竹中直人が、ドニー・イェン主演の映画『燃えよデブゴン/TOKYO MISSION』(1月1日公開)に出演する。様々な役を変幻自在に演じる名優が惹かれるのは「静の中にある感情のうねり」という。若い頃に生んだネタ“笑いながら怒る人”はそれを体現したものだったと今になって気づいたと語る。役者・竹中直人の考えに迫る。【取材・撮影=木村武雄】
「役作り」が嫌いな理由
――秀吉など竹中さんが演じられる役柄は時間が経っても印象強く残っていますが、そうした役の印象が付いて回るのはどのように感じていますか。
それは仕方ないことですね。俳優という仕事をしていればいろんな役をやるというのは当たり前です。たまたま見られた作品や役柄がその人にとっての僕のイメージになってしまうというのは当然だと思います。印象に残る役がその人を形作るというのはあって、そのイメージだけで捉えた方が楽な時もあります。でも僕はそういう見方はしないようにしていているかな…、人はいろんな面を持っているので1つのイメージでは固められないと思っています。でも人は分かりやすいものを求めます。
――そうしたイメージに対して、本来の自分はこうではないのに、と思うことは。
それはないですね。誤解されない人間なんていないから。だから面白い。
――過去に「役作りという言葉が嫌い」と話されていますね。
大嫌いですね。役なんて作れるわけがない。自分の勝手なイメージで役を作るということは、ある意味思い込みという壁を作るのと一緒だと思います。きっとこうに違いない、きっとこうだろうと思う事は僕の中には一つもない。だから「役作り」という言葉が嫌いです。その場のノリ一発だろうといつも思っています。
――人生も明日はどうなっているかは分からないですから。
はい。それなのに、演じる時だけ「この人はこういう気持ちなんだ」って分かる訳ないって思うのです。分からないから生きてゆけるのに、演じれば分かるのか?といつも思います。
――人に対しての捉え方は昔も今も変わりはないですか。
そんなに多くの人を観察してきたわけじゃないから分からないけれど、嫌いな奴はずっと嫌いだし、好きな奴は長い付き合いだし。嫌いな奴はやっぱり今も嫌いだし(笑)。いろんな人種がいますしね。そんなに多くの人と仲良く出来ないし、それでもなんとか生きてこれたし、これから益々どうなるか分からないですものね。
――若い人に伝えるとしたら、ありのままで自分の好きなようにやってくればいいんじゃないかと。
人生は傷つくことの繰り返しだと思っています。矛盾との戦いです。《前向き》って言葉は発展的だけれど《後ろ向き》になるのも悪くはない。《負》のエネルギーもある意味大切だと思います。我慢しなきゃいけないこともたくさんあるし、なかなか好きなようには生きられない。大切なのは信じる気持ちというか、その気持ちさえ本気であれば、何かが動くのではないかって思いたいです。どんなに落ち込んでも心の奥底で《夢》をあきらめない心。でも運が良い人ってやっぱりいるでしょう?運の良い人、悪いひと、要領の良い人、人の懐にうまく入れる人とかいるからね。色んなタイプがいますね。だからって、不器用といじけているわけにもいかないし。でもいじけている人も悪くないですね。前向きに生きている人よりいじけている人のほうが好きだな。
――過去に、BARカウンターで一人背中を丸めて飲んでいる人がカッコよく見えると話されていましたね。
そんなこと言ってました?(笑)たまたまそこにいた人が良い感じで飲んでいたんじゃないかな。いい具合に猫背で…(笑)でもそうした姿に色んな事が想像出来るんですよね。後ろ姿って好きです。前向きに生きている人より、愚痴ばかり言っている人も面白い。「うわ~せこいな」っていう人って印象悪いけれど俺は好きです。「どうせ俺なんか」という思考も悪いことじゃないと思います。だって誰しもがみんな持ってるものだしね。そうそうはつらつとは生きられない。
今になって気づいた「笑いながら怒る人」は理想的な人間だった
――生きている以上は制約があるわけで、竹中さんはそのなかでどう表現していくのか、ということといつも対峙されているように感じました。
それは分からないです。色々なタイプがあるから。見られた作品の役柄がテンション高いことが多いですし、静かな役をやっていてもテンションが高い役の方が目に留まれば、普段からそういう人なんだろうと思われがちですけどね。
静かな芝居とか静かな演劇、岩松了さんの演劇は静かな演劇と言われて来ました。岩松さんの描く世界は大好きでやり続けてきましたしね。静かな中にうごめいている感情がとても好きです。そう簡単には分からせねーよって。それを見る側が想像する時間ってとてもロマンチックだなと思ったりします。この人きっとこういう事言っていても本当はそう思っていないよなっていうことが思える演劇が好きです。
セリフがすべてじゃないという気持ちはあります。人が人と会って話すとき嘘をつくこともある。悲しい時に悲しいという表現をしない人もいる。そういう意味では「笑いながら怒る人」は自分で言うのもなんですが、すごいなって思います。「そういう事だな、基本は」って。20歳の頃から自分の理想とする人間の表現をしていたんですね。実は最近、多摩美時代のともだちにそう言われて「あっそうか!」って気づいたんです。
――コミカルと静けさを持っているのが竹中さんで、静かなところに魅力を感じます。
やっぱり静かな中にうねる感情は面白い。静かに見えて本当は感情がうねっているという演技もありましょ?なんでも説明出来ちゃうのは面白くないもん。書かれている言葉じゃないもう一つ動かさなきゃいけない感情というのが好きですね。それが一番演じがいがあります。人は言っていることがすべて真実とは限らない。説明セリフじゃなくそういうものが書かれている台本があったら興奮します。なかなかそういう脚本には出会えないですどね。
普段会話していても言葉は1つの色じゃないと思うんです。いろんな感情がうねっているから。感情にもいろんな色があるし、それを自分の中で動かしていく楽しさは感じています。全て説明されてしまうと想像する楽しさがなくなってしまいますものね。
撮影はセッション
――そういう考えで捉えると、今回の遠藤刑事という役は一見、コミカルに見えますが実は恐ろしい感情がうごめいているようにも感じます。
いや、それは何も考えていないですよ。そもそも、自分が出た作品は見れないんです。最終的に作品はお客さんのものになっていくので。多くの人に観られたら好き勝手な事言われるし、見られなかったら静かに終わっていくっていうのが現実でしょ。
僕は撮影現場が大好きで、現場に行ってその場のノリで演じています。常にセッションみたいなものですね。今日はどんなセッションが出来るだろう…と現場に行って良いリズムが刻めれば、自分にとっての作品が終わる。完成した後は、お客さんが入った入らないの世界になる。出来上がったものを観るのは残酷な気持ちになりますからね。自分の価値観もあるし、自分が出た作品がつまらないと思っちゃったらどうしようっていう不安感もあるから、怖くて絶対見れない。現場がどんなに楽しくても、出来上がった作品を見たら「あれ?」っていうことが若い時に何度かあったので、見ないほうが楽です。
――香港映画のようにエンドロールでメイキング映像が流れていて、竹中さんが楽しそうにブルース・リーのようなことをやっていて。
あのシーンは何故か、何度も何度もテイクを重ねて撮ってましたね。「アターッ!」ってずっとやっていたので声が枯れちゃって。どれが使われたか分からないです(笑)。
――進んでやられたんではないんですね(笑)
そういう指示だったのです。僕が捉えるブルース・リーの価値観とは全然違ったんですけどね、でもやりました。『燃えよドラゴン』を初めて観たときにブルース・リーという人の存在、キャラクターがある意味美しい造形物でした。あの体系と髪型と声と。存在自体や動きに圧倒されましたからね。
――今回コミカルな演技ですが、現場ではどんな雰囲気だったのですか。
もう死に物狂いでした。ずっとコルセットしていなきゃいけないので、そのストレスが(笑)それにカツラも被ってるしね、肩は凝るわで。でも僕はドニー・イェンの大ファンだったからドニー・イェンと共演出来るだけで嬉しかったです。
――ドニー・イェンさんとのセッションはどうでしたか。
楽しかったですよ。でも、どうしてもドニー・イェンを感じられないんですよ。特殊メイクが素晴らし過ぎて!「本当にドニーなの?」ってずっと思ってた。撮影が終わってメイクを落としたドニーを見たくて、メイク室でメイクを落とすまで待っていたりしてました。メイクを落としたドニーがやっと現れて「あー!!本物だ!本物のドニーだ!!」ってとても興奮しました(笑)。嬉しかったです。『捜査官X』とか『孫文の義士団』とか『イップ・マン』とか大好きな映画でしたからね!
――そもそもどういう形でオファーを受けられたのですか。
ドニー・イェンが日本で映画を撮るから竹中さんに話が来ていますという事でした。「分かりました、やります」とお答えしました。スケジュールが合えばどんな仕事も断らないです。「脚本読んでからね」なんてことは言ったことないです。一番嫌いな言葉です。
――オファーは断らないようですが、その理由は。
呼ばれたら行くというのが役者だと思っています。
――この作品自体は昔の香港映画を見ているようでゲラゲラ笑っていました。
だったら良かった。どんな芝居をしたか全く覚えていないです。カツラは毎回ずらしてくれというドニーの指示に従いました。カツラを被るというのはドニーのアイデアです。
――他にはドニーさんとのやり取りはあったのですか。
ドニーの抜けに僕がいるシーンで、遠くにいるだけなので変な動きをしていたら、「目立ちすぎ」とドニーに言われたのは覚えています(笑)。
音楽との接点
――さて、音楽についても教えて下さい。普段どのような音楽を聴いていますか。
音楽はずっと好きです。昔はLPレコードやドーナツ盤があったけど、今は、A面を聴いてからB面にひっくり返す興奮というのはないですね。パッケージもLPレコードって30cmのジャケットが圧倒的だった。ジャケ買いすることでジョン・コルトレーンを知ったり、スタン・ゲッツを知ったりジョアン・ジルベルトを知ったり。たくさんの音楽を知ることができた。小学一年生の時に『007は殺しの番号』(現在はドクターノー)を観て、ジョン・バリーも知ったしね。音楽は常に自分の中に存在しています。今は携帯の中に収まっちゃう時代。パッケージを買う楽しさがなくなってしまったので寂しさは感じます。
でも当時と比べると音楽を自由に聴けてしまうので「すごいな」ってびっくりしてます。アップルミュージックに入っていれば、自分の好きな音楽が選曲されてたりして「うわーなんで?!」って驚いてばかり。
――確かにLPならではの良さはすごく感じます。竹中さんはいろんなものを聴かれているんですね。
はい。日本だとクリープハイプとかGLIM SPANKY、ドレスコーズとか。ドレスコーズは毛皮のマリーズ(ボーカル・志磨遼平が組んでいたバンド)の頃から。日本だとたくさんいるけれど。清志郎さんとかCHABO(仲井戸麗市)さんとか。去年、生「高中正義」さんに偶然会えてめちゃくちゃ興奮してしまいました。ミカ・バンド(サディスティック・ミカ・バンド)とか大好きでした。はっぴいえんどよりミカ・バンドが好きだった…。
(おわり)
『燃えよデブゴン/TOKYO MISSION』あらすじ
熱血刑事フクロン(ドニー・イェン)は、ある事件をきっかけに現場から証拠管理の部署へ異動。さらに事件を追うあまり大切な約束をすっぽかし、婚約者に見放されてしまう。外回りがなくなったことと暴飲暴食がたたり、半年後、フクロンはポッチャリ刑事“デブゴン”になっていた…!! しかし、その外見とは裏腹に並外れた身体能力と正義に燃える心は消えていなかった。容疑者を護送するため日本に降り立ち、日本の遠藤警部(竹中直人)と協力し、新宿歌舞伎町、築地市場、そして東京タワーなどを舞台に巨大な陰謀に立ち向かう!!