解しづらい役なのでそう思われるかもしれないんですが、例えば共感できそうな役でも、演じ手によっては全然共感できないというのは役者をやっていてよくある話だと思います。もっと言うと、カメラ前に立ってくださいというのも本当は変じゃないですか。役になりきれと言っているのに、ここに立ってセリフを言って下さいと言われるわけですから。役としてバミリに立ちたいと思うことなんて、本当は無い。でも、そこに立たないと写らないから役者さんはやってのけます。それと同じ要領じゃないですかね。カメラ前に立たなきゃいけないから立つ、ということと同じように、紀夫にこう思わせなきゃいけないからこうやろうと。そう考えながら、作品のために天野さんは動いてくれていました。だからこそ、マリというキャラクターを演じるのは大変だと思っていたんです。

前原滉 それをずっと保つという事は本当に大変だと思います。役者としては本当はこう言いたいとか、自分の感情があるけど、それを押さえる作業も役者の仕事だと思っていて、山西さんとはなちゃんの関係だったからこそできたと思っています。山西さんがそういう世界を作るんだったら私はそこに乗るみたいな。心持ちを押さえていく作業のほうが大変なんじゃないですか。

――認めてもらっている気持ちがあるから自分を消しても大丈夫みたいな?

前原滉 単純にこの世界が面白いなと思ったら、消すことも苦じゃないと思います。例えば、インタビューでもインタビュアーが乗る人と乗らない人って絶対いると思う。この人の話もっと聞きたいと思う時と、もういいけど、とりあえず聞くかという時があると思う。それと一緒かなって。変な話、仕事だから聞かなきゃいけないじゃないですか。でも乗る人に対しては自然と出てくるというのがここの関係性と近いと思います。

――よく撮影に入った瞬間に役としての感情が出てくるという話を聞きますが、そうなれる下地みたいなものがあるということですか? クランクイン前からの信頼関係や、台本自体が面白い内容とか。

前原滉 今回で言えば話が面白かったのと山西さんが撮るというのが楽しみでした。今話をしていて面白いと思ったのが、作品によって、あのシーンで自分の感情が上がりましたとか、あそこで自分の感情が上がって、役とは違う何かが出てあのようなシーンになりましたとか、すごく素敵な話だと思うんですけど、そうじゃない面白味がスクリーンに出ているんじゃないかなと思います。何か分からないけど観てしまうとか。感情じゃない部分だったりするというのが今話していて面白いなと思いました。

――感情ってすごく分かりやすいから、そこにフォーカスしがちですが、そうではない対比のところも注目したら面白いかもしれないですね。

山西竜矢 一面的に見えるお芝居よりも、奥行きがある、ちょっと何を考えているのかが掴みづらいようなお芝居が僕は好きなんですけど。ずっと優しい顔なんだけど、よく見たらこの瞬間顔怖くない?みたいな。優しいキャラクターなのにふっと歪みがある、そんなお芝居の方が魅力的だと思っています。この作品では、天野さんのそういう部分を一緒に出せたんじゃないかなとは思っています。彼女の奥行きのある魅力みたいなものが、この映画を通して伝わったら嬉しいです。

(おわり)

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木村武雄

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